第16話 千疋工房

 地下都市アナグラは、黄昏時のような夕闇がその街並みを照らしていた。

 広がっている空間はおおよそ地下とは思えないほどに発展しており、地面はアスファルトで舗装され、立ち並ぶ雑居ビルなんかもある。

 中心部だろうか、そこには二〇〇メートルはありそうな高層ビルがあり、その周辺だけ高層ビルが立ち並んでいた。

 等間隔で二四〇メートル地点の天井と地盤を支える柱が並び、その広大な地下都市は静かに佇んでいる。

 嶺慈はもっと世紀末的な光景を想像していただけに、この意外な風景には素直に驚く。


「今日ここに来たのは嶺慈のために作っておいた刀を引き取るため」

「刀?」

「そう。あなたの身長から二尺四寸五分の刀がいいと判断して、打ってもらってた。陰陽師と戦う上で武器は必須。言霊がある以上、遠距離攻撃手段はもう十分でしょう?」

「まあな。でも拳銃は拳銃で持っとくぜ」

「やだ嶺慈様、この慈闇の愛情をとっておいてくれるなんて♡」

「……それはさておき、刀ってのは……日本刀?」


 嶺慈の問いに、円禍はこくりと頷いた。


「正確には霊刀、ね。妖類鉱石のヒヒイロカネ合金を用いて打たれた一振り。秋月と私、慈闇、穂村組長のポケットマネーからの投資よ」

「ちなみにいくら?」

「横浜の豪邸を一軒、一括で買えるくらい」

「……に、二億前後……?」

「貧乏人の銭失いっていうしね。ケチって死なれても困るって秋月は判断した。穂村組長なんかは言霊を録音してストックさせて欲しいなんて言ってたわ」

「ああ……一回試したけど、出力は落ちたな。繰り返せば繰り返すほど精度も落ちていくぜ」


 嶺慈は自分の言霊を、妖力式のレコーダーに封入して使ったことがある。

 初撃の段階で既に威力は三割落ちており、精度も悪い。繰り返すごとに、一割ずつ減衰していく——体感そんな感じだった。何より、妖力バッテリーが上がってしまい、焼き切れるのだ。

 とはいえ、嶺慈の言霊は「命じたことを、世界に強制させる術式」である。これは、円禍がいうところの「因果を破る術」——「神代術式かみよじゅつしき」らしい。

 その気になれば、物理法則や重力法則、スケールの原理だけでなく、時間や空間といった概念さえ絡むものまで「強制的に従える」ことができるらしい。

 嶺慈の声のストック——それは、言葉以上の意味がある。


「ま、いいけどな。言霊は俺自身には効かねえし、仮にぶつけられたところで平気だ」

「それはそう。自分の声に振り回される言霊術なんて聞いたことない」


 それこそ嶺慈が「死ね」と言霊を発した際、もし本人の声に影響を受けてしまうのなら、術師である嶺慈も死んでしまう。

 凛が、ショーウインドウを指差した。


「マネキンじゃなくて人間ですね」

「ええ。防腐処理を施して、屍霊術でマネキン化した人間。ゾンビとかキョンシーと言っていいわ。もっぱら影法師は屍兵コープスと呼んでるけど」

屍の肉体の軍団コープスのコープスのコープス、ってことね。あれ、嶺慈様?」


 慈闇が言葉遊びを披露したが、肝心の嶺慈が聞いてなかった。

 彼は首輪と鼻輪をつけられ、ボロ布を着せられて荷車を引っ張る人間を見ていた。


「エロMODを入れたゲームみたいな光景だ」

「生かしてあげているだけ感謝して欲しいわ。やつらは隷属を条件に食肉加工場行きを免れたんだから」

「ふん……」

「あら、人間に肩入れ? 同情するなんて」

「誰が。俺たちの楽園で人間が息してるのが気に食わないんだ」


 嶺慈の端的な怒りに、円禍は目を丸くした。

 つい一ヶ月前までは自分がその人間であったのに、今やすっかりアヤカシである。円禍はそれを都合がいいとか手のひら返しとかは、一切思わなかった。純粋に、同じ絶望を踏み越えた同胞が増えて、嬉しかったのだ。

 一行は慈闇の案内で、路地に入った。

 どこかから引っ張ってきている河川が、水車を回している。河川は勾配を下って下流で地底湖に合流しているらしい。

 ある一軒の鍛治工房についた。看板の『千疋工房せんびきこうぼう』の塗料が熱で溶け、まるでホラーゲームの背景のようなおどろおどろしさを醸している。


「千疋さーん!」


 円禍が珍しく、大きな声を出した。しかしそうでなくてはならない理由がある。

 当然、工房であるからアヤカシが数人勤務して、素人にはさっぱりわからない符牒を言い合いながら槌を振るっているわけだ。ガンガンゴンゴンうるさいなか、ボソボソ呼びかけたって聞こえるわけがない。

 まして、水力とボイラーで動く機械が常にゴウゴウシュウシュウ騒音を立てている。大声というか、張り上げた怒鳴り声くらいでないと聞こえまい。いや、それでも耳元じゃなきゃ聞こえない可能性がある。


