第26話

 教室を出てすぐの事だ。俺は坂薙とキッカの行方を捜すため、あてどもなく廊下を走りながら携帯端末で二人の番号を探していた。

 だが、こちらが発信するよりも先に端末が着信音を奏ではじめた。普段はバイブ設定になのにもかかわらず、九重先輩の仕業だろうか、いつの間にか端末のマナーモードまで解除されていたのだ。

 咄嗟の事に慌てて端末を取り出すと、画面には明滅する『未夕音さん』のアイコン表示。何とこのタイミングで九重先輩からだったのだ。


「――――おはようさん。あの子、クラスにもう馴染めたかしら?」


 通話早々に投げかけられるのは、そんな思わせ振りな台詞。


「馴染めた……って、それはどういう意味ですか?」


 正直、俺にはそれが何を意味するのか理解できない。理解する必要がないと彼女は言ったが、ではこの人は何故俺達にそうまで関わってくるのか。

 いや、違う。今の先輩の台詞から、俺はすぐに察するべきだった。俺はそれに遅れて気付いてしまい、ショックで息を呑む。


「――――まさか、あれは……先輩がやらせたんですか……あいつに」


 それは言うまでもなく、キカがキッカの姿のままで登校した事だ。そして、俺が教室ででっち上げた『九重先輩からの罰ゲーム』が、ある意味では真実だっただなんて。


「……ご名答。キミを人質に、日月キカにそんな条件を出したわ。そのままの姿で学校に出てきなさい、でないと佐村啓太の頭蓋が牙で砕かれるかも、って」

「どうしてそんな真似を。学校中にキカの正体をばらして、貴方は一体何がしたいんですか!」


 今度ばかりは、語尾に憤りの色が混じっていた。九重先輩に向けたものだ。悪ふざけなのか正当な意図があるのか知らないが、どちらにしろ腹が立たないわけがない。


「言ったでしょう。日月キカ――あの似非吸血鬼の〈本質〉は今の姿にこそある、って」

「それと学校に何の関係があるんだよ! 話があるなら面と向かってすればいい!」

「それは無理。彼女から知らないって返されるだけ。そして知らないのも本当。だから、彼女には本来の自分に慣れてもらって、それから〈本質〉を汲み取る必要がある」


 九重ミュウネは、続けざまに言う。


「必要な餌は撒き終わったから、遊びはこれでおしまい。次はあの子が皆に答える番」


 どこまでも噛み合わない対話。俺には、九重ミュウネという人物が何をしたいのか、何を企んでいるのか全く読み取る事ができない。

 あのクラブハウスでの一件からはじまった数々の異変。その非現実的状況の渦中にいるはずなのに、俺はその主役でも脇役でもない。九重ミュウネと日月キカ二人だけの問題。そういう事を俺に訴えたいのだろうか。


「じゃあ……電話、切る。これからびっくりさせると思う。………………ごめんね」

「……えっ」


 九重先輩が予想外の言葉を最後に混じらせ、俺は戸惑った。九重先輩との通話は、そこでぷっつりと途絶えた。

 と。次の瞬間の事だ。爆音。鈍い音がどこかから響いて、ずん、と廊下の床面がわずかに持ち上がったのを感じた。窓ガラスが数度軋んで、校舎がわずかに揺れる。携帯端末のスピーカー越しに、ツーツーと電子音が断続的にループしたまま。


 突如舞い降りた異変に、すぐさま校内が騒然としはじめた。次々に廊下へと飛び出してくる生徒達。異変の元を探るべく、皆廊下の窓を開けてあたりの様子をうかがいだす。

 動揺していた俺は目的を見失ってしまい、茫然と窓側へ向かった。そこから顔を出すと、専門校舎棟の――おそらく化学室のあたりから黒煙が立ち上がっているのが視界に映った。

 眼下の中庭では、野犬騒ぎの関係で偶然居合わせたであろう制服姿の警官が二名、走りながら何か連絡を取っている。

 耳に当てたままだった携帯端末を操作し、今度こそキカ宛てに繋ぐ。断続的な電子音の繰り返し。電波の応答がやけに遅く感じられ、外の混乱とで俺の意識の向けどころが定まらなくなってくる。

