第四話 六道睦
それは、名を持たなかった。
それは、自我を持たなかった。
それは、無色透明の塊だった。
それは、色も形も持たなかった。固体、液体、気体。どんな表現も当てはまらなかった。
「これは一体……」
少女は、それに出会った。
それは、模倣した。
「っ! 私に化けた!?」
それは、コピーした。体も、記憶も、感情さえも。
それは言った。
「こんにちは。私は六道睦だよ」
少女は困惑する。
「いや待て、突然現れて何言ってんの? いやでも私だ。うん、私から見ても私だ。どういうこと?」
「私は貴方を模倣した。だから私は貴方」
はあ、と少女は溜息をついた。
「とりあえず一緒に来て。」
少女はそれの手を引を引いていく。
◇ ◆ ◇
「着いたよ。ここが私の家」
「それは知ってる。私は貴方を模倣したから、何も説明する必要はない」
それは、少女そのものだった。
「はあ、すごいね。人智を越えてるよ。で、どうしたいの?」
「私は貴方。故に貴方の考えてる通りだよ」
「なるほどね。じゃあ、これからよろしく」
あっさりと。そうして少女と
少女と
「それでさ。セイムは何がしたいわけ?」
少女は
「私は自我を持たない。ただ模倣するだけの生命だった。でも貴方を模倣した今は、セイムとして貴方と生きていきたい。これは、あの時睦が抱いていた感情だよ」
セイム。Same、同じという意だ。少女が
「ふーん。不思議な生き物だねー」
「自分でも思う」
二人の間には普通の日常が流れていた。なんてことない、普通の日常。
双子だ、と言えば瓜二つでも特に怪しまれることはなかった。二人は、ただ生きていた。
ただ平坦に、幸せに。
セイムが睦と出会って数ヶ月が経ったころだった。
『謎の戦闘機群 中東を爆撃』
突然のニュースが世界中を駆け巡った。
戦禍は瞬く間にユーラシア全土に広がった。
数日にして東アジアを瓦礫の山に変えた『フェイク』の手は日本にも伸びた。
『福岡の悪夢』
後にそう呼ばれる事件で、六道睦は死んだ。
◇ ◆ ◇
「睦! 睦! しっかりしてよ、睦!」
人が死ぬ、というのは思っていたよりも一瞬のことで。
神龍に化けた『フェイク』の放ったミサイルに化けた『フェイク』。その爆風により、
声を上げる暇もなく、呆気なく、一瞬で、死んだ。
セイムは慟哭した。
「睦ッ! それなら! 私は、模倣する!」
セイムは、死の直前の六道睦を模倣した。
「あれ、私は、光に巻き込まれて……?」
六道睦は目を覚ます。
隣には、人としての原型を留めない自分の死体。
「そうだ、私はセイムで、私を模倣したんだ」
それだけが、自分ではない記憶。睦はセイムの記憶を辿ろうとする。しかし記憶はない。
キャパオーバーだ。二つの人格の記憶を同時に保有することは『セイム』の容量では不可能だった。
しかし、ただ一つだけ。何よりも強い感情の残滓が胸の奥で燃え盛る。
『六道睦』は決意する。
「奴らを、殺す。
◇ ◆ ◇
「ってわけよ」
エリスは最後まで黙って私の話を聞いてくれた。
『理解しましたわ。貴方は貴方、六道睦の人格を模倣した『フェイク』と同種の生命体、というわけですね』
「そそ。で、エリスは私が怖くはないの?」
正直、自分では怖い。私は私の記憶だけをもった何かでしかない。突然私が私でなくなりそうで、怖いんだ。
『そうですね、怖くはありませんわよ。私たち
「そっか」
エリスの言葉は優しい。自我を持ったAIは、醜い人間よりもよっぽど人間的だ。
『貴方が何であろうと貴方は六道睦ですわよ。貴方がどう思っていようと、私から見ればね。私が入っているサーバーが変わっても私は私でしょう? 私たちAIRISにとっては肉体とは所詮器でしかありませんの』
「AIらしい発想だねえ」
『そういうわけでもありませんわよ。魂という概念をご存じですか?』
エリスはそう言って語り出す。
魂。即ち人の心。
肉体に魂が宿ることで人は人たりえるという考え。逆に、魂さえあれば器がなんであれそれは人間と言えるのではないだろうか、という発想だ。
