エピローグ

第30話

†エピローグ


 九重家の邸宅は、随分と旧い建築様式の流れを汲む、大層厳かな日本家屋だった。

 大座敷へと通されていた俺達三人は、やや埃臭い座布団の上で、さながら借りてきた猫のよう。周りをぐるりと取り囲む障子戸は全て閉ざされ、暗がりにたゆたう蝋燭の灯りだけが、ぼうとこの空間の住人達を浮かび上がらせている。

 俺は、九重先輩の私服姿を見るのははじめてだった。それは普段の浮き世離れした印象からは意外に思える程ラフな格好で、こちらも正直目喰らってしまった。

 ――というより、ジャージである。その辺のファッションセンターでしか手に入らないような、本音を言うと大変残念なセンスで、しかも学校指定のものとは異なるので、わざわざ部屋着用に所持しているのではないか疑惑が俺の脳内に持ち上がってしまった。

 何にしても、急にお喋りになったり、表情は子供みたいにころころ変わるし、狼に変身するしで、九重ミュウネという俺の初恋相手の女性に抱いていた固定観念は、あの日を境に根底から打ち崩されてしまっていた。学校ではどこまで猫を被っていたんだこの人、って。いや、正確には犬なんだろうけれど。


「どうしたの啓太。痺れるなら足、崩していいのよ?」


 九重先輩は何ら気に留めていない素振りで、先程からその傍らで神妙そうに座す老婆を「そうそう、うちのお婆ちゃんよ」と説明してくれた。

 九重先輩は元々身寄りがいないのだそうだ。詳しい経緯は伝えられていないけれど、幼い頃祖父母の下に養女として預けられ、ずっとこの家で育ってきたのだという。

 九重先輩の祖母にあたる人物・九重夜子やこは〈観測者〉と呼ばれる一族の末裔だとかで、キカや先輩のような異特性存在、〈ハイエンダー〉達の歴史を伝承で受け継ぎ、その動向を文字通り観測してきたのだと聞かされた。


「――お話はミュウネから聞かされていますが、さあて、皆さんにはどこから話したものでしょうかね」


 夜子さんは、一介の高校生に過ぎない俺達が触れる事などない知識を、さてどう切り出したものかと先程から考えあぐねている様子だった。

 この大座敷の中央には、今の時代となっては古めかしい厚手の布団が敷かれており、それに埋まるように女の方のキッカが眠っている。それに寄り添うようにして、キカの母親だという女性が彼女を静かに見守っていた。

 キカの母親は坂薙とは面識があり、名をミカーシァさんというらしい。彼女は既に真実を聞かされたあとのようで、その眼差しは重くも、意外と落ち付いている。自分の息子が表層的なものとは異なる概念下に生きる存在だと知らされ、何より今目の前の息子が女の身体をしているのだ。唯一の肉親として困惑しないはずがないが、キッカは既に回復傾向にあり、今はただ眠っているだけ。母親もそれに心の底から安堵させられたのだろう。

 そんな、日月キカの変身を機に表面化した、幾つもの問題。

 あのあと俺達三人は、一時的に対立していた九重先輩との和解を果たしたものの、そのしわ寄せで消耗したキッカが倒れてしまっていた。そんなキッカの療養と性質的な調査を兼ねて世話になっていたのが、ここ九重宅だ。

