第6話

「――――して、兄。帰宅早々悪いが、かわいい妹たっての相談事ができた」

「晩ご飯のあとでお邪魔するぞ。ああ、あと、おかえり」


 玄関で珍しく出迎えてくれた妹の、開口一番にのたまった台詞が大体そんなだった。

 我が佐村家の家族構成は特に複雑なものではない。ごく普通に同居する両親と、年のやや離れた就職浪人の兄、そしてくだんの妹の五人家族。

 妹の満月みつきは俺と同じ三奈鞍高校に通っており、学年で言えばちょうど一つ下になる。常時ローテンションな個性派少女ながら、恋に趣味にエンターテイメントに没頭し我が道を謳歌する、ある種多様的な幸せで彼女の世界は覆われ、彼女中心に星すら回っているように見受けられる。

 そいつが、相談、などと滅多でない事をぬかした。それも坂薙に続いて。ましてや、満月の奴は思春期の悩みごと皿まで喰らって知らぬ顔をしでかす性格だ。今日は厄日か、それともよからぬ災いの前触れか何かか。


「――入るぞ兄ー」


 言ってから後追いにノックを一度、返答は待たず一方的にドアが開けられた。時刻はちょうど二十二時をまわった頃の事だった。

 風呂上がりなのか、ぴっちりとした部屋着姿の満月は、ド派手な蛍光色のバスタオルを首に引っかけ、右手に炭酸飲料の缶を酔っぱらいのおっさんよろしくぶら下げて、左手には北欧かどこぞのでっかいデザイナーズぬいぐるみを掴んで、という恐ろしくカオスな風体でドアの前にご降臨召された。


「お。おう」

「やあ。来ちゃった、兄」


 抑揚の抜け落ちた低い声質の某読み台詞。見ると、風呂上がりとは言え髪の毛は既に乾かされているようだ。よくわからないが、ヘアゴムのようなぽわぽわしたアレ――本人いわくシュシュと言うらしい――を装着し、セミロングの尻尾を二つ分けした就寝ヘアスタイルをキメている。飲み物持参なのからして、簡潔に話を済ますつもりは毛頭ないという意思表示なのかもしれない。


「それ。何」

「今宵は、兄との政治的密談。演出の必要に駆られるシュッチエーションではなかろうかと」


 どこか噛んだような気もするがあえて突っ込んでやらない。ともあれ、一体俺はこいつにどんな相談を切り出されてしまうのだろうと、この時点で軽く目眩を覚えてしまった。


「あたし、そーゆうあたし色に染めちゃうの、得意な娘なので」


 満月は言いながら俺のベッドに小さなおしりを埋め、ぬいぐるみを膝に乗っけて謎のソーダを壮大に開栓した。


「――ああっ! つーか、おまっ、こぼすなっ!!」


 プルトップをひねって、直後に暴発させていた。噴き上がったソーダのしぶきをふっ被った満月は、何食わぬ動作で顔を拭うと、構わずグビグビと喉を鳴らしはじめる。


「お前、俺のベッドにこぼして! 髪の毛! ウサギ! んああっ、もぉ……」


 満月の首にかかったままバスタオルを引っ張って、先っぽでゴシゴシと敷き布団の染みを拭き取った。ついでに反対側で満月の髪の毛やぬいぐるみのロップイヤーの耳を押さえてやる。そしたら盛大にげっぷで返事する満月。これぞ我が愚妹、お下品とご愛敬の高レベルなミクスチャーの体現者で、兄としても彼女の邁進する未来が不安でならない。


「おいおい、こともあろうに何で色が真っ赤なんだ、その謎ソーダ」


 まるで血しぶきのような染みがベッドの上に点々と残ってしまっていた。グロテスクなような、恥ずかしいような、意味不明で悪趣味な惨状が爆誕してしまったではないか。


「ごめんよ」


 全く動じない奴である。バスタオルを奪い取ると、俺は自分の椅子にどっかと腰を下ろして、やや大仰に足を組んだ。

 満月は飲みかけのソーダの缶を俺の方に飲めと寄越して、再びベッドの住人へと戻る。表情か内面かを隠すためなのか、ぬいぐるみを両手でぎゅっとして、それに口元を埋める仕草。座った目付きが相変わらずの低いテンションを頑なに維持している。

