第14話 地下
トラックの助手席で、嶺慈はコンビニで買ったキャラメルマキアートを啜っていた。正確にはカフェラテにキャラメルパウダーを振りかけたジェネリック・キャラメルマキアートなのだが、仕方ない。コンビニコーヒーにはキャラメルマキアートという商品そのものがないのだから。
「大型免許も持ってるんだな」
「ええ。普通免許を十八でとってるから、ギリギリ取得できた」
「戸籍上では二十一歳だっけ。普通免許を持った上でそれを三年保有し続けるんだっけ、大型の条件って」
「そうよ。五月に取ったわ」
「さすが物流会社の社員」
「人ごとだけれど、あなただって十八になったらすぐに教習所行き」
嶺慈はむしろ望むところだった。免許があれば色々便利である。車の運転もそうだが、困った時の身分証にもなる。今嶺慈はことあるごとに身分証を忘れたと嘘をついて、円禍や慈闇に助けてもらっていた。
「俺の架空の戸籍はどうするんだ?」
「裏に流れてきたものを使う。そうね、それ次第ならあなたは明日には十九歳ってことになるかも。世間的には」
「ふ……大人びた顔しててよかったよ」
嶺慈は元々美形だ。あの弟と同じで、美人な母親の遺伝である。それでいて父の形質も継いでいるから変に童顔ではなく、どこか大人びていた。
そのせいで周りからは「舐めた目で周りを見下している」みたいに思われて、喧嘩をふっかけられる事も多かったが——いい迷惑だ。おかげで喧嘩だけは、嫌というほど強くなった。それが今の実戦に活かされていると思えば、悪くはない——のかもしれない。
嶺慈はストローでラテを吸い上げる。シュガーは入れず、キャラメルパウダーの香りの甘さで、どうにかしていた。
一般にキツネ——イヌ科はコーヒー厳禁であるが、嶺慈は第一世代のアヤカシなので肉体のベースが人間である。アレルギー反応を起こす玉ねぎやコーヒーの類も平気だった。
カーナビにはつまらないリアリティショーが流れていた。
一時期その「脚本」の存在を暴露する騒動があったり、番組に出演したキャストが心を病むといった問題を引き起こしたりと、番組のあり方に疑問が持たれたジャンルだ。
薄っぺらい顔をした、ハリボテの経歴の男を取り合う美女たち。嶺慈は冷めた目で一瞥し、それっきり番組を切った。代わりに、インストールされている音楽ファイルにアクセスする。
「嶺慈、その人の歌好きね」
「なんとも言えねえが、好きなんだ」
流れているのは「歪んだ鳥籠」というナンバーだ。世界を鳥籠と、それを歪んでいるとして、そこに閉ざされて狂っていく鳥たちを歌い、最後には自らが失われないために鳥籠を破壊する——そんな感じだ。
鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う
卵は世界だ
生まれようと欲するものは
一つの世界を破壊しなければならない
——どこかの漫画が、有名な一文を引用していた気がする。
自分がこの世界を破壊しようとしているのは、つまるところそういう事なのだろうか。
この歪んだ卵の中で足掻いていて、孵化しようとしているのだろうか。
ここではないどこかに飛び立つために、この世界を破壊しようとしているのではないだろうか。
嶺慈は喉を鳴らし、カフェラテと一緒に買ったチキンボールのカップを開いた。衣と脂の甘い香りが、車内に満ちる。
アルコールティッシュで拭った指で一つ摘んで、それを円禍の口元に持っていく。彼女は「あむ」と嶺慈の指ごと口に入れ、チキンボール——丸く形成したツミレに衣をつけてあげた、丸い唐揚げを頬張った。
嶺慈も一つ頬張る。ハーブと胡椒のシンプルな味付けだが、悪くない。
あくまでも人肉は、そこに含まれる酵素が必須だから食べるだけで、栄養源にしているわけではない。純粋なカロリーやらの効率なら、普通の食事のほうがいいくらいだ。
人間は知恵があるゆえに、狩るのが困難だ。社会という存在が、法が殺人を裁くからだし、それ以外にもモラルというものを強制してくる生き物だ。
それに、アヤカシだから普通に人間を食えるが、人間同士で共食いするメリットは、少なくとも医学的には一切ない。
プリオン——いわゆるクーラー病や感染症などを引き起こすし、同胞を手にかけ捕食する極限状態は精神にもただならぬ変容をもたらすだろう。
歴史上人肉食が行われた背景は埋葬に関連した宗教儀式であったり、日本で言えば飢饉のときなどだ。ある記録では、ある家の老人が死んだ時に若い女が訪ねてきて「足をください、うちの爺さんも三日後には死にます」と、死体の物々交換を持ちかけてきた話や、人肉を犬の肉と偽って売った話なんかもある。
あるいは遭難して、やむを得ずまさかりで人間の肉を断ち割って食った話もある。曰く、脳を啜った時最高に活力が満ちた気がした——だそうだ。
その話を慈闇や円禍から聞いた時、嶺慈が素直に思ったのは「人間も人間を美味いと感じるのか」というズレた感想だった。
話が逸れたが、アヤカシが人肉に求めるのは特殊な酵素であって、栄養ではない。そのため、普通の食事も必須——という事だった。
チキンボールを円禍と分け合い、トラックを転がす。
紫電物流が保有する倉庫についた。搬入路にトラックをアプローチし、コンテナと搬入口を近づける。
作業員たちがすぐに防音結界を張った。人間が声を上げても外に漏れないようにするためだ。
がきり、とコンテナの鍵を開く音。次の瞬間、怒号と鳴き声が響き渡った。
入れられているのは十代から六十代の男女約百名。作業員たちはわかりやすい凶器である、短機関銃型の妖力銃を向けて追い立てた。
攫われたり、売られたりした人間にしてみれば人身売買に巻き込まれたと思っているに違いないが、実際は食料として連れてこられたのだ。どう足掻いたって助かる見込みなんてない。
嶺慈は助手席でくつろいだムードだった。円禍も慣れているので、すっかり落ち着いている。
「トラックはどうする?」
「ここに置いていく。凛と慈闇が私の車で迎えに来る」
「そのあと、別件があるって聞いたけど」
「ええ。地下に行く」
円禍はそう言った。
「地下?」
「ええ。あなたにもそろそろ知っておいてもらったほうがいいし」
どうやら嶺慈の知らない世界が、この溟月市には——あるいは影法師という組織にはあるらしい。
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