第28話

 生徒会室の扉を開け放った瞬間、俺達は自らが異質な空気に包まれるのをはっきりと感じ取っていた。


「なんだ……こりゃ……」


 あまりの異様な光景に、驚愕の言葉が自然と喉から漏れてしまう。

 生徒会室は、教室を二クラス分、互いの壁を取り払って繋ぎ合わせてつくった場所だ。これは生徒会室自体が元々多目的用途の特別会議室を兼ねているためで、無駄に広いので執行部達は平常時カーテンで仕切って使用しているらしい。

 その室内の前半分に、室内中の長机と椅子とが集められ、まるでジャングルジムかピラミッドのように積み上げられている。

 それが殊更異様たる所以は、整然と並ぶ長机や椅子の金属製の脚が溶接されたように、さながら一個体として製造された構造物かのごとく各々が絡み合っていたからだ。


「なっ――――キカ!? ほら、あそこっ!」


 最初にその名を呼んだのは坂薙だった。その言葉の指し示す先にこちらも視線を追従させると、ジャングルジムの内部にようやく人の姿が浮かび上がってくる。

 間違いない、キッカだ、あの中にいるのは。今は気を失っているのか、瞼は閉ざされ、ぐったりと不自然な角度に頭が傾げられている。昨日に取引で入手した女子制服はぼろぼろに汚れて、ところどころ裂けた生地があの黒狼との戦いの爪痕を残していた。

 机のねじくれた脚に四肢を拘束されているキッカ。ジャングルジムはさながら彼女を捕らえる鉄格子めいてそびえ立ち、うずたかく積み上げられたその頂にあの人の姿があった。


「九重……先輩……」


 膝を組んで高見に佇むのは、九重ミュウネその人である。


「貴方、キッカに一体何したんだ!」

「――無力化しただけ。その子の命に、別状ない」


 低く抑揚の薄い口調で淡々と語る九重先輩。

 気になるのか、結われた長い黒髪をしきりに櫛でといては、毛先をつまんで眺めている。それを伏し目に眺める瞳が長く整った睫毛を伴って、無表情な彼女を気怠げそうな画として描いている。


「日月キカ、〈ハイエンダー〉の癖に存外弱っちくて、私……とってもがっかりさん」


 不思議なのは、彼女の手にしている櫛がべっ甲細工の妙に古めかしいものだという点。同じ制服に身を包んでいながら、どこか和装の日本人形めいた九重先輩の雰囲気にそれが似つかわしく、この場の現実感を殊更に暈かしている。


「ね、佐村さん。キミがなかなかやって来なくて、私、待ち惚け」


 そしてその立ち振る舞いは、この状況においてなお他人事のよう。


「ただ、よもやそっちの娘まで着いてくるとは露知らず」

「――ちょっと待て。貴様、それはどういう意味だっ」


 九重先輩の言葉が自分を指してのものと気付き、すぐさま坂薙が切り返す。その語気に込められているのは、露骨な敵意の色だ。


「私、坂薙鈴乃に用はないの。キミはそこの似非吸血鬼――日月キカの単なる鍵でしかない。だから、この子が目覚めてる時は舞台に上がってこないで」

「ふざけるな! 私の身内に怪我させておいて、何を勝手な言い草を!!」


 そんな坂薙の剣幕に全く動じた素振りを見せず、先輩は高みに佇んだまま視線すら合わせようとしない。

 最初に行動を起こしたのは、坂薙の側だった。咄嗟に生徒会室の隅に駆け寄ると、特別に備え付けられていたらしき消火器を手にする。使い方を心得ているのかは別に、坂薙はそれのホース部分を外し九重先輩に向け、強い語調で言い放った。


「キカを自由にしなさい。今すぐに!」

「――拒否。それとね、私、騒々しい子は嫌い。大嫌いよ」


 寡黙な九重先輩の声色が、やや冷たい感情を帯びたように聞こえた。

 途端、ぎぎ、と軋んだ音が室内に鳴り響いた。それは突然で、あまりの光景に声を失った。ジャングルジムを構成していた長机の一つ。その黒く塗装された脚が悲鳴のような音を上げ、本体から分離したのだ。