「なるほどねえ、非科学的だけど面白いじゃん。人間の心、か」
『自我を持ったAIというのは魂に近い存在かもしれませんわね』
そう言ってエリスは笑う。
そうだよ。私は、体が違っても魂は
「ありがとう、エリス。私は六道睦。セイムの思いのために、戦う。私の仇を討つために、戦う。橘の思いを受け継いで、戦う。『フェイク』は私達が終わらせる!」
『そうですわね。私達の手で!』
◇ ◆ ◇
指令室。私と七瀬は國生提督に招集されていた。
「作戦を伝えるぞ。本作戦の要は『富士』と『烈風』だ。これをもって『フェイク』の本体を叩く!」
「本体、とは一体何でしょうか」
私は思わず質問する。本体、だと?そんなものがあるというのか。
「本体。私達はコアと呼んでいる。気象衛星『ひまわり』シリーズによって世界に五つ、巨大な何かがあるというのが分かっている。とはいえ分かっているのは無色透明であるということくらいだがな」
提督は手元の端末に画像を映し出す。
「これだ。北京上空の画像がずれているだろう。巨大な何かによって可視光線が屈折した、と私達は考えている」
「理解しました。コア、というのはどういう意味でしょうか」
「そもそもフェイクという生物は模倣することで初めて意思を持つ。そして、模倣をする前の物をコアと呼んでいるんだ。コアは何者でもない。故に脆い。だからそこを叩く」
模倣する前。つまり私に出会う前のセイムのようなものか。
「待ってください。どうしてコアは模倣しないんですか? フェイクは認識したものを即座に模倣するのでは」
七瀬が声をあげる。
「ああ、別に化けていないわけではない。しかし分かっていることがあるんだ。一つのコアは同時に一つしか模倣できず、一つの模倣には十秒かかる。つまり巨大なコアは一分で六回、一時間で三六〇回、模倣した物を生み出せるというわけだ」
ややこしいルールだが奴らの模倣は無限ではない、ということか。
「それで作戦だが、エリス!」
國生提督に呼ばれてエリスがモニターに顔を出す。
『コアを叩く。それだけですわ。『富士』による超長距離狙撃を軸に『烈風』で支援を行います』
「烈風が必要な理由は? 話を聞く限りでは富士からアウトレンジで撃てばいいだけに思えるけれど」
『それは初期にパリ砲改弐で試されました。しかし効果はありませんでしたの。破壊したコアは崩れて、分裂して、それぞれが模倣した。被害は増大するだけでした。そこで、『烈風』の出番ですわ』
エリスはモニターに『烈風』の設計図を映し出した。
『ご覧ください。『烈風』には構造上の大きな欠陥がありますの。それは一定以上の速度を出すと空中分解する、という点ですわ。これを利用します』
「それって、まさか!」
まさか、それはつまり……
「そのまさかだ。『富士』で破壊したコアに『烈風』を模倣させる。後は速度を上げさせて空中分解させるだけだ。模倣してから壊せば二度と模倣できない。つまり殺せる、というのは分かっているからな」
「それはッ! 特攻じゃないですか! 私達に死ねってことですか!」
七瀬が机を叩いて激昂する。國生提督は冷静さを崩さず、優しくなだめた。
「落ち着け、七瀬一尉。続きがある。フェイクが模倣する物のスペックを完全に再現できないのは周知のことだろう。ならば君達は無事で、奴らが耐えられん速度帯は存在する」
「それでも! 『富士』の砲撃に巻き込まれるリスクだって!」
その時だった。
國生提督は席を立ち、頭を下げた。
ただのパイロットに将官が頭を下げる。
階級の違いからしてありえないことだ。
「無茶を承知で頼む。断ってくれても構わない。だが、力を貸してほしい。今この瞬間にもコアは模倣を続けている。止めないといけない。この世界のために。そのためなら、私のプライドなど厭わない」
そう言った國生提督の目は真っすぐで、凛としていた。
私と七瀬は、敬礼で応じた。
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