06 涙


「……きったな」


 電車に乗って、一緒に買い物をして、自宅の玄関にあげたかと思えば、開口一番この言葉だ。

 桐谷の眼差しは、多分本気で引いている奴の目だ。


「お前な……。もう少しオブラートに包めないのか」

「……だって本当に汚いじゃん」

「そうですけども! てか、そこまで引かなくてもいいだろ! "どちらかと言えば汚い"くらいのレベルだし!」


 自分で言うのもあれだが、誇張はしていない。

 足の踏み場の方が多いし、どこに何があるかだって把握している。

 服だの参考書だのが多少散乱しているだけだし。

 ……まあ、お世辞にも綺麗とは言えないが。


「……どちらかと言えば、まあそうだね」

「だろ。だから気にするな」

「……分かった。キッチンはどこ?」

「そのドア開けてすぐ右」

「……ん、そっか」


 そう言って、桐谷は前方のドアへと足を進める。

 俺もそれにつくように歩く。

 歩いてても思う。やっぱり、"どちらかと言えば汚い"くらいのレベルだと。

 自分の家だから、少し補正された目線になっているのかもしれないが。


 ◇◇◇◇◇


「調味料とか道具とかは適当に使ってくれ。使いづらいとかは受け付けないからな」


 桐谷がエプロンを装着したことを確認して、俺は声をかける。

 桐谷は制服の上からエプロンを着ているのだが、本当に様になっていて、家政婦でも来たのかと錯覚してしまいそうだ。


「……別にいい。最低限あれば出来るし」

「そうか。てか、自信満々すぎるだろ」


 言葉の節々に、桐谷の料理に対する自信が顔を覗かせている。

 俺がそれに言及すると、桐谷は無表情のままこちらを向いて、


「……それは、ね。料理だけが私の生きがいだったから」


 反応しづらい言葉に、俺は固まってしまいそうになる。

 そんな俺を見て、桐谷は再びシンクの方へと振り返った。


「……誰にも食べてもらえなかったけど」


 聞こえてきたのは、寂しそうな声だった。


「じゃあ、何でそんなに自信あるんだ」

「……自分で食べて、すごく美味しかったからかな」

「なるほどな」

「……うん」

「てことは、誰かに食べてもらうのは初めてなのか?」


 心の中にぼんやりと浮かんでいた疑問を、俺はぶつけてみる。

 別に初めてが嬉しい訳では無いのだが、桐谷にとってはどうなのだろうか、と思って。


「……初めてだね、確かに」


 聞こえてきたのは、特に感情も籠ってない声だった。

 棒読みでは無いのだが、最低限の抑揚しかない。


「そっか。なら、めちゃくちゃ厳しく採点してやる。クソまずかったらクソまずいって言うからな」


 本当に、性根が腐ってる発言を俺はする。

 でも、今この状況でそれが悪いとは思っていない。

 なぜなら――こいつは素直だから。


「……いいよ」


 そう言って、桐谷はエプロンの後ろに手を回し、「キュッ」と結び目をキツくした。

 やっぱり、素直だと思った。

 自信満々だからこそ、採点者が厳しくあればあるほど、俄然やる気が出てくるもの。

 桐谷の本心は分からない。でも、姿勢が良くなったから、そういうことなのだろう。

 そう結論付けて、俺は自然に微笑んでいた。


「……あ、そうだ」


 姿勢が良くなった桐谷から、何かを思い出したような声が飛んできた。

 それに対し、俺が「ん?」と後ろから声をかけると、桐谷は前を向いたまま言った。


「……私がオムライス作ってる間、掃除しておいて。部屋が汚いと美味しくても美味しく感じないから」


 本当に、こいつは素直な奴だ。

 いい意味でも悪い意味でも。

 というか、部屋の汚さで味が左右されるわけが無いだろ……というのは、料理経験が皆無な俺の薄っぺらい主観だろう。


「……はい。分かりましたよ」


 とはいえ丁度いいタイミングだし、何より桐谷がご飯を作ってくれるなら、それくらいのことはしようと思った。


 ◇◇◇◇◇


 それから1時間程経った頃。

 卵の甘い香りと、チキンライスのいかにも美味そうな匂いが部屋全体に蔓延した。


「出来たよ。お掃除は終わった?」


 掃除中の俺の耳に、キッチンからの抜けた声が届く。


「ちょっと待ってくれ! もう少し!」

「はい」


 料理が完成したからか、それとも手応えがあったからか、桐谷の声がいつもより明るくなった気がした。

 今までが無感情な少女だとすれば、今はお淑やかな少女と言うべきか。

 そんなことを考えながら、俺は散乱している服を洗濯機へとぶち込む。

 それから、同じく床に散らばっていた参考書、プリント、ファイル等を片付けた。


「……」


 気付けば汗だくだった。

 額を腕で拭きながら、部屋全体を見渡してみると、入室前とは見違えるように綺麗になっていた。


「ふぅ……。意外と悪くないかもな、掃除するのって」


 何となく、そんなことを思った。

 まあ、今更気付くのって遅すぎるけどな。


「桐谷、終わったぞ」


 俺は桐谷の元まで歩き、声をかける。

 何故かシンクに手を付きながら、桐谷は偉そうに立っている。


「お疲れ様」

「おう……って、なんか不満でもあるのか」

「ないよ」

「じゃあなんだその目は!」


 む、と効果音が出てきそうな程、桐谷の目つきは鋭い。