 どこか遠巻きに火災報知器の音が鳴り響いているのが聞こえてきた。廊下に集まった生徒達の人混みは、黒煙を上げる光景を取り囲むように、こぞって中庭へと顔をのぞかせている。何故か、無防備だ、と思った。

 しばらく間を置いて、備え付けのスピーカーが脈動の短いノイズを合図に、校内放送の口上を告げはじめる。


『――――先程化学室の薬剤庫で出火がありました。火は無事に消し止められましたが、今後も二次的な火災の恐れがあるため、念のため生徒の皆さんは近隣の教員か学級委員の誘導に従い、落ち着いて校庭への避難を――――』


 それはまごう事ない、九重先輩その人の声だった。罠だろうか?

 あまり危機感なく、緩やかに退避をはじめる生徒達――その中を縫って、俺はキッカ達の行き先がどこかにだけ思考を巡らせる。

 一旦元の教室に戻ると、そこには既に皆の姿はなく、ただキカの机が規則的な微振動を繰り返していた。今更気が付いても遅いのだが、慌てて連れ出されたあいつは、自分の携帯端末を席に置き去りにしていたのだ。

 なので代わりに坂薙の番号に繋ぐと――


『ああっ、佐村! よかったよかった、私も今ちょうどお前にかけようと思ってた瞬間だったのだ! これはお互い運がいいな』


 ――今度はいともあっさりと繋がった。しかも、教室でのとは打って変わって、面白いくらいに彼女の口調が明るい。


『あー、で、さっきの音は何だ? 放送がかかってたのまでは知ってるんだが、ここからだとエコーかかりすぎて、正直何を言ってるのかさっぱりわかんなくてだな』


「化学室で爆発騒ぎがあって、全生徒に避難指示が出た。それより坂薙は今どこに? それにキッカは――」

『キッカ? いるよ、隣に。ああ、それで今、私らは屋上にいるんだけどな、なんかあのあとドーンって聞こえて。下に戻っていいものか困ってしまってな』


 なるほど、教室を去った二人はあれから屋上に退避していたのだろう。


『おおー、ほんとだ。なあ佐村、校庭に人が出てきてるのがこっちからも見えるぞ……って、あ――おい、キカ、お前、ちょっと何を!? きゃっ――――』


 突然、坂薙が慌てはじめる様子が耳に入ってきた。


「おい、どうした!?」

『キカがっ! 今、急に走って、フェンスから下に飛び降りてった――――』

「――――なっ!?」


 一瞬心臓がざわついたが、飛び降りた、という坂薙の言葉自体は間違いないのだろう。俺達の電話の最中、坂薙の隙を見計らってキッカが単独行動をはじめた。状況的にはそういう線に違いない。


『やだ……キカ……やだもお!』

「坂薙、落ち着いて。そこからキカがどこに降りたか見えるか?」

『……え、あ、ああ…………』


 スピーカー越しに伝わってくる彼女の息づかいと不安と。ぱたぱたと走る音を挟んで、屋上を吹き抜ける風に髪をなびかせる坂薙が、フェンスにたどり着いて指を絡ませる映像が目に浮かんでくる。


『……ああ、よかった……下にいるよキカ、ちゃんと見える。校舎の方に入ってった……』


 最後の方は、消え入りそうな泣き声にも聞こえた。本当にこの娘は泣き虫で、キカの事が心配でならないのだろう。そんなひたむきな彼女に、俺の気持ちもかき乱されてしまいそうになる。でも、今それはいい。


「……そうか、やはりな。キッカに変身している時のあいつは、どうやら人並み外れた身体能力が備わるみたいなんだ。ほら、昨日黒い狼に襲われたときも、キッカは二階までジャンプして追ってきた。あいつはそんな簡単には怪我しないよ、だから安心しろ」


 柄にもない穏やかな口調で彼女を諭していた。でも、根本的に状況は悪い方向へと向かっている予感がした。


「とにかく、坂薙。一旦そこから下に戻って。俺はそっちの階段に向かう。合流して、キッカを追おう」


 そう坂薙に伝えてから電話を切り、俺は彼女と合流するため屋上階段前に向かった。

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