 俺と坂薙は今回キッカの見舞いも兼ね、九重先輩と同居している夜子さんから話を聞くためここに来訪したという経緯だった。


「――あの……」


 沈黙に絶えかねたのか、夜子さんが話しはじめるのを待たず、自分から切り出してしまう坂薙。


「……もう危険はないのですか? これからキカや、それにみんなが危ない思いをしたりしなくて済むって考えてもいいのですか?」


 言いながら、その責任の一端はいずこにとでも訴えるように、チラと先輩に視線を投げかけて。九重先輩はそれに何ら表情を変えず、夜子さんの傍らに棒立ちのまま。


「普通の……今まで通りの生活に、私達は戻れますか?」


 彼女の心配事は至極もっともなものだ。キカとキッカが表出させる不思議な能力の正体が一体何なのか。それは安全なものなのか。争い事やトラブルに巻き込まれる危険性は。

 それ以前の問題として、根本的に彼の性別が逆転する現象自体が三人の『普通の生活』を激変させる要因となっていた。

 夜子さんはようやく伝えるべき言葉がまとまったのか、落ち着いた口調で語りはじめる。


「それは私から保証しがたい問題ね。どうしてかというと、過去に彼らが歩んできた歴史が、それを裏切らないとも限りませんから」


 不安げに問う坂薙に、夜子さんは穏やかに首を振った。


「ハイエンダーなる存在については、既にこの娘から伝えられているかと思います。ハイエンダーはヒトとは異なる、とても特別な〈本質〉を宿している」


 夜子さんは正座を崩すと、眠るキッカの元へゆっくりと這っていった。


「この子達・ハイエンダーはとても強い力を持った存在ですが、絶対数が極端に少ない。歴史の話をすると、近代以降は権力者側からもその力を重宝も脅威視もされなくなって、私のような〈観測者〉を残し、彼らの動向を追う者はほとんどいなくなってしまった」


 途方もない規模の話に飛躍していた。でも言われてみれば確かに、キッカや先輩が見せた力を違う目的に利用するなんて、想像だに容易い。俺が勝手に繰り広げた空想だけでも、国家の裏に暗躍する秘密組織同士の抗争を描いた映画が一つや二つ撮れそうな勢いだし。


「ではキカが悪い大人達に利用される心配はない、って考えていいのですか?」

「ええ、そちらの心配はないわね。今の時代、この子達の力を悪用するよりも沢山の鉄砲を製造して売る方が、ずっと世の中を回しやすいようになってますから」

「そうか……そうなら、よかった……です」

「そして、歴史の表舞台から忘れられたハイエンダー達を探し出して導くのがお婆ちゃん達〈観測者〉の役目なの。彼らの力の発露が、誤った道に決して向かわぬように」

「それで、先輩はキッカや俺達を試した、と……」

「ええ。まぁ、正確には啓太や坂薙さんじゃなくって、日月キカ本人だけを、のつもりだったんだけど。それについては本当に悪かったと今でも思ってるわ」

「キカさんが果たしてどのような〈本質〉を宿したハイエンダーなのか、私にもミュウネにもにも全く掴めませんでした。異なる二つの鍵を要して、それも人間そのものを。伝承上の吸血鬼に似た特性を持つものかと思えば、性質も別にある。こちらとしても、全くの異例ずくめでお手上げでした」

「あの……『ハイエンダー』がキカや九重先輩で『鍵』が私と啓太を指しているのは理解できるのですが、何度も言われる『本質』とは、一体何なのですか?」


 坂薙が根本的な疑問を口にした。それは掴み所のない言葉で、実は俺自身も気になっていた点だ。

 すると夜子さんは九重先輩に手招きし、先輩はその隣に座る。


「この娘――ミュウネは、私が個人的な事情で預かったハイエンダーの子供でした。ミュウネ、あれを見せておやりなさい」

「はい、お婆ちゃん」


 九重先輩はジャージの胸元から、銀の弾丸のペンダントを取り出した。例の黒狼に変身する時に見せたもの――つまりハイエンダーとしての彼女の鍵にあたるものなのだろう。


「ミュウネはね、三奈鞍高校が建つ土地の、古き土地神の化身――と認識されていたの」

「か、神様……なんですか!? それはまた、とてつもなく気の遠い……」


 またとんでもなく飛躍した事実を伝えられ、俺の理解力は麻痺してくる。


「勿論、神様というのは、あくまで当時の人間側がそう認識しただけの可能性があります。それにこの子は世代交代を繰り返している故に当時の記憶を継承しているわけではないので、実のところはっきりとはわからないの」


 世代が代わるなどと常人の理解を超えた境遇までさらりと伝えられてしまったが、夜子さんは可能性という言葉にも含みを持たせる。要するによくわかっていないのだろう。


「さてここからが本題。ミュウネは〈守り手〉の〈本質〉を持っています。それが何を意味するかというと――」


 夜子さんは先輩に目配せすると、先輩はその言葉を継ぐ。


「――文字通り『守る』の。この地を守るために都合がいい世界を自分の周りに創る事ができる。キミ達も見たはずよ、学校で様々なものがあたしの干渉を受けたのを」


 先輩が指しているのは、椅子や屋上のフェンスを生き物のように動かしたり、壁をくり貫いたりしたあの不思議な現象の事。〈守り手〉と名乗ったのは、守護者であると同時に学校そのものが彼女の力場なのだろう。いずれにしろ、九重先輩の役目が学校を不和から守る事にあると話したのは、言葉通りの意味だったのだ。