「なんだい!?」

「嶺慈! 連れてきた!」

「あがりな!」


 そう言われ、嶺慈らは草履やら靴を脱いで上に上がった。工房の先、畳が敷かれた居住スペースに入る。

 奥で、仕上がった刀剣にワタをポンポン振って手入れしていた女が、白濁しかかった目でこちらを見た。


「見苦しい目で悪いね。鍛治仕事で目が灼けるんだ」

「……少し、いいか。じっとしてろ」

「なんだい若造。あんた敬語もろくに——」

「"眼球"、"治癒、"永続"」


 嶺慈がその三つの言霊を発すると、千疋と呼ばれた狼の耳と尻尾を持つ女の目が、青い光の帯に包まれた。


「お、おいなんだこれは!」

「じっとしてろ」


 嶺慈の喉の奥から、込み上げてくるものがあった。舌の奥が探りとった濃い血の味に、嶺慈は脂汗を掻きながら吐き出すのを堪える。

 まだ癒す言霊は早かった——だが、やった以上やり通す。中途半端は嫌だ。アヤカシになって、変われたなら——やり通す覚悟を持って、己の野望を果たせ。

 嶺慈は血を飲み込み、激しい全身の痛みを噛み殺し続けた。妖力が毛細血管を逆流するような不快感を耐え、やがて光の帯が消えた。


「どうだ。見えるか」


 嶺慈の声はガラガラに枯れ果て、どうみても満身創痍。円禍が慌てて寄り添い、慈闇が背中をさする。凛はいい気味だ、と思っているんだろうか——と思いきや、静かに水筒を差し出していた。


「嘘だろう。視力が戻ってるじゃないか……」

「言霊の力さ。命を預ける道具を作ってくれたみたいだし……お互い、つまらない敬語は無しだ。単刀直入に言う。俺のために腕を振るえ」


 嶺慈は片膝をつきながら言った。

 千疋はふっと笑って、


「格好がサマになってないね、東雲嶺慈、だったかい? ……で、東雲の坊や。私の腕が欲しいって?」

「ああ。欲しい」

「我儘だね。でも、大恩ができた。いいよ、話次第じゃあんたの専属になっていい。可愛い弟子の顔もまた見れる……旅行も、美食も楽しめる……」

「着実に仲間を集めるわね、嶺慈。でも無茶しないで」

「ああ。完全にアドリブだったが、上手く行った。壊すより治すほうが力がいるってこともわかった」

「仲間? あんたらは影法師だろ。謀反でも企ててるのかい?」


 その質問に、荒い呼吸を繰り返す嶺慈の代わりに慈闇が答えた。


「最終目的は同じですよ。ただ、嶺慈様はその過程で「永遠なる闘争世界」を実現せんとしているの。全ての生命が、ただ本来あるべき闘争に狂乱する世界。……なんて美しい」

「なるほど、そりゃあいい。私の腕が必要とされる最高の世界じゃないか」


 千疋はあっさり、嶺慈の途方もなく気が狂った野望を支持した。が、武具を作る人種にとって、それを流通させる職を手につけたものにとっては、嶺慈の野望は理想的な世界の実現と言える。

 日和ったアヤカシや、世界を陰から支配したがる陰陽師連中や、平和に暮らしたい人間には最悪だろうが。


「しかしどうしてそんな狂気を実現したいんだい」

「嘘偽りと欺瞞の世界で生きるのには飽いた。ペテンが蔓延り散らかして虚像と虚構おっ立てたクソ薄っぺらいハリボテの舞台をひっぺがして、つまらんママゴトを終わらせる。ただそこにあるだけの、本来あるべき剥き出しで純粋な世界に戻すだけだ」


 水筒から生き血をがぶ飲みした。アヤカシの肉体は、人間が持つ酵素を妖力に変換し、それを肉体の治癒に充てる機能を持つ。

 嶺慈の青ざめた顔色に血色が戻り、彼は脂汗を羽織の袖口で拭って、改めてあぐらをかいて座った。


「アヤカシ的、だね。実にアヤカシ的だよ。聞いた話じゃひと月前までは人間だったって聞くが嘘みたいだ。何があんたをそうさせる?」

「他ならない俺自身だ。俺の身体と魂が、狂おしいほどに闘争を欲しているんだ」

「エゴイストだね」

「エゴイスト上等。我儘だって突き通せば立派な信念だ」


 嶺慈は真正面から、そう言い切った。

 千疋はふっと微笑む。


「いろんなアヤカシを見てきたが、面白い男だね、あんたは。わかった、わかったよ。降参だ。提携でもなんでも結んでやろう。嶺慈、あんたの刀はできてるものがあるが、他三人も裏にあるものは好きに持っていくといい」


 円禍が頭を下げた。「感謝します」

 慈闇と凛が「やった」「新しい弓が欲しかったんです」と手を合わせる。


「しかし、目を直してもらっただけで私の腕を売る、って思われるのも癪だねえ」

「もったいぶるな。言え」

「地上に私の作品を持ち逃げして隠れたブタ野郎がいる。始末して、取り返してきな」


 千疋は、瞋恚を滲ませた目で、嶺慈にそう命じた。

 互いに対等な協力者である。嶺慈は武具の提供を、そして千疋は舐めた真似をした愚か者の始末を提案してきたのだ。

 嶺慈は頷いた。


「円禍と二人で行ってくる。慈闇、凛、千疋と取引内容をまとめておいてくれ」

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