ひとりごはん

かこう

アルドの場合

 テーブルに次々と置かれていく、色とりどりの料理たちよ。白い湯気とともに馥郁ふくいくたる香りを漂わせ、これらの食欲を刺激する魔性の者たちよ。

 食べすぎは体によくない。しかし、眼前の色鮮やかな魔性のものたちがささやいてくる。ーー私たちを食べて、と。

 いいだろう。お前ら全部食ってやる。

 アルドはにんまりと笑い、そっと両手を合わせた。

 「いただきます」

 低く朗々とした声でそういうと、割り箸を手に取りパキリと綺麗に割る。

 ビール、たたききゅうり、焼き鳥盛り合わせ、焼き厚揚げ、レバニラ炒め、春巻き、鶏の唐揚げ、だし巻き卵、焼き餃子、チャーハン。

 テーブルの上にところ狭しと並ぶ料理の中から、アルドはまずお通しとして出された、たたききゅうりへと箸を伸ばす。

 食べやすい大きさに割られたきゅうりをバリボリと音をたてて咀嚼そしやくすると、ごま油とにんにくの匂いがした。味つけはアルコール類との相性を考えてか、やや濃いめにつけられている。単品で食べるとしょっぱく感じるだろうが、仕事であせをかいたこちらにとっては、塩分が濃いめなのはありがたい。

 最後のきゅうりを口に放り込み、箸を持っていない左手でテーブルの端に置いてあったビールジョッキを持つ。

 白くクリームみたいな泡をまず口に含み、ほんのりとした苦味とクリーミーさを味わう。続いて琥珀色の液体を喉へと流し込んだ。

 ……きゅうりとビールって合うよなあ。

 心の中で呟き、アルドははふ、と吐息を吐いた。

 たたききゅうりの次に選んだのは鶏の唐揚げ。

 からりと揚がった鶏肉をパクっと一口で食べる。できたての熱い料理を冷まさず熱いまま食べられるのは、彼の数ある特技の一つだ。

 唐揚げの茶色い衣はさくっとしていて香ばしく、次に鶏肉の弾力のある食感が、最後にジューシーな肉汁と漬けだれの味がどっとくる。唐揚げに添えられたくし切りのレモンを絞れば味変あじへんもできるので、いくらでも食べられるだろう。

 ぱくぱくと鶏の唐揚げをほおばり、ビールを飲んだ。ビールのすっきりとした苦味が、鶏肉のうま味と油と混ざり溶けあっていった。

 中身が半分まで減ったビールジョッキを下ろし、くぅ、と唸る。美味い。美味すぎる。

 仕事終わりの午後六時半すぎ。青みがかった夜の始まりの空気の中、空きっ腹を抱えて入ったのはこの店だった。

 繁華街の一角いつかくにある、大衆食堂を兼ねた居酒屋だ。テーブル席とカウンター席で構成された店内はそれなりに広く、昼間はサラリーマンや家族連れが、夜間は酔客すいきやくで大いに賑わう。今日は平日だが客は多い。仕事帰りに一杯ひっかける者もいれば、アルドのように酒を飲みながら夕食をここで済ませる者もいる。

 この店は料理やビールはもちろん、ビール以外の酒も美味いので、店長や従業員たちに顔と名前を覚えられるぐらいにはアルドもよく通っている。

 今では、料理を大盛りにしてもらえるし、入店するたびに店の奥にある他の席よりもスペースが広いテーブル席へ案内してもらえるようになった。それはアルドが大食漢たいしよくかんで、百九十センチ近くある背の高さと肩幅の広いがっしりとした体格のせいで他の席では窮屈きゆうくつになってしまうからだ。

 店側の心づかいに感謝しつつ、レバニラ炒めと焼き餃子、刻んだ焼き豚がたっぷり入ったチャーハンを食べていく。山のように盛られていた三つの料理はあっという間に彼の胃袋へと消え、ただ皿だけが残った。隣のテーブル席に座るサラリーマンの一団がその食べっぷりに目を丸くしているも、いつものことなので気にしない。注目を浴びるのには慣れていた。

 鶏肉の唐揚げを堪能してビールを飲み干し、そばを通った若い女性店員にビールのおかわりを注文する。

「他にはなにか注文なさいますか?」

「んー、今はいいかな」

 からになった皿とジョッキを片づけてくれたことにありがとう、と礼を伝え、焼き厚揚げを箸で一口サイズに切り分ける。

 木綿豆腐を揚げ、更に表面を焼いたそれは豆腐が持つ大豆の味と匂いをぎゅっと閉じ込めており、ニンニク醤油も相まって日本酒に合いそうだ。注文すればよかったかなあ、なんて思いつつ、女性店員が運んできてくれたビールジョッキを受け取る。

 ……でも、今日はビールの気分なんだよなあ。

 今日の仕事はハードな内容で、たくさん汗をかいたのだ。だから、今日はたくさんビールを飲みたい。

 さすがにビールで腹を満たすつもりもなければ、酔い潰れるまで飲むつもりもない。しかし、こういう時に飲むビールは最高に美味いのをアルドは知っていた。

 焼き厚揚げとビールを交互に口にし、再びジョッキをからにしたのでビールを追加で注文した。

「アルドさん、いつもよりペースが早いですね」

「今日はたくさんビールが飲みたくてさ」

 笑顔で話しかけられ、アルドも笑みで返す。すると、女性店員は指を二本立てた。

「じゃあ、二つ持ってきましょうか?」

「んー。じゃあ、そうしてもらおうかな」

「わかりましたっ」

 ビール二つ追加! 女性店員が厨房に入ると、元気な声が響く。聞く者の心を明るくさせるその声は、店内の空気を盛り上げるのに一役買っていた。

 ……今日も元気だなあ。

 頬杖をついて店内を見渡す。

 乾杯の音頭をとる者、陽気な声で会話を弾ませる者、一人料理や酒を楽しむ者。客たちは互いに干渉しないが、それでも店内の楽しげな雰囲気をともに作りあげている。

 ……明日も元気に仕事ができそうだ。

 そう思い、ビールジョッキをもらって己の左側に二つ並べる。そして残りの焼き揚げ豆腐を食べたら、今度は春巻きを箸で摘んだ。

 こんがりきつね色の皮は鶏の唐揚げ同様に油の匂いをまとい、噛むと薄い氷のようにパリパリと音をたてて割れていった。砕けた皮の奥から、数種類の具が入ったあんがとろりと出てきて食感が楽しい。

 パリパリ、とろり、シャキシャキ。

 噛む度に伝わる食感と味に思わず美味いなあ、と声が漏れる。

 この店の料理はどれも美味いが、鶏の唐揚げと春巻きは特に絶品だ。

 幸せに満ちた吐息を吐くと、ビールをゴクゴクと喉に流し込む。氷のような冷たさが喉を染み渡っていく爽快感は、他の酒では味わえない。

 また美味い、と呻き、焼き鳥の盛り合わせからねぎまを選択。鶏肉とねぎの組み合わせを楽しんだ後は、焼き餃子からだし巻き卵の順に食べていく。

 そうして残りの料理を平らげビールを飲み干したころには、空の色は濃紺色になっていた。

 箸を揃えて置き、両手を合わせる。美味しい料理と酒を口にできたことへの満足と感謝の意を込めて、

「ごちそうさまでした」 

 また近い内に来よう。そう思いながら、アルドはレジのあるカウンターへと向かった。

「また来て下さいね」

「もちろん」

 それじゃ、またね。女性店員に笑顔でいい、店を出る。

「できたら、次は誰かと一緒に行きたいなあ」

 呟きは秋の夜風に乗って消えていった。

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