第5話
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今回の仕事場は、海である。
具体的に言うと宗谷岬沖だ。
日本最北端で、目の前は別の国というエリアでもあることは有名ですね。
私たちは、動力も帆もないのに大海原を安全に航海できる、素敵に不思議な小舟に乗っていた。
もちろん神さま的なアイテムであり、人知の及ばぬ力が働いている。
「領海侵犯を繰り返す某国の密漁船を追い払うこと」
それが次の仕事内容だった。
排他的経済水域がどうのこうの。
「正直ピンと来ないわね。レッドがいないのに海の仕事ってのは」
私は視界いっぱいに広がる夜の海と星空を眺めながら、こんな仕事をしてなんの神さまアピールになるのだろうと首をひねっていた。
誰も見ていないじゃないか。
無理に理由をつけるなら、これはいつぞやのゴミ投棄事件と同じく、環境を守るジャンルの活動だろう。
北海道の漁業資源を奪わせない、という意味で。
「僕だって畑違いもいいところだよ。こんな、芋も育たないような場所だとテンション上がらない……」
イエローもいまいち乗り気になれないらしい。
レッドがいなくてもなんとかなると思ったけど、見通しが甘かったか。
完全アウェーだ私たち。
地に足がついていない気分、て言うか実際ついてない。
そもそも、内陸の土着神である私やイエローにとって、海というのはどこからどこまでが土着の対象区域なのか、それすらよくわかっていない。
土地というのは「そこに厳然としてあるもの」だけど、領海というのは「人間たちの都合で地図上に線を引いて勝手に決められた概念」だから、根本的に成り立ちが違うのだ。
どんな海も、基本的にはひとつながりの海でしかないのだから。
「密漁船なんていませんでした、で終わりにできないかしらね、この仕事」
「心情的には賛成だけど、そうもいかないみたいだよ。残念ながら」
そう言ってイエローが指し示した先には、夜中だというのに乏しい灯りで浮かんでいる一隻の貨物船があった。
普通の人間には、ろくにその様子は見えないだろう。
「漁船と違うじゃない。通りがかるだけならいいんでしょ、排他的経済水域って」
航行だけならどの国でも可能、でも漁獲や海洋調査、石油の掘削などと言ったことは、外国の船はご遠慮ください。
というのが経済的排他水域のルール、のはず。
私も詳しくはわからない。
だって摩周湖には河川がないから海とつながってないし。
「いやー、あれ明らかにカニ籠を引き揚げまくってるよ。乗ってるのどう見ても日本人じゃないよ」
見なかったことにしたい気持ちを抑えつつ、私たちは舟を所属不明の密漁船に向ける。
なるほど、たしかに夜陰に乗じてカニの入った仕掛け籠を、大量に自分たちの船へ引き揚げている。
私は相手に向かって、声を張り上げて叫んだ。
選挙演説の拡声器も顔負けの大きさで。
「こらぁーっ! 今すぐその密漁行為をやめなさい! 神の裁きが下るわよ!!」
海原に響いた突然の大音量に、灰色の瞳を持った赤ら顔の船員たちは総じて腰を抜かした。
彼らはなにごとかといった表情であたりをキョロキョロ見回すけど、私たちの姿は見えていないらしい。
夜だから仕方がない。
こっちは小舟だし、そんなものが夜中の宗谷沖に浮かんでいるとは、だれも想定すらしないだろう。
「日本語、通じてないわよね……」
「まあ当然そうだろうね」
驚いただけで帰ってくれるだろうかと期待しつつ、私たちは密漁者の出方をうかがう。
悲しいことにそうはならなかった。
彼らは籠の引き揚げ作業を続行したのである。
少々の怪奇現象を気のせいだと思えるほどに、カニの密漁は魅力的な仕事らしい。
「イ、イエロー、こうなったらあんたの力で!」
「無理。あの連中の腹の中に、北海道の食べ物は入ってないみたいだ」
速攻で却下されてしまった。
連中の腹を念力で探っているイエローが続けて言う。
「んー、ピロシキの残存物らしいね、あいつらの腹の中にあるのは。あ、カレー味の具が入ったピロシキもいいかも……」
「それただのカレーパンだから!」
律儀に突っ込んでから、私は考えをめぐらせる。
どうすればあいつらを追い払える?
いや、まず密漁行為を阻止するには。
「……不本意だけど、とうとう私の力を使うしかないようね」
私は覚悟を決めた。
摩周湖が持つ神秘の力。
それを司る私の特性は「霧と冷気」の二つ。
そう、私は湖の神であると同時に、霧と冷気の神であり、その力を行使できるのだ。
人間相手に使うには大きすぎる力なので、なるべくなら使いたくはなかった。
しかし今はそんなことを言っている場合じゃない!
