05 得意


「……」


 時刻は10時になった。

 結局、一睡も出来ずに徹夜してしまった。

 桐谷はまだ気持ち良さそうに鼻息を鳴らしている。


 まあ、正直なことを言うと寝ようと思えなかった。

 仮に寝たとして、もしも桐谷に何かあった時に対応出来ないし。

 要は、昨日の桐谷の寝顔を見て生まれた小さな責任感というやつだ。


 そんなことを考えつつ、俺は顔を洗う為、浴室に付属されている洗面台へと足を進めた。


「……」


 顔を洗い、再び鏡を見てみる。

 やはりそこには、ゲッソリとした自分の顔がはっきりと映し出されていて。

 疲れなのか、寝てないからなのか。

 まあ、前者でもあるし、後者でもあると思う。


「にっ」


 しかし、人生に絶望している少女の前で、特に支障もなく過ごしている俺がそんな顔をしてはダメだと思い、無理に笑顔を作ってみる。

 昔から、作り笑いは苦手だった。

 だから、写真を撮る時も不自然な笑顔だし、愛想笑いが出来なくてギスギスしたこともある。

『永瀬くん、笑って!』なんて、クラス写真を撮る時に晒されたこともある。

 恥ずかしい思い出だ。


「……いくか」


 そんなどうでもいい過去を思い出しながら、俺はリビングへと戻る。

 すると、眠そうに目を擦って、体を起こしている桐谷が居た。

 しまった。起こしてしまったか。


「起きたのか。おはよう」

「……おはよ」


 とろんとした力の抜けた声で、桐谷からの返答が届く。

 ベッドの上で女の子座りをしている桐谷。

 少しばかり、破壊力があるのは気のせいだろうか。


「よく寝れた?」

「……」


 俺が問うと、桐谷は目を擦りながら、首をコクリと縦に振った。


「そうか。それならよかったよ。とりあえず顔洗ってきな」

「……うん、分かった。そうする」


 桐谷の返答に、俺は微かに違和感を覚えた。

 とはいえ、それは悪い意味では無く、良い意味で。

 何と言うか、昨日と比べたら生気がある気がする。


「歯ブラシは一個開いてないのがあるから、それ使って。間違えても俺の使うなよ?」


 眠そうに立ち上がる桐谷へ、俺は冗談半分に笑いながら声をかけてみる。


「……別に使わないし。そっちこそ変な気持ちで使いそうだけど」


 やはり、違和感があった。

 何と言うか、昨日は随分と素っ気なかったし冷酷だったのだが、今日はよく話してくれる。

 声のトーンも若干上がっていて、昨日の声が落ち込んだ声だとすれば、今日は普通の女の子の声だ。

 そんな気がした。


「ぶ、使うわけないだろ。俺はまだ逮捕されたくないよ」

「……未成年をラブホテルに連れ込んでるのに?」

「何も言えないな。それは」

「……ふん」

「じゃあ仮に、目の前に警察が居たとしたら、お前は俺の事をチクる?」

 

