02 ラブホテルと願い事
『HOTELハイビスカス』と書かれたネオンライトの看板と、それを囲うように装飾されているトロピカルフラワーの模型。
その下には、『rest:3時間5000円 stay:8000円〜10000円 free:30分1000円』と、料金体系の書かれた案内板がある。
真夜中の駅周辺では、一番の光源の役割を果たしている建物に、俺と少女は入った。
まさにそれは、世間一般的に『ラブホテル』と呼ばれる建物で、中に入ると、ドリンクバーやゴム自販機が置いてあり、『コスプレ貸出OK』なんて文字もある。
「……初めて来たな」
受付の前まで来たところで、俺は一度足を止めた。
ラブホテルに入っでも尚、少女の腕は掴んだままだ。
何となく外部からの印象が気になるのだが、真夜中だし、俺と少女以外に人は誰もいないのでいいだろう。
何より、
何となく俺は少女が気になり、後ろを振り返った。
「……」
見ると、そこには若干頬を赤らめた少女が居た。
少々刺激が強かったのか、唇をしまうように隠し、大きな目をパチクリと開いている。
初々しすぎる反応に、少し笑ってしまいそうになる。
「初めてか? こういう場所は」
「……」
聞くと、少女は恥ずかしそうに、コクッと首を縦に振った。
後は、目の前にある『御用の方はお呼びください』と書かれたベルを鳴らせば、受付嬢がやってくる。
その前に、俺には一つの懸念点があった。
「そういやお前、高校生……だよな」
「……」
再び、少女はコクッと首を縦に振る。
まあ、やっぱりそうだろうな。
やはり近くで見てみても、俺が通っていた高校と同じ制服だ。
校章、模様、その他諸々の細かい装飾も。
「大丈夫かな……」
正直、こればっかりは運だ。
受付が仕事に対してぬるま湯な感じであることを願うしかない。
早く休憩を取りたかった俺は、とりあえず当たって砕けろの精神でベルを鳴らした。
「いらっしゃいませ〜」
数秒後、仕事が出来そうな明るい声色で、受付嬢がやってきた。
20代後半だろうか。真夜中にも関わらず目はギラギラとしていて、疲れなど感じられない程だ。
「あの、泊まりたいんですけど」
「お二人ですか?」
「はい、二人です」
「なー、るほど……」
「はい」
すると、受付嬢は俺の後ろにいる制服姿の少女へと視線を向ける。
そしてそれは、「ん〜?」と、怪しげな視線へと変わっていき、遂にはパソコンに何かを打ち始めた。
少女の表情は分からない。ただ、握っている手首を介して、脈が少しだけ速くなったことは分かった。
「お客様……」
すると、受付嬢が怪訝な表情を浮かべながら、そう口にする。
その視線を受け、俺はゴクッと固唾をのむ。
そして、受付嬢はグイッとこちらへ身を乗り出し、俺の耳元へと自分の口を近づけた。
やっぱり、ダメだったっぽい。まあ、制服姿だし、バレるのも時間の問題だったか。
また、別の場所を探すしかない。こうなればいっそ、一駅分歩いた方が良さそうな気もする。
そう、覚悟を決めようとした時だった。
「……お客様、
「……ぶっ」
俺は、受付嬢の囁き言葉に、思わず吹き出してしまった。
「ちょっと、何言ってるんすか……」
「……いや、後ろのお嬢さん、すごーく制服似合ってますし……! 胸も良い感じに大きくて、女の私でも魅力的に感じますよ……!」
つらつらと、受付嬢は囁く。
流石に聞いていて恥ずかしくなってきた俺は、気付かれていないか確認する為に、後ろへと振り返った。
確実に、高校生が聞いていい会話ではない。
「……」
そこに居たのは、純粋無垢な可愛らしい瞳で、しかし頬は若干赤らめながら、ぽかんとしている少女の姿。
聞こえてはいなさそうだった。良かった。
「……あの、そんなことは置いといて。部屋って空いてますか?」
振り返った俺は、いつの間にか所定の位置に戻っていた受付嬢へと言葉をかける。
「もう……。もう少し褒めてあげたらいいのに!」
「いいから。部屋を教えてください」
まあ、とりあえず良かった。
仕事には真面目そうだし、まさか変態な角度で避けられるとは思ってもみなかった。
「……はいはい。空いてますよ。ですが、最上級グレードのお部屋です。料金は10000円になってしまいます」
「あー……そうですか。それでも大丈夫です」
若干迷ったが、この少女の命に比べたら、そんなものは雀の涙。
何より、俺が早く風呂に入りたかったし、寝たかった。
「分かりました。では、直ぐにご案内致しますね。ドリンクバーに使うコップは部屋に置いてありますので、ご自由にお使いください。その他、部屋に置いてある物は自由に使って構いませんので」
「分かりました。すいません、こんな遅くに」
「いえいえ」