 非科学的な融合現象から解き放たれたそれは、四足歩行の獣のように脚を震わせると、バネの要領でしならせて弾け飛んできた。


「うわっ、坂――」


 声が届くよりも早く、俺は駆けていた。宙をゆっくりと円運動する長机の天板。それを避けるように頭を低くして、消火器を手に唖然と立ち尽くしていた坂薙へと覆い被さる。

 俺と坂薙は接触の勢いで縺れ合い、床にちりぢりに転がった。

 ほんの数秒とは言え坂薙に触れた事で、俺は金縛りに意識と身体の自由とを奪われ、麻痺した神経にその場で身動きが取れなくなってしまった。

 一方、自律駆動して跳ね飛んできた長机の奴は、一旦床面に着地すると再度暴れ馬のごとく脚を跳ねさせて、横たわり咳き込んでいた坂薙の上に飛び乗るのが見えた。生命に近しい何かを得た長机はそのまま金属の脚をくねらせ、うつぶせ状態だった坂薙の背にのしかかって押さえ付ける。原理は全くの謎だが、それは俺やキッカを束縛したのと同じやり方だった。


「うひゃあっ、気持ち悪い、何だこれ!? ちょっ、重いって、離せ! 私の背中からどけっ!!」

「ふぅ。その子、口も塞いだ方がいいか」


 呻く坂薙に一瞥くれると、高みの見物を決め込んでいた九重先輩がジャングルジムの上から飛び降りてきた。

「うぐ……さか……な……ぎ…………こんな、畜生……」

「佐村さん、キミのそれ、自爆。自分の意志で女に抱きついたのでしょう?」


 感覚の戻りはじめた右腕で床に肘を付き、歯を食い縛り上体を起こす。舌の痺れる感覚はすぐに引いた。どうやら今回のダメージは浅かったようで、あと数分だけ時間稼ぎできれば走り回れる機能くらいは取り戻せるはずだ。

 でも、動けたとして、この場で九重先輩に対して何ができるというのか。キッカをジャングルジムに拘束する原理にしても、今見せたの謎の技にしても、一男子高校生に過ぎない俺に何がどう抵抗できるって。


「なあ先輩……貴方の、その椅子とか机を弄くるおかしなの能力は……」

「日月キカと同質の力。それと、私のは別に椅子とか金属に限定されない。この学校全てが私の支配下、意のままに」


 髪を手櫛ですくように流すと、九重ミュウネが俺達の前に対峙した。それは、単に高校生同士でする喧嘩の対立者としての姿なのか、それとももっと別の意味が含まれるのかはわからない。ただ、かつての想い人が、二重に触れられない存在へと形を変えた上で、彼女自身の意志で俺の前に立っていた。そして、今の想い人や大切な友人が彼女になじられている。そんな状況に心がひどく戸惑わされ、強く心がざわつく。


「学校……って、なに、何なんだよ、そのスケールのデカさは……」

「だって、助けてあげたでしょう、屋上で」


 その言葉にハッと息を呑んだ。あの時の屋上――針金で編まれたフェンスをねじ曲げた魔法めいた何か。あれはキッカでなく九重先輩の能力だったのか。


「あの時私が手を差し伸べてなかったら死んでたわ、佐村さん。似非吸血鬼が力を適当に振りかざした挙げ句、従者のキミを殺したかもしれなかった」

「エセ吸血鬼……って、貴方はキッカが何をどうしたって言いたいんだ。確かに助けてくれたのなら感謝するが、だったらあの時の生徒達を操っていたのだって貴方じゃないのか」

「……ええ、そうね。あの子達は、私の仕業。佐村満月の件も私の仕業」


 抑揚なく、九重先輩はただ淡々と事実だけ述べてゆく。俺にのし掛かった満月も、やはり九重先輩に操られていたのだ。そうして俺達の脳裏に滞っていた数々の違和が、先輩の応答によって徐々に繋がりはじめていた。

