第18話 刻む

 事務所には誰もいなかった。もぬけの殻である。

 落ちていた資料からここが違法な武器や薬物のやり取りをしていたことがわかる。嶺慈はその紙切れを握りつぶし、窓を割って下に降りた。狐の尻尾をクルクル回してバランスを取りながら着地。円禍は尻尾がなくても平気で降りてくる。

 倉庫を見た。明かりは灯っていないが、いるとすればそこだけだ。

 嶺慈は眼前の鉄扉を睨んだ。言霊が使えれば吹っ飛ばせるが、今はインターバル中である。隣の円禍に視線を送ると、彼女はパイルバンカーを構えて、それを打ち込んだ。

 激しい轟音が響き渡り、ドアが弾け飛ぶ。


「ひいぃっ」


 奥にいた男が悲鳴をあげ、後退った。

 隣にいた女が——鬼が一歩前に出て、脇差を抜く。


「お前が伊藤か?」

「私は名無しだ。名前なんてない。伊藤様に仕える犬だ」

「……そいつ、人間だろ」


 嶺慈は刀を上段霞に構える。


「アヤカシのくせに、ヒトカスに尻穴振るなんてな」

「伊藤様、お下がりください」


 鬼女が脇差を逆手に構え、低姿勢で駆け出した。

 嶺慈は妖力を込めた刀で下段から切り上げられた一閃を受け止め、鎬で押し合う。


「! ——妖力が吸われる、」

「これは霊吸いの脇差だ」


 左拳——鬼女の拳打が嶺慈の鳩尾を打つ。凄まじい打撃力に、息が詰まる。

 踏ん張りを効かせて姿勢を崩すのを堪え、落ち着いて息を吸い込みつつ前蹴りを女の腹に叩き込んだ。距離を空けると、真上から円禍が強襲。パイルバンカーから血の杭が射出され、地面のタイルをぶち抜いた。

 舞い上がった粉塵で視界を遮られた女に、円禍が上段回し蹴りを繰り出す。すぐに左腕でブロックするが、その威力にノックバック。

 嶺慈は左側から回り込んで胴に横薙ぎの一閃、鬼女は脇差で斬撃を逸らし、後ろに飛ぶ。


 視線を上に向ける。

 資材がクレーンに吊るされ、ぶら下がっている——。嶺慈は腰の拳銃を、円禍に投げ渡した。彼女は意図を汲み取り左手で銃を構える。

 鬼女がそのやり取りを見て、「妖力弾など私には効かんぞ」と吐き捨てた。


「大した呪具だな」


 嶺慈が踏み込み、切り込んだ。脇差と噛み合う刃が火花を散らし、鬼女はすぐさま左の裏拳を打ち込む。首を後ろに傾けて嶺慈はそれを危うく避け、かがみ込みつつ前進し柄頭を脇腹に叩き込む。


「っ、ぐ——」


 嶺慈は相手の背後に周り、袈裟に切り下ろした——が、あろうことか鬼女は振り返りざま角で刃を受け、凌いでみせた。

 腕をたたんで踏み込み、右腕で刀を保持。左拳を顔貌に叩き込む。


「が——」


 たたらを踏んで、後ろに下がる。そこへ、銃声が響いた。

 すぐさま脇差を音がしたほうへ振るったが、弾丸は彼女のずっと上——クレーンの紐を狙っていた。

 結ばれていた荷物が解け、落下する。


「くそっ」


 いくら妖力は無力化できても、物理的な質量攻撃はどうすることもできまい。

 落下するそれらを、鬼女は腕を交差させて防いだ。

 違法銃器を積んだ木箱、薬物を入れた段ボール。それらが次々落下し、鬼女を押しつぶす。


鬼姫おにひめ!」


 伊藤が叫んだ。まるで愛する女に呼びかけるように。

 嶺慈は黙って伊藤のほうへ歩いて行った。


「っひ……」

「俺から全てを奪ったヒトカスは、俺たちの同胞まで穢すつもりなんだな」

「なんなんだ貴様らは……なんで、私たち人間を喰うんだ……命をなんだと思ってるんだ!」

「ヤクの売買してるような奴に言われたくねえよ」


 嶺慈は刀の切先を向けた。


「俺は人間ってのに命以外の全てを奪われて、魂を殺された。俺に対するその扱いが、そっくりそのまま俺の人間に対する価値だ」

「なに……?」

「俺を尊ばなかった人間どもの命は、平等に軽い。俺は元々、善人ってやつじゃなかったしな」


 刀を振り上げる。

 背後から、箱が弾け飛ぶ音がした。

 傷だらけの鬼姫が飛びかかってくる。


「やめろっ! 伊藤様に触れるな!」

「なんなんだこいつは!」


 嶺慈は腕を振るって、女を投げ飛ばした。

 円禍がすぐに馬乗りになり、パイルバンカーを突きつける。


「人間だった頃から伊藤様だけが私を必要としてくれたんだ! お前らに——我儘なだけのお前らに何がわかる!」


 円禍が鼻で笑った。


「知るか。お前たちを理解する気なんてない。嶺慈を理解できないアヤカシは、同胞じゃないわ」

「狂ってる……!」

「ええ。自覚してる」


 パイルバンカーのトリガーを絞った。血の杭が、鬼姫の肉体を爆散させる。

 伊藤が、気が狂ったような悲鳴をあげてその肉片に飛びつき、かき集め始めた。


「ああっ——あああーーーー! あ……っ! ぁぁ……」


 その様子が、ひどく腹立たしかった。


 人間の分際で——俺たちを愛するな。

 お前ら如きが、俺たちと対等であろうとするな。

 知ったふうに——アヤカシぶるな!


「うるっせえんだよ!」


 喚く伊藤の頭を、その頭頂部から切りつけた。

 刀身が肉と骨を砕き、脳髄を切りつぶす。眼球が脳圧に負けて飛び出し、耳と鼻の穴からピンク色の脳みそが溢れ出した。

 口からは、赤黒い、絶対にこぼれてはならない致命的な色と濃度の血が溢れる。


「クソが……! クソが!」


 刀を引き抜き、また振るう。何度も何度も振るう。ひき肉にされた伊藤は、もはや人の原型をとどめていない。


 腹が立つ。

 やっと俺が俺らしくいられる世界に来たのに、そこにまで人間は踏み込んできやがった。

 どこまで俺を蹂躙すれば気が済むんだ。何が、なんで俺のことがこんなに気に食わないんだ。世界が俺を嫌うなら、俺だってこんな世界——!


「嶺慈」


 円禍が後ろから抱き止めてきた。振り上げた刀が止まる。


「時間の無駄よ」

「……円禍が、あんなふうに人間のものになる姿を想像しちまったんだ。……ちくしょう」

「大丈夫。……私は、人類全てが嶺慈を嫌おうと、アヤカシがみんなあなたを危険視しようと、隣にいる。私は嶺慈の理想郷で生きることを夢見る女よ。……あなただけの、伴侶なの」


 刀を下ろし、嶺慈は震える息を吐き出した。

 円禍が嶺慈の背中に額を預ける。


「大丈夫よ」


 その落ち着いた声は、嶺慈の底なしの激情を、激憤を驚くほど容易く鎮めていった。

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