第17話

 そんなこんなで、あまり浮かない心境のまま都会での買い物を切り上げる顛末に至った俺達二人。

 ――だったはずなのだが、幸か不幸か、実はあのあと舞い込んだ一本の電話によって、そんなムードは消し飛ばされてしまっていた。


「――――して、君達の釈明を聞かせてもらおう」


 話の口火を切ったのは、先方からだった。

 とりあえず落ち着いて話そうかと、道すがらに立ち寄ったカフェの店内にいた。やや緊張した面持ちのキッカの隣に、俺も肩を並べている。雁首、が正確かもしれない。

 オレンジ色の淡い照明が照り返すテーブルを挟んで向かい合っているのは、言わずもがな坂薙鈴乃だ。


「どうしてこの私を差し置いて、二人っきり、出かけたのか」


 目の前で苛立たしげな表情を浮かべ、腕組み脚組みしていらっしゃる。


「そのあとも、どうして私からの度重なる電話に出ず、返信レスもしなかったのか」


 いかにも現代の女子然とした栗色の長い髪の毛とは対照的な、やや古めかしい言い回し。そんな口調にはあまり似つかわしくない、細く凛とした高い声色は、このようなシチュエーションにもかかわらず鼓膜を心地良く震わせてくれる。睫毛の整った素敵な目をしているのに、当然ながら今そこは笑みなどたたえてはいない。


「やっぱデートか? これは実質デートなのか??」

「違います」

「――あ、違うのか……実際は男の子同士……だから……これは本質的にはデートじゃない……のか? おや、わけがわからんぞ!? お前、どうしてくれるのだ」!」

「あの……坂薙……さん」

「いや待て待て、お前らの胸の内にどんな心理戦が繰り広げられていようが、私の視点から見たらやっぱり男女のデートじゃないか? ええい、一体どっちだ!!」


 勝手な妄想に盛り上がりはじめた坂薙が、テーブルに身を乗り出してくる。今日の彼女は上に檸檬色のパーカー、下は生足剥き出しのホットパンツに革のショートブーツと、いつもよりやや派手目の私服で、こちらもどんな視線を向けてよいものやら躊躇われているのに、そんな事お構いなしの鋭い剣幕だ。