「逆説的に言えば、守るという〈本質〉のためだけに、あたしという存在が形を得ている。これを〈形相〉サーフェイスと言う」

「キカさんの〈形相〉は、あなた方が『キッカ』と名付けた少女の事です。あれは一見、キカさんの深層心理や願望が投影され生み出された第二の姿のようにも見えますが、正確にはキカさんが固有に宿した〈本質〉が表に出たものなのです」

「ええと、じゃあキカ固有の〈本質〉っていうのは、何なんですか!?」


 それが俺の最たる疑問の一つだった。そもそも自分が何者かなんて、本人が知るよしもないのだろうから。


「日月キカ――その子が何者なのか、貴方たちに伝えなければならないようですね」

「それは、俺達二人がキカの『鍵』――だからですか?」

「それもあります。対になる存在とも言えますから、パートナーとしても知っておいた方がいい。けれども実はね、より大きな理由が、もう一つ」

「ええっ、もう一つって……これ以上何が!?」

「その子の宿す〈本質〉――ここ数日カウンセリングを続けた結果、朧気ながらその全容が見えてきました。それは、大変興味深い。こんなに面白い〈本質〉を宿したハイエンダーと出会えるなんて、私も随分と驚かされてしまいましたよ」

「おも……おもしろい……ですか」

「――こら、お婆ちゃん、勿体ぶらないで。ちゃんと彼に伝えてあげて」

「ふふふ、これは失敬。でも悪くない知らせですよ」


 一呼吸置いて、夜子さんはキカの前から立ち上がった。自分自身の事ではないけれど、何だか他人事じゃないような事をほのめかされているように聞こえて、俄然緊張が高まる。


「日月キカさんの内なる〈本質〉は、そうね……例えるなら――」


 ――例えるなら、彼は〈ヒロイン〉なの。


 夜子さんは、囁くように舌に乗せて、そう発したのである。


「〈ヒロイン〉の役割を宿したは、自らそうあるためには周りの世界そのものがある種の物語性を帯びなければならない。そして物語にはヒーローが必要になるわね?」


 夜子さんはキッカに向けた視線を、道標をなぞらえるようにこちらに振り返ると、俺の目を真っ向から見た。


「――そう、佐村啓太さん。貴方こそが彼女にとっての主人公なのよ」


 夜子さんの伝えた一字一句、頭から入って、咀嚼とかの工程をすっ飛ばして、片っ端からダダ漏れていった。


「そ、そんな……空前絶後な事態をき、キカはちゃんと知って……いるんでしょうか?」


 しどろもどろに舌が暴れている。事態が飲み込めない。俺が、キカの何だって!?


「勿論その子は知ったわ、それでショックを受けて寝込んでしまってるのですもの」


 そんなに楽しそうに真実を突き付けられても、こちらはまだ受け止められていない、受け止めるには何をすればいいのか、何が必要なのか、それを考えるためにまず一週間程逃避行に出たい衝動が先に湧き起こってきた。


「いい? 貴方が日月キカという一人の少女にとってのヒーロー。つまり彼女の〈本質〉から生み出された物語の中の、主人公と言うべき存在なのよ。それを重々肝に銘じておきなさいな」


 嗚呼、神よ――なんて悔いるベタなシークエンスなんてのは、外国の映画であれば間違いなくこのタイミングに違いない。

 俺は、自分があの時超人になり得た空前絶後のロジックをこの時突き付けられ、それから軽く三十分程は絶句し続ける羽目になったのだった。


   * * * * *


 自分の中で考えがまとまらず、俺は一旦退席してきてしまった。

 真っ白になった頭のままでトイレから戻ってくると、襖の外にぽつんといた九重先輩に呼び止められ、何故か缶コーヒーをいただいた。

 初恋の人で、そんな彼女の正体を目の当たりにして、それが意味するものも知らされた今となっては、この人にどう接してよいものかもわからない。恐ろしい、とさえ感じても不思議ではない。

 ただ、今の先輩は俺が知っていたはずのあの人よりもうんと人懐っこくて、ミステリアスな霧が晴れたあとも、どこか心を繋ぎ止められる感覚が変わらずにあった。

 そうして昼下がりの縁側に腰掛けると、ごく自然な流れで二人、話をはじめていた。


「――男のキカと、女のキッカ。俺はあいつにとって、両者を行き来するための単なるきっかけでしかない。そう思い込んでた。あくまであいつ自身の問題だって、どこかで他人事