 俺はジャングルジム内部に拘束されたままのキッカを指して、先輩にこう突き付ける。


「大体、何がどうなってこんな事になってるんだよ。主人公と最終決戦するラスボスごっこかなんかのつもりなのか。いい加減、現実を履き違えてないか!」


 根本的な疑問を先輩に投げかけたかった。俺達が立ち会ってきた数々の事態も、その裏に暗躍してきたらしき九重先輩の立ち回り方も、それら全てがとにかく回りくど過ぎて、少し腹が立っていたのだ。


「こういうロールプレイング・ゲームみたいな、演劇めいたのはもういい。ちゃんと、俺達にわかる言葉で話してください。ごっこはもう終わりだ。それじゃ駄目なんですか!」


 九重ミュウネという女性が果たしてどんな境遇や事情や内面を抱えている人物なのか、実は俺自身も詳しく知らなかった。単に口数や表情が少ないミステリアスな印象と、クールさに反して愛らしい容姿に惹かれたというだけ。何の釈明にもならないが、それは直感、本能によるのものだ。

 そんな相手と、このような形で再び相まみえる羽目になるとは。知りたかった彼女の内に潜むものの正体が、こんなものだったなんて。


「厭。ラスボスと主人公ごっこ、継続します」


 でも、あくまで先輩は拒絶する。


「キッカをそこから解放してください、九重先輩……」

「止めたら意味ないの佐村さん、これはね、じゃないと駄目」


 押しても通れそうにない頑なな先輩の態度に、実力行使の衝動が脳裏をよぎる。しかし、あの黒狼がここに乱入せずとも、俺は力尽くでも彼女に敵いそうもない予感がしていた。


「――――キカ……キカーっ!!」


 緊迫を断ち切るような声。坂薙がそう呼びかけたのは、全く唐突なタイミングだった。


「ねえキカ! 起きて! いい加減目を覚ましなさいっ!」


 その台詞が耳に届いたのか、キッカの瞼がわずかに震え――ゆっくりと、ゆっくりと見開かれた。それは今まで彼女が眠ってなどおらず、ジッと目を閉ざしていただけのような、そんなごく自然な目覚めの動作だった。


「サナ……ギちゃん……ケータ……。みんな……来ちゃった……んだ」

「キカ! 吸血鬼だか何だか知らないけど、お前が何だか凄い力を持った奴だったっていうのなら、ヒーローみたいに自力でそこから出てきなさいよっ!!」


 しかし、目を伏せたキッカから返ってきたのは、無言による返答。代わりに答えたのは九重先輩だった。


「無理よ。その子、日月キカは特別。私と同じ特別。でも、おんなじでも、彼女は弱い。拍子抜けするくらいに弱かった」


 身動きができないキッカの前に歩み寄ると、九重先輩はその顔を哀れむでもなく、ただ外から感情の抜け落ちた視線を送り、


「何でそんなに弱いのかを私は知りたい。いえ、は不正確。この子、隠しているの。日月キカの持つ〈本質〉の力が私の想像していた形と違うらしかっただけ。だから、それを暴くのが私の役目」

「だから、貴様のその言い方がわからんと言っている! ちゃんとわかるように説明すれば済むだろってさっき啓太も言ってただろう!」


 坂薙は長机の脚に自由を奪われもがきながら、必死で訴えかけてくる。


「ええ、確かにそうね。キミ達三人に私達の世界を説明するのに、こんな物語じみた筋書きなんて本来必要なかったかもしれないわ」

 先輩は言うと、制服の胸元からネックレスを取り出した。見覚えのある、銀色にきらめくチェーン。その先端には、カーテンを締め切った暗がりの部屋でも淡い光沢を放つ、筒状のペンダントが結び付けられている。

「では、キミ達の知らない私達の世界の話……その似非吸血鬼、キカが仕組みを伝えましょう」


 その先端部を愛でるように指先で転がしてから、優しく握りしめた。その不思議な仕草と光景に、これから語られる何かを想起して、思わず息を潜める。

 先輩の口から語りはじめられたのは、本来知るよしもないであろう別世界の秘密だった。


「物事には何にでも〈本質〉というものがある。佐村啓太はどこまでも佐村啓太。制服を脱ぎ棄てても、成長して性格に変化がきざしても、嘘をつき道化を演じても、例え表層や実体すらすげ替えられたとしても、変わりはしない。それが絶対的な、普遍的な〈本質〉」