「だからさっきも説明しただろう。俺はこいつとの約束があって、ただ買い物に付き合ってただけだ。それも片付いて、これから帰るところだったんだ」


 坂薙の矛先は元はキッカに向けられたものだったが、当人はさて何をどう釈明したものかと答えあぐねている表情なので、あえて横から答えてやる。

 俺の言葉に、坂薙はキッカの顔をキッと睨み付けると、


「――朝っぱらから私にガブリと噛みついといて、結局やってたのはお遊びか」

「誤解っ! これも訓練だよっ! こっちのカラダの方も、おかげでちゃんとなじんできてるもの。靴だってはきなれてきたし」

「そんなきらびやかなカッコした娘が、そんな舌っ足らずな口調で喋るものか」

「あぅ……こ、これでいつ、あ、あたしが変身することになっても、絶対だいじょうぶな自信がありますわっ!」

「………………………………。……ガブリ、痛かったもん、私」


 その痛みへの不満より何より、自分だけ仲間外れにされた事を拗ねているのか、坂薙は訴えるような目付きを忍ばせてキッカの顔を睨む。


「だから、それはサナギちゃんの尊い犠牲がわた――――あややややややややっ!!」


 思いっきり頬をつねり上げられてしまった。そこは自業自得、だろうな。


「全く、この小僧は……」


 坂薙はキッカの頬を解放すると、うんざりしたご様子でアイスコーヒーを啜る。


「サナギちゃんご機嫌ナナメだね」

「ああそうさ、超機嫌悪いね! 誰かさんのせいでバイトの予定も狂ったしな」

「ひぃっ……」


 言いながら俺の背後に隠れようとするキカの顔面に、派手な印刷の入った買い物袋を突きつけて阻止してやる。こんな場所で女性恐怖症を発症させられてはかなわないから。


「って、ナニそれ……ねえ、何買ったの、キカ?」

「いやー……なん、でしょう……」

「ちゃんと私に説明なさい」

「う…………その経緯からまずはいらないと、説明なさいはむずかしいの。ケータ?」

「俺に振るなよ。嫌がらせか」


 煮え切らずテーブル越しに身を乗り出してきた坂薙が妙に危なっかしくて――主に距離的に――落ち着かせようと俺は自分の胸を指差してやる。俺も羞恥心のしきい値はあまり高くないので、とんとんとジェスチャーという程には露骨なものでなかったが、それでも坂薙はすぐその意味を察し表情を変えてくれた。


「ブラか、なるほど。乙女の基本だな。確かにその見てくれじゃ、やむを得まいか」

「…………サナギちゃん、ごめんなさい」

「まったく。…………キカのばーか、どうして私に言わなかったのだ」

「本当、ごめんね? 相談すべきでした」

「小さい頃からよく知った仲なんだから、ちゃんと私にも話してくれないと……その、寂しいだろ。女性なら、私は女性の先輩みたいなものなんだぞ。ブラだって、別に言ってくれればいくらでも貸して――」


 予想外にもキッカ側の事情を納得してくれたかに見えた坂薙だったが、


「――って、ちょっと待ちなさい、さっきの『ごめん』って、どーいう意味の『ごめん』だコラ。憐れみか!? 私の体形を憐れんで言ったのか!? というかお前、そもそも今日私を除け者にした理由って、私にそーいう変な気ぃ使ったからだな!!」

「ええっ!? それはさすがにち、ちが――――はわわ…………」

「お前という奴は、昔っからそうやって足りない子の振りしながら頭いい行動するからめんどくさいんだ!」


 坂薙は両手でテーブルを叩きつけ、飛び跳ねたコップが水を滴らせる。いよいよもって坂薙とキッカの口論がヒートアップの様相を呈してきたので、俺は強めに口を挟む事にした。こういう時、いつもそうしてきたように。


「待てよ、二人とも落ち付けって。感情でなく理屈で対話しろよ坂薙。それにそんな誤解に誤解を重ねて自分の傷口に塩を塗りたくる、みたいな痛々しい言い回しなんてやめとけ」

「なななな何がどう違うと言うのだ佐村啓太! 私を痛い子って言ったな!」

「言ってない」

「大体、最初から私はいたって冷静で感情的になどなっておらんし、キカは私んだ、お前にはやらんもん!」


 キッカの鼻先にビシッと人差し指を突きつけ、坂薙が無茶な所有権を主張する。いくばくか心臓が高鳴った気がしたのは、興奮してややオーバーアクション気味になってきた坂薙の振る舞いに、俺自身が身の危険を感じたからだろう。


「わかった、やるよ、持ってけ。神棚にでも飾ってろ」

「サナギちゃん、ケータ……わたしの自由意思、どこいった……」


 当事者のキッカが今度は俺達の言い合いに割って入るも、眼光のギラつきに気圧されて、自信なさげな挙手による意思表示に留まる。


「要するにだな坂薙。今のこいつ――キカはともかくとしてキッカの方が色々とややこしいから、女でかつ幼馴染みであるお前が率先してあれこれ面倒見てやってほしい、って意味だよ。そっち方面は、俺じゃ全くもって役に立てん。今日思い知らされた」

「え、え、そうなのか佐村?」

「俺達三人の誰が欠けても今の関係は成り立たない。あの日の事件から、俺達には今までの常識だって通じなくなってきている。ただの幼馴染みや学校でつるんでる腐れ縁という関係に、もう一つ秘密の意味ができた。そんな状況で呑気に喧嘩してる場合じゃないだろ」