「冷たき静かなる水の力を、今ここに解き放つ! 我に敵する者の歩みを、氷の網で妨げよ! ポロ・コンル・ヤーシ!!」
レッドの能力が英語名で、イエローの能力は標準語。
私はアイヌ語に霊力を乗せて奇跡を行使する。
このことから、私たち三人に全くチームワークがない、ということがお分かりいただけるだろう。
私の叫びは冷気となり、密漁船が浮かぶ海面を瞬く間に凍らせ、その動きを封じる。
はずだった。
しかしなにも起こらなかった。
「あ、私が凍らせられるのって淡水だけかも……」
「使えねー。ブルーちゃんマジ使えねー。つーかちょっと凍らせたところで、すぐに波の勢いで砕けて台無しになるよね」
レッドがいない今、イエローまでもが私をなぶりものにするのか。
本気で泣きそう。
「ま、まだ私には霧の力があるわよ! 濃霧でやつらの視界を封じて、作業をできなくさせてやるんだから! ヤム・カムイ・ラクル!!」
おそらく半ベソになりながら私は霊力の霧を発生させ、密漁船をその中に閉じ込めた。
しかし強烈な海風が私の出した霧をあっという間にかき消した。
いや、その可能性も予想していたけれどあえて無視していた。
どうして海の上ってこんなに風が強いのだろう。
私に対する嫌がらせかとも思う。
あれ? ひょっとして、ひょっとしなくても、私ってば役立たず?
ここまで駄々滑りだと、ある意味気持ちよくなってくる。
私の中から乾いた笑いが出てきた。
一筋の涙とともに。
私がうなだれ、イエローがおやつの芋モチ(カレー味)を食べ始めたその時。
あたりの波が、不自然に大きくうねった。
とてつもなく強大な霊気が、怒涛の勢いで私たちの元へ近づいてくるのを感じる。
それも、集団だ。
神々の力を宿したなんらかの生き物が、数多くこの場に押し寄せている気配が周囲に漂っているのだ。
そして漆黒の海原から巨大な生き物の群れがしぶきをあげて飛び立ち、星と月の光がその姿に反射した。
「ったく、俺がいねーとこんなちんけな仕事も片付かんのかよ! マジで使えねー水たまり女だなあオイ!?」
飛び出してきたのは、シャチの群れ。
そして、ひときわ大きな、この世の生き物とは思えぬほど大きなシャチの背中に、真っ赤なボディスーツに身を包んだ一人の男が乗っていた。
「レッド!? そ、それに、海神レプン・カムイさま!?」
大海原の主にして、海の生態系の頂点、シャチ。
神々しくも圧倒的なお姿で顕現する北の神は、海神さまをおいて他にはいないだろう。
その証拠に、感じられる霊力の強さが桁違いだった。
そんな方がレッドを背中に乗せてここにあらわれたのだ。
「話は後だ! ったくよお、人ンちの海で好き勝手オダってくれてんじゃねーか、このたくらんけどもがぁ!!」
レッドは密漁船に向かってそう叫ぶと、自慢の手刀、レッドシザーを振るって引き上げられたカニ籠を分解し、カニの群れを海へと解き放った。
船員たちは意味の分からない攻撃を受けて、パニックに陥っていた。
ちなみに翻訳すると「オダつ」という動詞は北海道弁で「調子に乗る」という意味である。
また「たくらんけ」は「愚か者、バカ野郎」程度の意味だ。
海神さまの背中から密漁船の甲板に飛び降りたレッドは、カニの解放という名目の破壊行為を繰り返す。
抵抗した船員もいるにはいたけど、あっけなく返り討ちにあっていた。
普通の人間に負ける私たちエゾスリーではない。
仮にも神なのだ。
その一方で、レプン・カムイさまと取り巻きのシャチの群れが、密漁船の横っ腹をゴンゴンと小突き、船体を激しく揺さぶる。
船が壊れない程度に手加減された衝突とは言え、激しく揺れる船上で異国の密漁者たちは恐怖に泣き叫んでいた。
そのうちの一人、年配船員の胸ぐらをつかんで、レッドが恫喝した。
「まともに灯りもつけねーでこんな沖まで来やがって、テメーらぁ海を舐めてんのかゴルァア!? カニ漁で毎年どれだけ人死にが出てるか理解してねーのかオイ!!」
そう言えば、レッドが同化している人間も元々は漁師だったな。
「ちゃんと救命胴衣を着こめ! こんなしょぼい設備の偽装船で漁なんかやってんじゃねーよ! 遭難信号出す機械はちゃんと積んでのか!? おい聞いてんのかコラ!!」
ガクガクと密漁船員の胸倉をつかんで揺らしながら、大声で怒鳴り散らすレッド。
当然、日本語だから通じない。
それでも彼らだって、赤い男が激怒している、ということはわかるだろう。
自分たちの行為に対して。
……レッドの怒りは、密漁行為そのものへの怒りでもないような気がするけど。
「わかったかって聞いてんべがテメエらぁァァアァアァアッ!!!?」
「ダ、ダー!!!」
国籍不明の密漁者たちは、烈火のごとく怒り狂っている赤い男の言葉に、意味がわからないまでも承諾してくれたようだった。
かくして彼らは抵抗をやめ、日本の排他的経済水域から出て行った。
いったいどこの国の連中だったんだろう。
甲板にウォッカの瓶が何本も転がっていた気がするけど。
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