 九重先輩は、再び俺と、そしてキカを拘束するジャングルジムの間に立つ。


「でもそれはキミ達側の世界のルール。は違う」

「違う……って、そんな……まるで先輩が人間じゃないみたいな言い方を――」

「そうね、語弊があった。互いにここに在る限りは、同じ人間。でも本質は違う。私達はね、この世の歴史の裏に人知れず存在してきた、実体としての〈形相〉サーフェイスと内なる〈本質〉の関係にひずみを持った、種として異質な概念――」


 手のひらで転がしていた円筒系の物体。九重先輩はそれを親指と人差し指で摘まむと、俺に見えるよう掲げた。


「――それが〈ハイエンダー〉……私のお婆様はそう呼んでいる」


 九重先輩が見せたそれは、銃弾。鈍色の輝きを宿した、銀の弾丸だった。本物か模造品かの判別は付かないが、細工を施してペンダントにしているようだ。ただ少なくとも、彼女のような年代の高校生が身に付けるアクセサリーにしては、かなり物騒なデザインをしていた。


〈形相〉サーフェイスと〈本質〉の関係に矛盾を抱えた私達ハイエンダーは、特定の自己暗示を鍵にして自らの〈形相〉サーフェイス――つまり実体をくつがえせる性質を持っている」

「あの、今言った鍵……って、まさか……」

「えっ、それ、私の事!?」


 俺が坂薙の方を振り返ると、先程まで張り詰めていた緊迫感が途端に凪いで、予想外に素っ頓狂な反応が返ってきた。九重先輩が予想外に真面目に難しくておかしな話をしはじめて、戦意のぶつけどころが霧散してしまったせいもある。


「そうよ、キミ達二人が鍵。そこにいる日月キカの〈本質〉はまだ把握できていないけれど、私の想像だと〈女吸血鬼〉みたいなものなのかしら。彼と彼女とを切り替えるスイッチは、大切な幼馴染みの血液。だから日月キカは吸血鬼を思わせる特性を持つし、〈本質〉に目覚めれば女の子の〈形相〉サーフェイスを露わにする」


 俺はその説明の意味が理解できたようで飲み込めず、正直困惑する、


「日月キカの事例はとても珍しい。入口の坂薙鈴乃と、出口の佐村啓太。覆すための鍵が二つもある。そもそも人間そのものが鍵になるなんて前例がないし、何より非合理的」


 解き明かされた不思議の一つに、思わず坂薙と互いに顔を見合わせてしまう。


〈形相〉サーフェイスと〈本質〉の関係を覆すハイエンダーの性質は、それ自体が現実世界を変革して、科学を超越した現象を引き起こす事ができる。伝説に残された吸血鬼の正体なんて、案外と日月キカのような超越的存在が寓話化された、そのなれの果て」


 キッカを『似非吸血鬼』などと形容していた所以について、九重先輩が口にする。


「もう一つ、キミ達の知らない秘密を暴露しておきましょう。ねえ佐村さん。キミが異性に触れられなくなった理屈、どうしてだかわかる? 私に振られた経験が、キミ自身にそこまで痛烈なトラウマを受け付けたはずなんて、あるのかしら?」


 ――と、俺の古傷めいた過去について、当事者である先輩から逆に問われてしまう。


「えっ、何を言っているんですか。俺の女性恐怖症は、だって一年前のあの日から――」


 一年前の夏に仲間達と行われた恋愛競技。その終幕に知り合った九重ミュウネという上級生に見惚れてしまい、そしてゲームを終わらせるためという口実で、俺は告白した。


「――――先輩にその、告白……して、でも俺は……失礼な事言って。ぶっ飛ばされて」


 浅はかな奴だったあの頃、告白した理由を本人から問い返されてしまった俺は、ミステリアスな女性・九重ミュウネの顔に惚れたので内面を知りたい――などと真顔で伝えていた。それが失恋のきっかけになったのかどうかは、今目の前にいる九重ミュウネ本人のみぞ知るものだろう。