 彼女が何かしら悩んだり隠したくなる事が家庭学校問わず今までになかったわけではないが、そういう状況で常にあのキャラを貫く事で、巧みに自らを防御してきた娘だ。これから切り出されるのが、よからぬ話にならない事を願いたいのだけれども。


「はい、簡潔にどうぞ」


 満月にいい加減、相談事を切り出すよう促してやった。


「――簡潔に言うぞ兄。兄は日月キカをとてもよく知っているな。親密だな。それで、あたしは日月キカが好きだ。超愛してる。あたしは明日正式に交際を申し出る」


 もの凄い全力の直球勝負だった。しかも決断、早ッ。あまりの居合い斬り的展開に、仰天衝動が三秒後くらい遅延してやってくる。大仰な時代劇漫画か何かならば、そろそろ袈裟斬りに分かたれた半身同士がズレはじめる頃合いか。


「…………はあ」

「日月キカへの愛の告白には政治的なお膳立てが必須だ。かいつまんで言うと彼と二人きりになりたい。誰にも邪魔されない完全密室であたしは日月キカを倒す」

「お。おう」

「兄があたし達の愛のプロデューサさんとなるのだ」

「おい満月、のけぞっていいか?」


 彼女のキャラ的過剰さを兄の包容力で汲み取った上でも、さすがに無理難題にも程があった。いかに我が妹の望みとは言え。

 まず、満月の言う願望を叶える事は可能だ。彼女をキカが二人きりになるシチュエーションをつくり出してやればいいだけ。満月はキカ本人と直接交友関係にないはずだが、俺が取り持ってやればそう難しい話ではない。

 しかし、満月のやろうとしている行為には、根本的な障壁が立ち塞がっている。


「こっちも簡潔に言っちまうけれど、キカに告白するだなんて、無謀だから。諦めなさい」


 それなりに可愛い妹が現実を前にしてどん底に叩き落とされないよう、先んじて教えておいた方が彼女のためになる。そういう良心回路が自然に働いてしまった。


「ライバルが多いのは知ってる」


 ライバル。確かにライバルは多い。キカが女子から告白されるなんて、始業式から夏頃までにかけての期間に幾度となく遭遇した場面だ。

 でも、そのあとになって、皆ようやく理解する事になる。常にキカの傍にある、坂薙鈴乃の存在。坂薙との関係の間に割り込んでキカと交際するなど、どのようなフラグを立てればそうなれるのか想像すら付かない。

 そして、本日そこにもう一つ厄介な問題がぶら下がってきた。


「告白して結果を得るのが重要なの。兄の役目は、あたしをそのレースに参加させる事。勝ち取るために兄の力を利用したいなんて、あたし言わない」


 満月の真剣さはその言葉からもうかがえた。できるならば彼女の期待に応えてやりたい。

 でも、タイミングは最悪だ。当のキカ本人が誰知れず抱えはじめていた苦悩を思えば、満月の好意や感情も一層彼を悩ませ貶める結果になりかねない。そしてこの事を満月に伝える事も俺にはできなかった。


「…………悪い、満月。ちょっと考えさせてくれ」


 反論を寄せつけさせない俺の言葉に、さすがにの満月も視線を落としてしまう。

 すぐに諦めが付いたのか、ぬいぐるみの頭部からようやく顔をのぞかせ、妥協点だけ俺に淡々と伝えた。


「わかった兄。じゃあ、明日は中止」

「ん。いいのか?」

「よかないわい。誰も諦めるなんてゆってない。あほ兄」


 左様でございますか。すっくと立ち上がった満月の胸元を眺め、この小娘は成長しているんだかいないんだかと、なかなか高度にして恐ろしく次元の低い逡巡をやらかしてみる。


「明後日の夕方、あたし遅くまで部室にいるから。気が向いたら、お願い、だよ」


 言いたい事を言い終えると、ぬいぐるみをそのまま置き去りに、満月はどたどたと部屋を出て行ってしまった。

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