第四話 遺棄

 ────翌


 リリアがその部屋を訪れた時には、カルマは消えていた。

 「あのくそ野郎……」

 リリアの脳を血潮が激流となって流れるが、必死に平静を保とうとして息を吐く。

 ご丁寧に鍵が開けられ、何もない部屋には一通の便箋がのこっている。土足で押し入り便箋を確認する。──中には何も入っていない。糊が付いたシールがまだ剥がされてもいない。

 「ん?どういうこと?」

 「……人の部屋に土足で入るのはやめて欲しいな」

 後ろから昨日聞いた声。リリアが振り返ると、ファミレスの制服に身を包んだカルマがドアを閉めていた。暗闇が二人の間を包むが、カルマは顔色変えずにリリアに顔を向ける。

 「約束の時間を破っておいて、貴方はバイト?いいご身分ね」

 「仕方ないだろう、シフトに穴が空いたんだ。僕が行くしかなかった、約束に間に合わなかったのは申し訳ない」

 もっともらしい言い訳だがそれでは筋が通らない。リリアは憮然とした表情で嫌味を放つことにした。それぐらい言わないと、彼女自身の感情が収まらない。

 「何らかの連絡をするべきじゃないかしら?QRコードだって名刺に付けてるのに」

 「僕はスマートフォンを持ってないからね、些か困ったけど仕方なかった」

 じゃあアルバイト先からの連絡はどうしてる。リリアの喉元まで怒りの声が出そうになったが、カルマの制服に視線を向けてハッとした。

 彼の制服はこのアパートの一階に入っている小さなファミレスの制服ではないか?そして、この部屋のありさまに平然としているということは、もしや。

 リリアの天啓のような閃きを肯定するように、カルマは静かに言葉を継ぐ。

 「大家さんがアルバイト代から家賃を天引きしてくれる契約の賃貸なんだ。下のファミレスで働いているからね。だから連絡に使うものも必要ない」

 「……修行僧みたいね、あなた」

 リリアの沸騰した脳が急速に冷えていく。つまり正真正銘彼は、彼は世捨て人だ。

 そしてリリアはもう一つ確信する。カルマは確かに己の力を理解していた。そしてその上で、一度も暴力を振舞われることが内容立ち回ったことを。

 カルマの努力がいかに虚しいか、リリアには理解できないほど凄惨な事実。

 彼が連絡手段を持っていないことも理解できる。人とつながりを得たくなかったのだろう。とすればリリアは彼の人生に乱入した存在。穏当に接しているのが不思議なぐらいだ。廃絶されないとしても、拒絶され行動が無駄になる未来だってあった。

 (ま、私に理解できないことを理解しようとしたって無理だけどね。過去を遡れるわけじゃないし私はカルマじゃない。それに、邪推が現実になったわけでもない)

 彼に悪意なく約束の時間を破ったならば、リリアが責め立てる時間は終わりだ。

 今は「フォークロア」が定めた指針、カルマの生活を元に戻すべく戦争概念の廃絶に動かなければ。だとすれば、急いで動き始めないと、特務機関がカルマの部屋を特定しかねない。

 「じゃ、これからはフリーってこと?といってもう六時だけど」

 「ああ、すまないな。こんな時間だから、下のファミレスを借りようか?」

 「いえ、大家さんに迷惑をかけられない。迎えを待たせてあるの、行きましょ」

 大家に聞かれて困る単語は使わないが、大家を困惑させる単語は連呼する。

 理解が及んだカルマにリリアが促すと、カルマも頷いてエプロンを壁に掛ける。

 丁寧に、しわが付かないように伸ばして。最後に一瞬エプロンを見つめるが、それだけ。カルマがすぐにリリアに向き直って頷き返す。

 「いこう」

 「ええ」

 二人して足早に階段を下りて、下に止まっていたセダンに乗る。セダンの運転席には女性が座っていた。リリアがもっとも信頼がおける、フォークロアの先輩。

 「よろしく、戦争の概念継承者さん。私は猿加太キリエ、よろしく」

 頬に疵があるその女性をリリアは姉のように思っている。なによりリリアと遜色ない実戦経験を積んでいる戦友だ、今回のような厄介な仕事の時には頼りたい人を頼るべき。

 「よろしくお願いします、キリエさん」

 「ふぅ、凄い殺気ね。接客業やってるの?そんなすごい殺気立ててお客さん帰らない?」

 「よく言われます、笑ってるのに圧がすごいって」

 カルマが発する殺気に関してはリリアも最初にあった時から感じ取っていた。

 これを常に教室で浴びている旧友たちがあまりにかわいそうなほど、カルマの殺気は強く明確で、黒い。これが世に遍在する戦争という概念が放つのかと、リリアが戦慄するほどに。

 キリエが静かに車を発進させる。音もなく動き始めたその車は、「フォークロア」と自称する機関が国家から授かった防弾車。ランフラッドタイヤも装着し、四WDのため地雷やIEDのような設置型爆発物にもある程度は耐性がある。

 超が付くほどの高級品だが、これを一年に数台お釈迦にしている事実が、フォークロアの敵が多いことを物語っている。

 「ねぇ、あの便箋はなんだったの?何も入っていなかったけど、お賃金ってことでもないだろうし。君の部屋にはそれこそ手紙に当たるような代物がなかった」

 リリアの純粋な疑問を、カルマは静かに首肯していきさつを話し始める。彼の口調は最初にあった時から変わらず、絶望に浸った声をしている。だのに声音は穏やか、矛盾をはらんだ音。

