飛ぶ社長

恥ずかしい。それこそ、死ぬほど。

こんな風に喚き散らしたのはいつぶりだろう。

目の前の人間達はゴミでも見るような目で俺を見つめている。もはやツツジ先輩のことは見たくなかった。彼女にまでそんな目で見られたら俺はもう生きていけない。


でも、致死量の恥と引き換えに、取りあえずはさっきまで俺を縛り付けていた縄を解くことができた。縄が解かれたことはまだこいつらにはバレていない。


いけるか…?


「お、おいキクチノ…」

社長が引き攣った笑みを浮かべながら俺に近づいてきた。

間抜けな奴だ。無理して余裕あるふりしてさ。

俺は心の中で嘲笑した。


「お前、こんなことで…いつからそんなひ弱な奴になったんだよ。」


社長が俺の肩に手を置いた。

触れる瞬間、社長の手が微かに躊躇したのを感じた。


―――今だ。


素早く縄から手を抜き、社長の片腕を掴んで肩に担いだ。重量に苦戦しながらも、ぐいっと引っ張って背負う。


「え…?」


間の抜けたか細い声と共に、社長が宙を舞った。

全てがスローモーションに見えた。放り投げられる社長の呆けた顔、突然目の前で社長が投げられて、驚きのあまり口をぽかんと開けたままそれを見つめる社員たち。


成功した…。背負投げ、とも言えないような不完全で歪なものだったが、高校の体育の授業を頑張っただけあった。


だが今は喜んでいる場合ではない。


逃。


それに尽きる。


バタン、という音と同時に社長が床に叩きつけられた。


その音で、ついさっきまで呆気にとられていた社員たちが我に返り、慌てて俺に銃口を向ける。


「お、おいキクチノ!お前何を…!」


社員たちと目も合わせず、俺は走り出した。

背後で立て続けに発砲音が鳴る。何発か肩に当たってしまった。かすった程度だからそこまで痛みは感じなかったが、やはり撃たれるのは面倒臭い。

どうせなら心臓を狙って撃てよ。肩とか脚はたちが悪い。


時々後ろを向いて、俺も発砲した。

一人、二人、三人…うめき声と共に、バタバタと倒れていく。

今俺を追いかけている社員はざっと十名ほど。そこにツツジ先輩の姿はなかった。


出口が見えてくる。


「キクチノおぉぉぉぉぉッッッ!!!!」


後ろから怒号が聞こえたので振り返ると、十メートルほど離れた場所に鬼のような形相をした社長が立っているのが見えた。

オールバックの前髪はぐしゃぐしゃに崩れ、極限まで見開いた目は真っ赤に充血している。


社長が拳銃を持っているのが見えて俺も慌てて銃を構えたが、突然右手に激しい痛みが襲いかかり、拳銃を取り落としてしまった。


――撃たれた。


社長が次は脚を撃とうとしているのが見える。

脚まで使えなくなったら、俺は負ける。

が、丸腰の俺がここで抵抗しても何にもならない。

ぎゅっと目を瞑り、大人しく痛みが来るのを待った。



銃声、



沈黙、



悲鳴、



…沈黙。



――妙だ。


固く閉じた瞼をゆっくりと開いた。不思議なことに、衝撃が、痛みが、全く来ない。

外したのか?社長。


ぎゅうっと瞼に力を入れすぎたのか少しぼやけてしまっていた視界が、徐々にクリアになってくる。


何が起こったのかわからない、というような顔をして、社長が立ち尽くしているのが見えた。

社長のシャツが胸のあたりからじわじわと紅く染まっていく。

ようやく理解した。撃たれたのは、俺ではなく彼だったのだ。


「あ、あぁ…」

殆ど聞き取れないようなか細い声を上げて、社長がばたりと倒れた。



先程まで社長の身体で隠れていたものが見える。


微かになびく硝煙。

その先にいたのは――――


「ツ、ツツジ先輩…!?」


力が抜けたようにだらんと銃を下ろし、困ったように微笑んだのは、




俺が恋焦がれる女性ひとだった。

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彼は倫理と死んだので、 隣乃となり @mizunoyurei

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