あるお客の話

白綴レン

第1話

 深夜二時、東京。

 深夜とは思えない賑わいの繁華街を少し避けるとそこは光の全く当たらない路地へとつながっている。路地の入口で立っている笑顔を貼り付けたスーツの男に近づくと柔らかな口調で話しかけてきた。

「おや、お兄さん。どうしたんだい? こんなとこまで」

「えっと……塩焼きそばを三つ……」

「ああ、お客さんか。どうぞこちらへ」

 伝えられていた合言葉を口にすると、貼り付けたような笑顔のスーツの男に案内されて路地裏へと進んでいく。スマホの画面のかすかな明かりだけを頼りに雑多なものが置かれている路地を進む。

「こちらです。くれぐれもご内密に……」

 ゾッとするほど変わらない笑顔の男が横にあったドアを開ける。ここから先は一人でいかなくてはいけないらしい。ライトはなく真っ暗闇。スマホのライトをつけると階段が下に伸びていた。コツコツと足音を鳴らしながら慎重に降りていく。

 どれくらい下っただろうか。すくなくとも二階や三階分以上は降りているような感覚。しばらく降り続けていると無骨な鉄の扉が表れた。ようやく終わりかとうんざりしながら軋むドアを開けると薄暗い空間をスマホのライトが切り裂いた。

「眩しすぎる。ライトを消してくれないか」

「す、すまない……」

 慌ててスマホを操作してライトを消すと部屋は本来の薄暗さを取り戻した。

「それで、どの情報筋からだ?」

「い、言えない……」

「まぁそうだろうな。ふむ、ここに来たってことは金はあるんだろうな」

「さ、三十万持ってきた! これで何日分だ……」

 すぐに引き出せるだけの金額をありったけ引き出してきた。それを入れた封筒を手に取り有り金を伝える。

「ふふ、そう慌てるな……三十万か。なかなか持ってくるじゃないか……」

 薄暗くて相手の顔はよく見えないが声から察するに老人だろうか。相手は落ち着き払った態度でこちらを見透かしたように話し続ける。

「ふぅむ。なかなかいい身なりをしておる。良いだろう、取引してやろうじゃないか。おい」

「はっ」

「三十だ」

「すぐに」

 薄暗いとはいえもう一人いることに全く気づかなかった。もう一人の男は声の感じから二十から三十ほどだろうか。老人の手足となって働いているようだ。

「お持ちしました」

「うむ。これが三十万円分だ。初回だからサービスしてはいるがね」

「お、おお……これが……!」

 これが、吸うだけで極楽を体験できるというクスリ。実際に目の前に出されると興奮が収まらない。

「落ち着きたまえよ。使い方は、まぁ分かるね。一回一錠。一日一回だ」

「あ、ああ……」

「では三十万円、いただこう」

「これだ……!」

 金の入った封筒を差し出すと老人は自分の手で金額を確かめる。

「うむ、確かに。ではそちらからお帰りいただこう」

「こちらです」

「あ、あぁ……」

 行きと帰りでは道が違うらしい。うんざりするほどの階段がまた続いてるのかと思うと嫌になる。

「お乗りください」

「帰りはエレベーターか。助かるな」

 そう思っていたらエレベーターに案内された。正直あの高さを歩いて戻るのはしんどいから助かった。

「ではくれぐれもご内密に。怪しい動きなどなさらないようお気をつけて」

「ああ……」

 エレベーターに乗るとグンとエレベーターが上がっていくのを感じた。室内には操作パネルなどは見当たらずどうやら外部操作だけで動かせるらしい。しばらく乗っていると地上についたのか一瞬の浮遊感と同時にドアが開いた。エレベーターから出ると繁華街にある店とつながっていた。入ったことのない、どういった店か分からない店の実態をほんの少し垣間見た気がした。

「ありがとうございました~」

 素知らぬフリをして店を出ると店員も分かっている人間なのか何も聞かずに挨拶をしてくれた。ガヤガヤとした喧騒に包まれて、非日常からようやく日常に戻れた気がした。

 深夜三時。まだまだ東京という街は眠らない。


「はぁ、はぁっ……!」

 急いで家に帰ると空が白み始めていた。しかしそんなことも気にせず買ってきたクスリを取り出す。口に含んでペットボトルの水とともに飲み込む。

「んっんっんっ……ぷはぁっ」

 即効性があると聞いてるから次第に気持ちよくなれるはず……。五分ほど待っているとだんだんと気分が高揚してきた。疲れているはずなのに朝焼けがやけにきれいに見える。今なら何でもできる気がする。仕事まであと数時間だというのに眠る気にはならない。外にでも出て散歩でもしようか。そうと決まればすぐに靴を履いて外に飛び出した。スキップでもしようか。ああでも流石に不審に思われるかな。