受付嬢はそう言うと、再び俺の耳元へと顔を近付ける。
そして、
「楽しい夜を、お過ごしくださいね」
嬉しそうに、囁いた。
「……」
「では、行きましょうか」
俺は少女の腕をしっかりと掴んだまま、受付嬢の後ろへとついて行く。
螺旋状の階段を上がると、綺麗な真紅色の絨毯が廊下を埋めつくしていた。
それから数秒間、心地よい硬さの廊下を歩き、受付嬢は足を止めた。
「205になります。お部屋の中もご案内致しますね」
そう言って、受付嬢は高級ホテルのような煌びやかな装飾が施されているドアを開け、中へと入った。
それに付いていくように、俺と少女も中に入る。
中に入ると、ピンク色が主体のミラーボールが、部屋を鮮やかな色に染めていた。
部屋の右壁には、自動販売機程の大きな鏡があり、パッと見てみると、女子高生と目が合った気がした。
真ん中には2人用の大きなベットが一つあり、そのベッドの正面には、大きなテレビが設置されている。
冷蔵庫は部屋の隅っこに置いてあって、中には2本の水が入っていた。
別部屋にある浴槽は丸い形をしていて、見た感じジャクジーのような機能もついていそうだ。
部屋のベッドの横には電動式のマッサージチェアーも置かれており、流石『最上級グレード』と言いたくなるような、完璧な部屋だった。
「すっげ……」
あまりの豪華さに、俺は思わず感嘆の声を漏らす。
そんな俺を見て、受付嬢は「ふふ」と微笑むと、
「では。ごゆっくりどうぞ」
と、小さく頭を下げて、俺達の部屋を後にした。
「こりゃ想像以上だな……」
受付嬢が部屋を後にし、ドアを閉めたのを確認して、俺は呟いた。
煌びやかに装飾された部屋内。
自分の家でこれを作るとなると、ざっと数十万はくだらないだろう。
「……離して」
凄さに浸っていると、後ろから少女の声がかかる。
そういえば、少女の腕を掴んだままだったな。
「あ、悪い」
「……」
俺は優しく手を離し、少女を解放する。
すると、少女はベッドの片隅へと乗っかり、ちょこんと、体育座りのようにお尻をついた。
「……のど乾いた」
少女は、膝に顔を埋めながらそう言った。
確かに、いっぱい泣いた後だ。
体が水分を欲する頃だろう。
だがしかし、俺はそう簡単にあげるつもりはなかった。
「もっかい言ってみ」
「……なんで」
「何でも」
「……理由になってない」
「いいから」
「……」
ああ言えばこう言う俺に、少女は不満そうに視線を逸らす。
そして、「……ふん」と、聞こえない程小さく鼻を鳴らした後、
「……水飲みたい」
何となく恥ずかしそうに、少女は言った。
何と言うか、改めて顔を見てみると、中々に可愛らしい顔をしている。
やはり予想通りの美少女で、まつ毛は長く、目も大きく、顔は小さい。
しかも、この可愛さで"泣いた後"だ。
シラフなら、もっとすごいのかもしれない。
「いいよ。じゃあ、取ってあげる代わりに名前を教えてくれ」
交換条件で俺がそう言うと、少女は驚いたのか、こちらに向き直る。
すぐに不満そうな顔つきに変わったが、本気で嫌という訳では無さそうだった。
「言えないなら取らないぞ」
「……
桐谷凛花。
当たり前だが、聞いたことが無い。
誰か知り合いの妹でも無さそうだし、完全に初見の名前だ。
「桐谷凛花かあ……。有名女優に居そうだな」
「……」
「……はい、まあよろしく、桐谷。俺は
我ながら豪快に滑ったことを恥ながら、俺は握手を求める形で右手を出す。
「……」
しかし、当然ながら不審者のような目で見られ、無視されてしまった。
まあ、仕方の無いことか。
年頃の女の子だし。と、言い訳をしないとやってられない。
そんな偉そうに思う俺も、大学一年生だが。
とはいえ、ここは先輩としての権利を使うべきだと思う。
「じゃあ桐谷、お願いなんだけど」
俺が言うと、桐谷はまた怪しげな視線をこちらへ向ける。
それはいかにも変態を見るような目だ。
女子高生に変な目で見られる事ほど、悲しいことは無かった。
「……大丈夫だ。お前が思ってるようなことはしない。襲ったり押し倒したり、絶対やらないから」
言うと、桐谷は安心した――訳では無いのだろうが、少しだけ肩の力が抜けた。
それを確認してから俺は、言った。
「……風呂、沸かしてくれると助かる」
ダメ元だ。
正直、この何を考えてるのか分からない少女に、願う事自体間違っている気がする。
さっきも握手を断られたし、『殺して』という願いを無視して、無理矢理ラブホテルに連れ込んでる時点で、信用はゼロ。
そんなやつの願い事を聞く訳が――
「……いいよ」
――返事が返ってきたのは、すぐだった。
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