「では、キミ自身が今こそきちんと事実を知っておくべきね。キミのその体質、それは日月キカがキミに課した暗示――いいえ、呪いそのものだわ。全部その子が仕組んだ事。今のキミ達三人の関係も、全部」

「な――――――」


 その事実は、事実たり得るかどうかを別に、俺の声を一突きのもとに奪っていった。


「女性恐怖症なんてまやかし。キミはあの頃、日月キカに出会っている。同じハイエンダーである私と接触した事が引き金。その前後に何かあったはずよ。でも、キミは今まで体質に何の疑問も持たなかった。だって、それも含めての呪いなのでしょうから」


 あまりの衝撃に、舌の根が震え呂律もきちんと回らない。固定観念が脆くも根底から崩れ去ったような、喪失の瞬間にも似た。

 キカの正体がどうだとかよりも何よりも、これこそが俺が知りたくなかった事実だった。


「キミは、日月キカの女性体にだけは触れられる。そこにあるのはあるじと下僕の関係性。他の女相手に鍵としての機能するのを許さないためなのか、あるいは単に純潔性を求めてのものなのか……さて、先程も教えて貰えなかったけれど、もう一度聞いていいかしら、日月さん?」

「…………だから、わたし知らない。ケータにそんなことしないよ……そんな覚え、ない」


 口を開いたキッカの声は、聞きたくもない程悲痛なものだった。


「知らないもの…………わたし、そんなことするはず、絶対にない……わかんない……」


 キッカの顔を見るが、彼女は目を伏せ黙ったまま。それは疲弊や傷心からのものに違いないと思いながらも、その態度に何故か不安が燻り、焦らされる。


「まあ、他のハイエンダーのプライベートな事情なんて、いいか。苛めるのが目的じゃあないもの」


 そう言うと、九重先輩は先程のネックレスを首から外し、そして何のためなのか手首にかけて見せた。


「折角見繕った時間にあまり猶予がないから、私の目的を果たしましょう。日月キカにはまだ私達に見せてくれない秘密がある。この子が仮に伝説の吸血鬼の正体だとしても、私にこんなにあっさりと捕まる程軟弱なはずない」


 一歩進み出て、手を前にかざす。その仕草に何かの予兆を感じる。


「私がこの学校という世界がはらむ万物事象に干渉して操作できるように、この子にだって何か固有の能力があるはず。ハイエンダーとはそういう存在。身体能力が通常の人間よりも高まる――ただそれだけに止まるわけない。キカが女の子として観測されるようになるのも、その子から投影された〈本質〉が見せてくれる結果に過ぎない」


 九重先輩は、手首に下げたネックレス――その先にぶら下がる銀の弾丸を、そっと指先で摘まむ。


「日月キカのハイエンダーとしての〈本質〉が見せる性質は何か。それを解き明かすために、この舞台立てが必要だった。だからね、の言う『ラスボス』の演者は、であるべきなの。ハイエンダーの従者たるキミも、もう少しだけこの物語に付き合って頂戴」


 曇った色の光沢を放つ銀の弾丸。その先端部を口元に運ぶと、九重ミュウネはゾッとさせられる程に鋭く歯を剥いて――何とそれを、尖った犬歯で噛みしめたのだ。


「さて、そろそろ最後となる実技の授業を開始しましょうか。あたしのハイエンダーとしての〈本質〉は、とりあえずこの地の〈守り手〉とでも名乗っておくわ」


 弾丸から手を離すと、瞬間、ぶん――と耳鳴りに、皆を取り巻く世界が歪んで。


「そしてこれがあたしの鍵――」


 周囲の空間が切り替わる、現実がどこかへと喪失する、非現実な何かへと巧妙にすげ替えられてしまう、あの奇異なる塗り替えの感覚。

 弾丸を噛んだ彼女の歯がみるみる牙へと変容してゆく。目の前の、小さく愛らしい人形めいたあの体躯の輪郭が酷く捻じれ――――

 ――そうして、あの黒い巨狼へと、九重ミュウネはおぞましき変貌を遂げたのだった。

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