「~~♪」

 なんでもない普通の日なのにやけに空気が爽やかに感じる。近所をただ歩いているだけで楽しくなれる。なんて素晴らしいクスリなんだ。これがあれば毎日が楽しく過ごせること請け合いだ。

「はは、ははは……!」

 笑みがこぼれる。いつまでだって歩いていけそうだ。ああでも会社の時間もあるな。でも今なら仕事も楽しめそうだ。ああ、これは本当に極楽だ。


 二日、三日。毎日毎日クスリを飲んで幸せに過ごしているともらったクスリはあっという間になくなってしまう。もうこのクスリがないなんて想像できない。ATMでありったけの金を引き出して封筒に入れて再び深夜の繁華街へと向かう。

「おや、お兄さん。どうしたんだい? こんなとこまで」

「はぁ、はぁ……塩焼きそば、三つ」

「ああ、お客さんか。どうぞこちらへ」

「早くしてくれ……」

 前回と同じように笑顔の貼り付いたスーツの男に案内されて路地へと入っていく。途中のドアに案内されると長い階段をスマホの明かりを頼りに駆け下りていく。早く、早くクスリを。

「はぁはぁ、クスリを、売ってくれ……」

「眩しすぎる。ライトを消してくれないか」

「す、すまない……! 早くクスリを……」

「そう急くな。いくらあるんだい?」

「五十万だ……! 五十万ある……! だから、クスリを……!」

 バンと封筒に入った金を叩きつける。一刻も早くクスリを飲まないと、あの多幸感を早く……。

「五十か。ふむ、君はリピーターだね。おい」

「はっ」

「五十だ」

「すぐに」

 男がクスリを取りに裏に行っている間もイライラと貧乏ゆすりを続けてしまう。

「お持ちしました」

「うむ。五十万円分だ。初回のサービスはなくなっているが、これからもよしなに」

「あ、ああ……たすかる!」

「では五十万円、いただこうか」

 封筒に入った金を投げつけるように渡すと老人が自ら金額を確かめる。早く帰ってクスリを飲みたい。ああイライラする。

「うむ、確かに。ではあちらから、おっとその前に」

「まだなにか!?」

「それと次からは合言葉が変わる。次の合言葉は追って連絡が行くだろうから逃さないようにな」

「わ、わかった……!」

 イライラと対応していたら大事な情報を言われた。合言葉が変えられるとこのクスリをもう買えないかもしれない。非通知の電話も全部出るようにしないと。

「それではそちらからお帰りいただこう」

 男に案内されてエレベーターに乗り繁華街に戻っていく。深夜の東京を小走りで抜けて家に帰ると慌ててクスリを開けて飲み込む。ああ、この多幸感……これがないともう生きていけない……。


 それから数ヶ月。貯金がなくなるまでクスリを買い続け、借金までして買い続け……ついに金が用意できなくなった。それでも一縷の望みにかけて深夜の繁華街に向かう。

「おや、お兄さん。どうしたんだい? こんなとこまで」

「あ、あぁ……塩昆布三キロ……」

「ああ、お客さんか。どうぞこちらへ」

 笑顔の貼り付いたスーツの男について路地へとフラフラと入っていく。ドアに入り転げ落ちるように階段を駆け下りると老人に怒鳴りつけた。

「おいクスリだ! クスリを早く!」

「おいおい落ち着けたまえよ。金はいくらあるんだい」

「もうねえよ! 分かってるんだろ!」

「では用意できんな」

「うるせえ! クスリだ!」

 カッとなって殴りかかろうとした腕を男に止められる。

「連れて行け」

「はっ」

「おい離せ! いって、おいコラ!」

 男は老人に指示されて俺をどこかへと連れて行く。暴れてもビクともしないのはこういうことに慣れているのだろうか。

「入れ」

「うぁっ! ここは……」

 連れてかれたのは暗くて狭い部屋。うめき声が辺りから聞こえて来るのは俺と同じような奴らだろうか。男が去っていった方に駆け寄るとドアがありすでに施錠されていた。俺はこれからどうされるんだ……クスリは……。



「おや、お兄さん。どうしたんだい? こんなとこまで」

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