 そして発せられた事実は、彼が何度もそうしてきたのだろう音色を含んで発せられる。さも当然に、そして至極日常に。


 「退去しようと思ってね、それこそ君が言ったように、これ以上大家さんには迷惑をかけられない」


 もうわかり切っていたことだが、リリアたちから逃げようとしたわけではない。

 だがそれをカルマは明確にするべく注釈をつけた。リリアはその言葉に痛みすら感じて黙り込む。

 リリアは彼が言葉を選んでいる間、黙って待っていた。己の疑念が彼を苦しめることがないように、せめてもの贖罪を込めて。

 やがて彼が黙考をやめて口を開く。夜の帳が降りるより静かな声は、絶望という平穏を隣人のように扱っていた。

 「僕が戦争の継承者というものならば、そしてそれが特定の存在に露見してしまったならば。僕はこれ以上一般人のふりをして市井にいるべきじゃないんだ」

 「……でも、私たちは貴方がその世界にとどまれることを目標にしている」

 リリアが放った苦しい言葉にカルマは微笑んだまま頷いた。だが彼自身の決意は確固たるようで、それ以上何も話さずカルマは座席に体重を委ねる。

 「保険、みたいなものかな。もしもがあった時に、本当に迷惑をかけたくないから」

 リリアもその言葉を否定することはできなかった。リリアたちフォークロアだって、いつ襲ってくるかわからない連中に対して万全の態勢を取れるわけじゃない。それに、相手が相手だ。

 「特務機関について、話しておきましょうか」

 リリアが話題を変えるべくそう切り出すと、カルマも姿勢を正してリリアを見た。眼鏡の底から殺意と諦観の混ざった瞳がリリアの美貌を写す。

 彼の穏やかに殺意のこもった視線を受け止めて。リリアは平穏を装って声を出した。ここから先、カルマは未知の世界に踏み込むことになる。これ以上カルマが絶望することがないように注意を払いながら、それでも隠せない事実を正直に話していく。

 「特務機関は極右政治団体の母体集団で、公安部にもマークされてる厄介な組織よ。他組織と違うのは闘争による人類根絶を目指すところ、そして継承者を多く擁しているところ。ほとんどが伝承継承者だからフォークロアには敵わないけど……」

 「中には、名刺をよこした斎藤のような猛者もいるってことか」

 「そうね。で、その斎藤ってやつ調べたんだけど。もともと警察庁公安の継承者対応の部署にいた。いつの間にか敵側に取り込まれて、公然と特務機関の部下を侍らせてるみたいよ」

 リリアは脳内にインプットした情報をカルマに話し聞かせる。

 警察庁公安は陸上自衛隊情報隊と共通の訓練を行っていることもあり、そのような環境で働いていた斎藤は肉弾戦から射撃戦闘まで一通り可能ということ。

 神格継承者であるが、情報を自ら徹底的に消したのだろう。どんな神格を体内に宿しているかは不明ということ。ただし斎藤は肉弾戦を好むため、射撃系の神格ではないだろうとこと。

 そして……フォークロアの神格継承者がこれまでに三人、彼に殺害されていること。

 「公安も彼を危険視して情報を恙無くくれるけど、けど相手は少人数で動く暗殺者のようなポジションみたい。しかも公安部の手の内を分かってるから、余計に探しづらい」

 リリアが説明を終えると、カルマは静かに体重を座席に乗せる。目を閉じて何かを考えている彼はやおら目を開いてリリアの顔を見る。

 「……なにかしら。見惚れたの?」

 「君に見惚れるならば、僕は君の強さに見惚れたんだろうね」

 頓知のような言葉。それでも彼はそれ以上リリアを茶化すことなく再び目を閉じた。

 「相手は相当強いんだな」

 ぽつりと呟いたその言葉にリリアは言い返すことができない。フォークロアでも上位の力を持っているリリアですら、斎藤に踏み込むことすらできなかった。斎藤の取り巻き含めて襲い掛かられたら、カルマを守ることはできなかっただろう。

 それでも、リリアはカルマに告げる。彼女自身を鼓舞するために。

 「勝つわよ。どんな相手が来たって、私は負けないわ」

 彼女の言葉をカルマはどう感じたのだろうか、軽く目を開けて頷き、また目を閉じる。やがて仕事疲れもあったのだろう、小さな寝息を立ててカルマは眠りに落ちた。

 「……寝ちゃった」

 「そうね。このまま寝かしておきましょう、到着までまだ時間はかかるわ」

 彼の寝顔を見つめながらリリアは考える。彼はリリアの顔を見て相手との力量を慮っていた。もしカルマが「戦争」の力を相応に振るって力関係を理解していたと仮定すると。

 (彼は戦争という危険すぎる力をかなり使いこなしていることになる。でも、フォークロアどころか他機関へがカルマくんの力の本質を見抜くことはなかった。なぜ?)

 その疑問は砂上の仮定の上に成り立っているものだ。だがリリアにはこの仮定が正しいことがなんとなくわかっていた。喫茶店で見せたカルマの能力、そして意図的に作り出した圧迫的な態度。そして、あの目。力を使いこなしていないという詭弁がまかり通るはずがない。

 喫茶店での一軒が結局、彼が力を使い慣れている証左だと、リリアは思えてならない。

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ようこそ死んで、戦争概念継承者 @idkwir419202

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