第17話 狂瀾怒濤の狐

 地上に戻って千疋から言われた地点に向かっていた。

 港区の俗称で親しまれる浪川町に車を走らせる。ある埠頭にある倉庫が"ブタ野郎"こと伊藤いとうの根城だ。

 取引があったのは五ヶ月前。伊藤は前金で五〇〇万円を入れ、月賦で毎月二〇〇万を支払うことを計二十四回行うことを約束した。そのローンを踏み倒したのだ。

 奴が持ち去ったのは特殊な脇差であるという。どんな攻撃でも中和し、防ぐものだという。

 嶺慈は喉ケアスプレーのノズルを伸ばし、喉に噴霧した。チープなシロップの味が口に広がる。


「相手は地下の工房からローンを踏み倒す胆力がある。アヤカシとしても上の位だと思うけど」

「練習にはちょうどいい」


 嶺慈は自身ありげにそう言い切った。座席に立てかけてある刀と己の声を信じているのだろう。円禍はふふ、と微笑んだ。

 夜景を突っ切って、車は有川町から浪川町へ入る。

 海に向かって伸びるいくつかの埠頭のうち一つの前に来た。鉄製のフェンスドアが敷設されている。

 二人は車を脇に止め、こっそり侵入することを選んだ。


 嶺慈はフェンスに向かって「"溶け落ちろ"」と言霊を発する。すると鉄製の金網が赤熱化し、どろりと溶け始めた。

 溶けたフェンスから侵入し、嶺慈は出入り口で警備している男二人を見た。


「カタギだとは思えないな」

「人間を丸め込んでるのね。……始末しましょう」


 淡々という円禍に、嶺慈も従う。

 小さな詰所でコーヒーブレイクをしている二人に、嶺慈は目を細める。

 アヤカシと組んでいるなら妖力の扱いを知っていてもおかしくない。妖力を扱える以上、多少なりとも抵抗力がある。それを削がないことには、直に言霊で殺すことはできない。

 そこまで考えて、みみっちくて男らしくない考えだと思った。


 やるなら、やれ。徹底的に。カバンで殴って抵抗するメスじゃねえだろ、俺は。


 嶺慈はそう自分に言い聞かせ、口を開いた。


「"ぶっ飛べ"!」


 嶺慈の言霊が炸裂した瞬間、詰所を見えない手でぶっ叩いたような衝撃がもたらされた。

 紙吹雪のように小屋が吹っ飛び、中にいた人間が病葉わくらばのように宙を舞った。人間に命令するのではなく、世界に働きかけて物理攻撃。

 その威力も、精度も以前と比べ段違いなものとなっていた。

 さながら怪獣に蹴飛ばされたような惨状のそれを見遣り、嶺慈は堂々と歩き出す。円禍も微笑んで、数歩後ろをついてきた。


 すぐさま埠頭のサーチライトが嶺慈たちを照らし、どこからともなく警備の連中が現れる。

 嶺慈は刀を抜いた。鞘を腰の帯に差し、くるりと手首を捻ってから上段霞に構える。


「"刀剣、武術、学習"」


 嶺慈は言霊をぶつける。

 それは、物事の学習を強制するもの——世界に働きかける神代術式の高度な応用だった。世界への命令と同時に、世界が記憶するすべての宇宙の記録アカシック・レコードへの開示命令と、それを己に付与することを命じたものだ。

 直後、脳に膨大な情報が叩き込まれた。

 対外的な時間にして二秒ほど。しかし、その体感時間は数百年以上。剣術家の、武術家の凝縮された濃密な数百年が、脳に刻み込まれる。


 つぅ——と鼻血を、そして両目から血の涙をこぼし——涙自体、薄い血であるらしいが——、ある警備の男が警棒に偽造した高電圧警棒を振るった。当たれば、感電死待ったなしの一万ボルトの電圧が襲いかかるものだ。

 嶺慈は次の瞬間、その警棒を握る腕を瞬時に切り上げ、切り落とした。


「えっ、あ——熱っ……」


 痛みも行きすぎれば熱しか感じない。相手がその激痛を知覚して悲鳴を上げる寸前に、嶺慈は上段に構えた刀を振り下ろし、首を落とす。

 警備たちがどよめき、直後後方から破魔弓が飛んでくるが嶺慈は見ずとも空気の流れと振動で察知し、刀で弾き落とす。つま先で落とした矢の半ばから先を蹴り上げて手で掴み、鏃をもぎ取って投擲。次の矢をつがえていた女の右目を穿ち、そのまま脳を撹拌して即死に至らしめた。


