第15話 アナグラ
円禍が運転するSUVが紫電物流敷地内の寂れた廃倉庫に入った。
本社ビル脇にある、本当に個人でも所有できそうな倉庫だ。一軒家ほどの敷地内に、二階建てくらいの大きさの倉庫が鎮座している。
嶺慈はどこに連れて行かれるんだろうと思いながら円禍、慈闇、凛と共に倉庫の中に入る。
倉庫内は比較的綺麗に片付けられていた。
錆びたラックを隅に押しやり、木製のパレットを積み上げ、空の瓶が詰め込まれた段ボール箱が隅っこに追いやられる——というのを片付けというならば、という意味だが。
嶺慈は、部屋の隅にあるタイルをひっぺがす円禍を見た。電気なんてついていないし、窓はベニヤ板で塞がれ目張りされているので月明かりも入らない。しかし彼らには優れた夜目があり、わずかな光を増幅し、闇の中でも問題なく視界を確保していた。
石のタイルを剥がすと、そこには地下に続く急勾配な階段があった。
「溟月市はアヤカシの街。地下には独自の世界がある。地下深度三四〇メートル以下の世界がね」
嶺慈は息を呑んだ。
都営地下鉄の最も深い路線でも地下四十二メートルと聞くが、そのおよそ八倍の深さだ。
「来る?」
「行くさ。行くに決まってる」
怖気付いてやめる、なんて選択肢はなかった。
嶺慈は前後を挟まれながら階段を下っていく。アヤカシになってから体幹がさらに強くなったのかは知らないが、多少無茶な姿勢や動きをしてもバランスを崩さなくなった。
階段を降り始めて少し。体感で五メートルほど降りると、目の前にエレベーターが現れた。
よく映画やゲームで見る、軍事施設にあるような剥き出しのケージに手すりが付いただけの貨物運搬用のエレベーターだ。
それに乗り込んでコンソールを叩くと、ガゴン、と音を立ててエレベーターが下降し始めた。
「地下ってのは、いつ作られた?」
「施工自体は明治時代。戊辰戦争の頃には計画があったみたいよ。人間社会における大乱を危惧した『幻視の神子』がアヤカシに巨大防空壕の作成を命じたの。実際、二度にわたる大戦が起きたでしょ」
「ああ」
「その後の奇跡的な経済復興に影法師が寄与して、アヤカシが過ごしやすい地盤を築けたのもこの地下のお陰。妖術を科学に転用するっていう、影法師の現在の頭領の思想が人間社会のニーズに合致した。陰陽寮的には面白くなかったでしょうね。彼らのシナリオでは人間がスマートフォンなんていう携帯パソコンを持ち歩くのは、半世紀は先の想定だったんだから」
アヤカシは——影法師は歴史を影で操っていたのか。まさに世界に影を落とし続けてきたのだろう——誰よりも先を歩き光を浴びるが故に、その後ろの世界に陰影を刻んできたのだ。
凛が言う。
「妖術は科学の完全上位互換。陰陽師は、そんな妖術を扱う己を特別視しているの。自分たちは八百万の神々から啓示を受けた選ばれし存在だと。愚かね、そもそもが神であったアヤカシからの貰い物だって言うのに」
「妖術はアヤカシのもの?」嶺慈が聞くと、慈闇が頷いた。
「そそ。かつて神であった私たちの専売特許」
「なら陰陽師はどうやって……」
「陰陽師っていうのはね、嶺慈様。——鬼憑き状態を無理に持続させている、半人間たちのことをいうのよ」
「なに? やつらも魂が死んでるってのか?」
「うん。でも、その魂の死にアヤカシが絡んでいるから、私たちを憎んでいるって感じね。同じアヤカシに堕ちるのは嫌だから、術や薬で無理やり成らないようにしてる。中にはあえてアヤカシ化して、陰陽師と組む志願した式神もいるみたいだけど」
陰陽師という連中もだいぶ狂っているな、と思った。
が、互いに戦う理由と退けない事情があるのだと理解した。
毎度毎度死ぬことを織り込み済みで、まるで未来の死を受け入れたように襲いかかってくる陰陽師が奇妙で仕方なかった。さながら、ゾンビと戦っているような手応えといえばいいか——動く死体を殺し直すような感覚だった。しかし、その訳がわかってスッキリした。
原動力に怒りや憎しみがあり、それがウエイトの多くを占めるならば痛みや死で止まらないのも然もありなん——と言ったところだ。
その感情は、よくわかる。他ならない嶺慈がそうだからだ。
エレベーターが重たい金属音を響かせながら下降していく。
戦時中の先人たちを支えたそこへ、地の底へ誘っていく。
「
円禍が言った。
やがて、エレベーターが止まる。
目の前には大きな隔壁。
「プラズマを衝突させても貫通しない防護隔壁よ。表面装甲の内に妖力素子が組み込まれていて、外部接触の際に斥力——つまり、結界を形成するのね。いわゆるバリア、みたいなもの」
「SFみたいだ」
「この扉はアナグラの住民か影法師の妖気を認証できなければ開けられない。当然、死体の妖気では感知されず開かない」
「鉄壁の守りだな」
「ええ。
円禍がそう言って、デバイスに手をかざす。
やがて隔壁がゴゴゴゴ、と音を立て、シリンダーが回転。圧搾空気を吐き出し、上下左右に開いてその腹の中を見せるのだった。
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