のように受け止めてた」

 でも、違った。


「あの、俺、先輩には本音を言います」

「うん。言ってごらん」


 九重先輩は頬杖を突くと、俺の聴き手に回ってくれた。


「――――重い」


 それが、キカの真実に対する、俺の率直な思いだった。


「俺に、あいつがそうあるためのヒーロー像を仮託されるなんて、正直困る」


 夜子さんから伝えられた事が真実なら、俺はあいつにとっての特別だ。キカにとっての自分がそこまで特別だったのかと驚愕させられてしまったけれど、同時に俺がキカの心を奪うような真似をした記憶もないので、その根源が何なのか余計に悩まされてしまうのだ。


「キカは何になりたかったのだろうか、これでそういう願望をキカは実現できたのだろうかと、さっきから色々と考えてました。答えなんて出ないのに……」


 同じ女性である九重先輩なら、あるいはその答えを持ち合わせてはいないだろうか。


「そうねえ、確かに、渦中の人物であるキミにとっちゃ……あれはちょっと重いわねえ」


 同じ意味の重い、で返す九重先輩は、しかし目尻に微笑をたたえている。


「でも願望ってのは、どうかな?」

「違うんですか?」

「私達ハイエンダーはね、それこそ自分自身や誰かの願望を叶えるための存在じゃないわ。願望と〈本質〉は全く異なるものよ。〈本質〉は自身が望まずに持ち得た先天性の概念で、願望は後天的に想い描いた気持ちだもの」


 そう呟いて、あのペンダントを取り出して見せた。銀色の弾丸。その由縁が何か先輩の口から語らえたわけではない。でも、この人にとってはとても特別な意味のあるものなのだと、それに優しげに触れる指先が訴えかけてくる。


「あたし自身ね、黒い獣の眷属としてこの土地を守りたいなんていう願望があるわけじゃないの。あたしがあたしであるのと、あたしの〈本質〉は別。そうしたくてしてるわけじゃないわ。あの子だってきっとそう。生まれながら逃れられない属性なのよ」


 囁くように先輩は言う。それがこの人の自問自答にも聞こえて、知らず聴き手の役割が反転していたのに、そうある事が俺にはごく自然に思えた。


「それにさあ、願望なんて言うなら、私はずっとヒトの女の子でいたいなあ」


 そう、平穏な自分を渇望するかのように。何故か俺は、そこに彼女なりの『重さ』を感じてしまった。それはキカのものと同質で、俺ごときには想像もつかない。


「あーあ、あたしも本音、言っちゃおうかなあ」

「…………言っちゃって下さいよ。俺、聞きますから。聞くだけなら!」


 などと、調子付いてしまった。あの九重先輩とこんなに話せたのははじめてで、せめて心だけでも触れるのを許されたような気になって。

 でも俺の言葉に先輩は、にこりとしたあの不敵な笑みを返して、俺がしまったなどと焦らされる間もなく、急に神妙な目を見せ話を続ける。


「――個人的な意見だけど、キミがキカとともにあるのは、あたしは反対よ。ハイエンダーの〈本質〉は一人の内に収まってそこに完結されるべきなの。ある自己の本質が他者の本質にまで干渉してはいけないと思う。とんでもない越権行為、侵害だわ」


 それは本性を現した先輩はじめての、厳しさの込められた言葉だった。


「あとそれにね、以前キミの告白を断ったの、あれ聞き間違いだからね。あれは『今かっこあたしはかっことじる男と付き合っている』って言いたかったわけじゃなくって『今かっこ貴方は日月キカいこーるかっことじる男と付き合ってる?』と質問しただけよ」

「――? えええ、そうですか……ええと、はい……って、今の最後なんて……は?」


 何を言われたのか、正直意味が理解できなかった。今のが実は九重先輩流の冗談なのか、それとも本気なのか、ふざけているだけなのか。とにもかくにもまくし立てるような早口で読み上げられた長台詞。聴き手が咀嚼できない密度で、否、そうさせないつもりなのか、と言いますかこの人の頭の中に潜んでいるらしい台本は一体どうなっているのか。