 狂騒と狂乱の気配に、嶺慈の口角が否応なしに上がる。

 円禍が、札から顕現した杭打ち器を構えた。個人携行用のパイルバンカーである。彼女はそのシリンダーに己の血を充填し、結界を張ろうとしていた女の胴をぶち抜いた。

 血圧力で射出された杭が女の胴を貫き、上下泣き別れにして吹っ飛ばす。血の杭はすぐに戻り、シリンダーに還元される。


「止めろ、っ——止めろ!」

「ちくしょうなんだこいつら!」


 嶺慈は獲物を前にした狐のように牙を剥き、襲いかかった。

 ウサギや鶏の群れに突っ込んだ狐がその血に酔いしれ狂うように、嶺慈は己が舞い上げる血煙に酔臥しそうになる。心地よい充足感、圧倒的な満足感。鶏小屋に侵入したように、まずは肩慣らし——色々試したいことを試す。


 筆舌に尽くしがたい、満たされる感覚——ああ、まさしくこのために生きているんだ、俺は。


 嶺慈の肩に高電圧警棒が激突。筋肉が痙攣し、腕が跳ね上がった。刀が逸れ、筋肉が収縮するが故に手放すことはないが、満足に振るえなくなる。

 心臓が、激しく痙攣した。——まずい、十数秒後には意識を失って死ぬ。直感で悟った。


「"電気ショック"!」


 麻酔も、無意識化でもない、心臓への電気ショック命令。次の瞬間、気が狂いそうな激痛が心臓を襲った。

 目玉の毛細血管がこれでもかと脈打ち、こめかみに青筋がベキっと浮かび上がる。喉の筋が硬くなり、肉体への負荷が強かったせいで吐血。だが、心房細動は治った。

 約四秒。

 群がる男どもを、「"ぶっ飛べ"! 寄るな!」と吹っ飛ばし、言霊のインターバルを体術で潰す。


 言霊の強さにもよるが、次に打てるまでに最短で三秒の間隔があった。おそらくこれは術式のクールダウン、そして命令される側——そこにある世界のルールだろう。努力ではどうしようもない弱点だ。

 円禍が、狐というよりは己への痛みすら顧みない狂瀾怒濤の狂戦士めいた嶺慈の戦いぶりに、思わず引いた。

 惚れた男とはいえ、あまりにも荒々しい。一人にしておくと、それこそ一国の軍隊に単独で殴り込みに行くんじゃないか——それくらいの、戦狂いに思える。


「伊藤ォ! 出てこい! 叩きのめしてやるよ!」


 ボルテージは最大。ここで逃げるという最高に興を削ぐ真似をされたら、多分ブチギレる。自分のことだから、よくわかる。


「この野郎、いい加減にしろ!」


 ある警備が、その手に散弾銃を握り締め嶺慈に向けた。

 直後、一二ゲージバックショットが、嶺慈の胸を吹っ飛ばす。

 本来鹿を撃つショットシェルである。人体に向けて撃てば、普通なら体はバラバラに泣き別れだ。アヤカシとしてのフィジカルが、それを防いだ。

 肉と血が舞い、嶺慈は吹っ飛んで壁に叩きつけられた。口からは塊のような血をぶちまけ、——笑っていた。

 散弾銃を握る男は、ゾワッと恐怖に背筋を凍らせる。

 ——こいつは、狂っている。


「"治癒"」


 回復を伴う言霊は、代償が大きい。さて、己の肉体の損傷を治癒させた場合、何が代償となるのだろう。

 言霊はしっかり機能した。ボコボコと泡立つようにして筋肉が、肉が再生。砕けた骨がグジュグジュと元の形状へ復元されていき、失われた組織を細胞が急速に分裂を繰り返すことで治していく。

 こんなことをすれば、細胞分裂の回数を決めるテロメアを著しく消耗するだろうが——アヤカシは、その酵素によってテロメアを修復できてしまう。極端にいえば、彼らは


「ばっ——化け物……!」

「こいつ、不死身か!?」


 直上から、円禍が降ってくる。

 血のパイルバンカーを真下に打ち込み、眼下の人間三人を一瞬で肉片に変えた。

 敵の血を己の血で侵食し、取り込み、肉体と予備シリンダーに還元。円禍は戦う限り血を充填し、回復し続けることができるのだ。


「やってみるもんだな。ほとんどアドリブだが、自分も治せる」

「デメリットはないの?」

「多分言霊が使えなくなった。"円禍は俺に呆れてビンタする"」

「してあげてもいいけど。なんならグーで」

「でもしないってことは、機能してねえな。……ち、そこまでうまくはいかねえか。電気ショックを使えたのはギリセーフだったし、まあまあ危ないことしちまった」


 学んだ対象がもっと真理に近いものなら、最悪永続的に言霊を封じられていたかもしれない。あくまで武術——剣術と、それに付随するいくばくの体術に限定したのが大きかった。


「少し変わった?」

「アヤカシらしくなった自覚はある。しょぼくれた高校生に戻る気もねえよ。……伊藤を探そう」


 嶺慈はそう言って、刀を血振りした。

 視線の先には、事務所と思しき二階建ての建造物が見えていた。その脇には、倉庫。

 どちらかに、ローンを踏み倒した馬鹿がいる。

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