 何となく、聞いてみたくなった。

 すると、桐谷は「んー」と、渋い顔をしながら首を斜めに曲げて、考える素振りをする。

 こちらとすれば、その渋い顔の時点で最早察するのだが、答えを待つことにしよう。


「……別に言わないかな」


 彼女からの返答は、意外なものだった。


 ◇◇◇◇◇


「げっ……たっか……」


 伝票をリーダーに読ませ、レジに表示された金額を見て俺はゾッとした。

 そこには『20000』の文字。

 最上級グレードの部屋の恐ろしさを身に染みて体感する。


「……ごめん、私のせいで」


 レジを見ながら固まっていると、後ろからそんな声が届いた。

 その声に反応するように、俺は後ろを振り向く。


「いや、いいよ。俺が連れてきたし。お前は悪くない」

「……そっか。でも謝るね」

「おう」


 見ると、彼女の顔は確かに申し訳なさそうだった。

 意外だ。素直なのは何となく知っていたが、申し訳ないという感情も持ってくれるとは。

 そんな事を思いつつ、俺は財布を見る。

 運が良いことに、二枚の一万円札が丁度入っていた。


「すいません、お願いします」

「はい! どうもありがとうございました!」


 それを受付嬢へと渡し、軽く礼をしてから、俺と桐谷はラブホテルを出る。

 腕は掴まずとも、ついてきてくれている。

 そう考えただけで、少しばかりは役に立てているのだろうか。


 もう、辺りはすっかり明るくて、土曜日だからか、人の数もかなり多くなっている。

 真夜中ぶりの駅前。

 しかし、問題はここからだった。


「さて、どうしようか」


 横目で桐谷が居ることを確認しつつ、俺は聞こえないように呟く。

 時刻は11時少し前。

 昼にしては少し早い時間か。

 とは思いつつ、昨夜も結局何も食べてないので腹が減っている。

 そう考えた瞬間、俺の腹が『グー』と豪快な音を立てた。


「……あ」


 どんなアニメだよ、と思いながら、俺は自分の腹を見る。


「……お腹すいたの?」


 すると、後ろで立っていた桐谷から声が届いた。


「あ、聞こえてた?」

「……うん。ぐーって」

「恥ずかしいな」

「……で、質問に答えて欲しいんだけど」

「まあ、うん。腹減った。昨日の夜から何も食べてないし」


 恥ずかしさを隠しつつ、俺は苦笑しながら言う。

 すると、桐谷は「ふぅ」と小さく息を吐いて、一拍置いた。

 

「……昨日、ご飯作りに来てほしいって言ってたよね」

「ん。ああ、言ったな」

「……じゃあさ、その、もし良かったら」


 桐谷はそう言うと、姿勢を直すかのように、手を後ろに組んで、視線を俺から逸らした。

 何か言いづらい事があるのか、それとも何かが気になるのか。

 そんな事を考えていると――彼女は、言った。


「……お昼ご飯、作りに行きたい」


 俺はその言葉に、目を丸くする。


「え……今からか?」

「……うん。だって、お腹空いたんでしょ?」

「まあ、そりゃそうだけど。お前はいいのか?」

「……私は別に。帰る場所も無いし」


 そう言う彼女の顔は、とても悲しそうな顔だった。

 しかしそれは、"家族に会えない"とか"友達に会えない"なんてものでは無かった気がする。

 ただ純粋に、"自分には生存価値が無い"ということを、まるで言外で伝えられているような気がして。


「そうか。じゃあ作りに来てくれ。部屋は汚いけど、それは許してくれよ」


 気付けば、俺はそう言っていた。

 この少女が高校生で、未成年ということは理解している。

 だから、家に連れ込むのは立派な犯罪ということも。

 無論、それはラブホテルに入る際も懸念点として存在していたが、それは真夜中だったからまだ良かった。

 でも、今は日が昇り、辺りも明るくなって、交番なんかを見てみれば警察官だっている。

 ましてや、俺の隣に立つ少女の服装は制服で。

 なのに、だ。


「食材は……そうだな、スーパーで買ってくか。俺ん家の近くにでかいとこがあるから、そこに行こう」


 なのに、言葉が無意識に出てくる。

 それでも、嫌な感じはしなかった。

 むしろ、ドヤ顔をしてやりたいくらいだった。


「……うん。好きな食べ物とかある?」

「好きな食べ物か……ちなみに、俺がどんな料理を言っても作れるのか?」

「……まあ、大体は」


 どうやら、本当に料理が得意らしい。

 俺は料理など全く出来ないのだが、どうせなら偉そうに評価してやりたい。

 そんで、もしも不味かった場合、食い切った後に手を叩いて笑いたい。

 だから――


「じゃあ、お前の一番"得意な料理"を振舞ってくれ。三ツ星シェフバリに評価してやるから」


 俺は笑顔で、彼女にそう言った。

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