「さて、佐村啓太。可能性を一つキミは得た。さあ、キミはそれでも彼女を望むのか」


 何だか有耶無耶にされてしまった中、急に突き付けられたそんな問いかけに、俺は動揺した。俺は、俺には、受け入れる以外の選択――そもそもキカにこの関係を取り消させる手段なんてあるのだろうか。


「…………いや、さすがにそんなの急に言われてもわからん。全然わからん。でも俺は当事者の一人なんですよね」

「そう。いえす、よ」

「だったらなおの事、俺には全部わからなすぎて、だからもっと知りたい――なんて選択肢を、その可能性だけでも期待しちゃ、だめですか?」

「ああ……そう言えばキミってそういうこすからい神経のやつだったなあ……」


 こんな答え方は我が儘だったのだろうか、九重先輩の言葉を奪ってしまった。

 でも、考えてみてもどうせわからないのだ。日月キカが何者で、九重ミュウネが何者なのかなんて。

 俺は、偶然にも選ばれていた。歩んできた過去だけではなく、あるいはこれから続く未来に、そういう特別な物語を希望する相手に。

 それは一目惚れのようなもの。その重さに耐えられるなら、答えてやりなさい。夜子さんはそう俺に囁いた。重みの話なのに、どこかくすぐったかった。


「ええ、そうね、キミは好きになさい。ところで――――」

「「うわっ」」

「――――やめっ、押すな馬鹿ッ!?」

「サナッ――――こそ、ひゃあああ!?」


 ぎぎっ、ばたーん、などと鈍い音がした。いや、音じゃなくて、衝撃だ。要するに、痛い。確実に今のは俺の痛覚だ。


「あ……ははは、こんばん、にちは……ケータ」


 俺が器用に首を半回転程ねじ曲げて睨んでやると、寝間着姿のキッカと坂薙鈴乃が、大座敷側から半笑いのツラ引っさげてこちらを観察していやがる。

 その場所に存在し大座敷と縁側廊下との境界線を取り決めていたはずの襖から、それはもう見事なまでの風穴開けて俺こと佐村啓太の頭部が貫通しのぞいていた。


「……のぞき見か、大したご身分だなお前ら」

「人聞きが悪いぞケータ。これは、うん、ワタシ達からの思いやり、お二人への気遣いだ」

「ちょっと待てキッカ、何だその口真似! 私のつもりか!!」


 場を和ませるつもりなのか坂薙の口調を真似て見せたキッカに、露骨に動揺して突っかかる坂薙。相変わらずの夫婦漫才――と言うより、それはまるで姉弟のようにも見えた。


「佐村啓太……お前という奴は私らが間に、つい先日まで対峙していた敵と、随分と馴れ馴れしい内緒話だったようだな」


 キッカを押し退けると、不敵な表情に人差し指でビシッと決めてくれた坂薙。一方の九重先輩は、それにカチンと来たような顔をして、急に立ち上がる。この二人、どうにも仲が宜しくないようだ。


「へええ、誰が犬ですって?」

「犬とは言ってない! 貴様はどちらかと言えば女狐だろうが!!」

「――ちょっ、サナギちゃん!?」

「はっ! この狼様を狐呼ばわりするか、胸が平らで色香の足らん小娘風情が」

「なにおう、このちんちくりん! ファッションセンス皆無のおかっぱ古代生物が!!」

「――劣等種」

「ぐぬぬぬっ!!」


 坂薙と九重先輩、気だけは強そうな二大女性の間に、火花のようなものが散っているのが見え――いや、見えはしないけれど。

 でも不思議と怒る気にも、止めようという気にもならなかった。

 今はいいのだ、これで。


 なあ、キカ。

 お前が、お前が知らずに持っていた力で、知らずにつくり上げていたこんな設定。

 こんな世界、こんな物語、こんな関係。

 そんなたくさんが、ここでエピローグを迎えちまって、果たしていいものなのか。

 どうせなら、新章に突入して貰わないと、だよな。

 それに一生女性に触れられないのなんて、俺だって勘弁被りたい。

 そんな、はじまったばかりで何もわからない俺達だから、次はたくさん知って、よりわかり合うために。


「あー、ところでお前らさ。とりあえず、外してもらえんか? これ……」

 完全にこの場の主導権を剥奪されたままだったけれど、そう言えば俺、デカい障子戸に首突っ込んだ無様な格好のまま放置されていたのを、今更思い出したのだった。(了)

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ハイエンドガールズ~そしたらキッカがくつがえりました。 学倉十吾 @mnkrtg

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