 元々少しつり目だったのだが、それを加味しても若干目つきが悪くなっている。

 すると、桐谷はおもむろに腕を動かし、細い指をある場所へ向けた。

 俺はその指を追うように視線を移す。

 それが指していたのは、机だった。


「……あ」


 やらかした。全然終わっていない。

 というか、床に散らばっていた物を机に置いただけだった。


「ばか」

「……すぐやりますんで」

「そうして」

「はい」


 年下に注意されるのを恥ずかしく感じながら、俺は机の物を所定の位置へと戻す。

 それを偉そうに見守られているが、まあ仕方ない。


「ふぅ……どうですか……」


 改めて、机の上が綺麗になったことを確認してから、俺は桐谷へ言葉を向ける。

 すると、桐谷は「はあ」と呆れたようにため息を吐いた。


「よろしい」

「はい……って誰の家だよこれ」


 俺のツッコミには反応せず、桐谷は出来上がったオムライスの皿を持った。

 自分の分は作っていないのか、一皿しかない。

 というか、こいつは腹が減ってないのだろうか。


「一つ? 自分のは?」

「私は大丈夫」

「え? なんで? 腹減ってないの?」

「空いてるけど、うん。大丈夫」

「大丈夫じゃないだろ……」

「いいから、早く座って」


 話を強引に遮るように、桐谷は俺から視線を逸らし、机へと足を運んだ。

 そして机の上に皿を置く。

 それを見て、俺はその皿の前に座った。


「……」


 まじまじと、出来上がったオムライスを見てみる。

 俺の知ってるオムライスじゃなかった。

 なんというか、シンプルな卵閉じではなく、全体的に膨らみが出来ている。

 イメージで言えば、中に何か入ってる巾着袋のような。

 俗に言う、パッカンオムライスというやつだろうか。


「見ててね」


 すると、桐谷は包丁を持ちながら前屈みになり、オムライスの上部を優しくなぞる様に包丁を入れた。

 瞬間、その切れ込みを中心に、卵のカーテンがトロリと広がっていく。

 それは一瞬でチキンライスを覆っていき、数秒も経たない内に、チキンライスはふわとろ卵のドレスを纏った。


「すっげ……まじかよ……」


 予想以上の料理技術に、俺は思わず感嘆の声を漏らす。

 見た目からして美味そう、という言葉が似合いすぎている。

 いや、とはいえだ。


「……あーだめダメ。厳しくいかないとな。見た目は良くても味がダメだったら意味ないし」


 見た目に騙されそうな所を堪えつつ、俺はキリッとした表情に戻した。

 そう、そうだ。見た目と味には必ずしも相関関係がある訳では無い。

 不味かったら意味が無いのだ。


「ふぅ。いただきます」


 一息ついて、俺はオムライスへとスプーンを入れる。

 スプーンを介して卵のふわとろ具合が伝わってくる。

 ……惑わされるな。食べてからだぞ。

 いや、この場合どうやって罵ってやろうか。

 転げ落ちるくらい笑ってやるか。

 そんなことを考えつつ、俺はスプーンを口に運んだ。


「え、美味すぎない?」


 気付けば、そんなことを口にしていた。

 桐谷は俺の感想が意外だったのか、キョトンとした顔をしている。


「やばすぎるな、これ」


 スプーンで豪快に、俺はオムライスを口に放り込む。

 もう、止まらない。美味しすぎるのだ。

 卵の甘みとふわとろ具合、それが全てチキンライスに丁度よくマッチしている。

 鶏肉とマッシュルームも良い食感だ。

 なんというか、全ての具材が丁度良く存在感を放っている。

 とにかく、美味しい。それだけだった。


 頬張る俺を前にして、桐谷は何を思ってるのだろう。

 ふと、そんな事が気になった。

 でも、そんな事を考える余裕さえ無いくらい、美味い。

 とにかく美味い。美味すぎる。

 完全に、俺の負けだった。勝ち負けがあるのかは知らないが。否定のしようが無いオムライスだった。


「桐谷! お前本当に料理うま……」


 満面の笑みで感想を言ってやろうと、桐谷を見たのだが、「い」と言いきれず、俺の言葉は止まった。

 ――桐谷の瞳が、どんどんと潤っていくのに気付いたからだ。

 それは留まる所を知らずに、遂には瞳の中から溢れ出して、頬に伝った。

 両瞳から雫は溢れ出して、ポロポロと、机の上に水滴の跡が残っていく。


「美味い、本当に美味いよ桐谷! 永遠に食べれるかもしれないなこれ」


 涙の理由。この少女に、それを聞くのは野暮な気がした。

 だから、俺は気付いてないフリをして、オムライスをバクバクと口に入れる。

 多少汚い食い方になったが、作った人からすれば食いっぷりが良い方が嬉しいだろうし。

 気付けば、最後の一口だった。


「本当に美味かった。俺の完敗だな。ごちそうさまでした!」


 真っ平になった皿を見ながら、俺は本心を満面の笑みで桐谷へと伝える。

 改めて見ても、桐谷はやっぱり泣いていた。

 否、泣いていると言うよりも、涙が溢れ出しているという表現の方が正しいのかもしれない。

 鼻もすすることなく、息も乱すことなく、涙だけが頬を伝っていって。


「――ありがとう」


 涙を流しながら、桐谷は目を細めてそう言った。

 初めて見た、桐谷の笑顔だった。

 

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