 話の流れを事の本質的な方向にいきなり繋げたので、聴き手側にまわっていた坂薙も勢いを削がれ、ぽかんとして続ける言葉を止めてしまった。


「あー、でもまあ、結局は俺らが悪いんだな、すまん。最初に連絡しておくべきだった。ほれ、キッカも謝っとけ」

「はい、ごめんなさい。でも、心配してくれてありがとう、サナギちゃん」


 形式上口にした俺とは対照的に、キッカはぺこりと頭を下げて見せた。それはもう、カフェのテーブルに額を付けるくらいに。

 謝られて逆に気まずくなったのか、坂薙はそっぽを向き頬杖を突く。ストローを咥え、目を合わせるのが恥ずかしいくせに時折視線をチラチラとこちらに寄越す仕草に、何だか愛嬌を感じた。普段のドライな話し口や強腰な態度とのギャップをのぞかせる事がこの娘はあって、自分はそこに惹かれているのだろうなと、ふと自覚してしまう。

 傍らに視線を移すと、キッカがキカのものと全く同じ無防備な笑みを浮かべている。姉と弟のような関係の幼馴染み。この二人が築き上げてきた因果の中に、第三者だったはずの俺が何故か取り込まれてしまった。そう考えると、これはとても例外的な出来事な気がして、ちょっと不思議な気分だ。


「あ……ああ、確かにそうだな、お前の言うとおりだ、ふむ、まあ……」


 などと、ちょっとイイ話にムードを軌道修正してみたにもかかわらず、まだ何か引っかかりの態度を残す困った娘。確かに坂薙鈴乃は聡明でしっかりした子ではあるのだが、自分の中で辻褄がきちんとしないと延々引きずるタイプでもあるのだ。


「……坂薙さん、まだなんかあんのか」

「だって。なんか、なんか気に食わんもん」

「なんか、って……」

「佐村は。佐村はいつも私に正論ばっか言う」

「正論かどうかなんてどうだっていい。俺は事実しか言ってない」

「なんだと。正論が偉いのか。だったら正論と結婚しちまえ!」


 今度は俺に食ってかかる始末の坂薙に、やや頭痛がしてきた。この子の態度が論理破綻しはじめると、さすがに手に負えない。


「ぬあーーー! 何だかむかついてきた! 私に対してもっと何か言い様があるだろ! 正しさよりもまごころだぞ、この朴念仁っ!!」

「ちょっ、さかな、お前――やめっ!」


 遂に手段を選ばなくなった坂薙鈴乃の物理攻撃がはじまってしまった。


「このっ、このぉ!!」

「あー、わわわ、サナギちゃん声おっきい、落ち着いて!」


 今俺は、その彼女から指先で突っつかれたり、長い髪の毛先を指でつまみそれでくすぐり攻撃を受けていたりしている。低次元だが――いや、低次元なだけに殺傷力が高い。


「どいてキカ! 私も前からいっぺん啓太の奴には一言言ってやりたかった!」

「今はわたしキッカなのっ!」

「それより坂薙、それチクチク! チクチクするから!!」


 負けん気が強くて喧嘩っ早い割に、今まで俺に対しては一線を引き、決して手を出してこなかった坂薙鈴乃。

 傍目にはじゃれ合うような馬鹿馬鹿しい絵図に見えるのだろうけれど、俺は坂薙からの絶妙な攻撃のお陰で何だかあちこちが静電気で痺れるような鈍い刺激を受け続け、やんわりと気が遠くなってゆくような、そこはかとなく幸せなような、そんなカオスのるつぼに溺れつつあった。


「あははははっ! この程度なら大事には至らないっぽいな。……ああ、そうか、今更考えてみれば、啓太は物理的になら私にどうあがいても逆らえないんだ、なるほどなるほど、これは嬉しい盲点だ」


 こういうのは、坂薙との距離がより縮まったものとして、好意的に受け止めてもいいのだろうか。無論、お互いに望んだ形ではないものの。


「……ふふふっ、だっこしてやろっか、啓太?」

「まじでやめてくれっ!」


 しばらくして店員のお姉さんから警告を受けるまでの間、俺は坂薙からの人体実験を受け続ける羽目になったのだった。

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