第3章 血の契り

第13話 淫靡な舞踏

 令和七年九月二日 火日曜

 その日の深夜二時、嶺慈たちは取引現場に来ていた。

 令和の夏は八月で終わりではない。九月中でも冷房が必須というくらいには暑いし、夜間は蒸し風呂に入れられているような不快感を伴う。

 穂村組の組員がトラックを持ってきたのは溟月市外れのサービスエリア。嶺慈らが乗ってきたレンタカーと交換で、そのトラックを円禍が運転する算段である。車は嶺慈たち以外のものは停まっておらず、サービスエリアもトイレと自販機以外機能していない。

 カエルと虫の鳴き声が聞こえてくる。風情がある鳴き声だ。人間どもの雑踏よりはずっと心地がいい。


 レンタカーには純度混じりっ気なしの覚醒剤、それから精製して固めたブロック大麻が末端価格で四八〇〇万円分という量が積み込まれている。トラックのコンテナにいっぱいの人間たちがたったの四八〇〇万円。約百人がこの値段だ。一人あたま四八万円で取引されている。おそらくはつまらない理由でついてきた破滅願望持ちか、騙されて売られた連中だろう。

 可哀想だとは思うが、それだけだ。子供が牛さん可哀想だね。そう思っても将来食べることをやめないのと同じだ。可哀想だろうが憎かろうが、平等に食肉に過ぎない。美味いから食う。それだけだ。


 いくつかの実践で修羅場を経験し、すっかり肝が据わった嶺慈は穂村組の男から「変わったな、兄さん」と言われた。


「兄さん、火もらえるかい」

「いいぜ。"着火"」


 嶺慈の言霊で青白い火が生まれ、穂村組の男が咥えていた紙巻に火がつく。男は「おっと……」と驚きつつ、紫煙を肺の奥まで吸い込んだ。口の中で煙を吹かす吸い方ではなく、本格的に肺を汚すような吸い方だ。おそらく、筋金入りのヘビースモーカーだろう。秋月と同じだ。

 言霊は強い力を使うとフィードバックが大きい——これは、妖術全般に言えることだ。

 妖力は生命力と密接な関係にある。妖力=可能性であり、可能性を生み出す生命力が妖力の源であるからだ。同時に妖力は生命を支える部分に根を張り、アヤカシの強靭な生命力と肉体、テロメアの修復による超長寿を可能としている。

 つまり妖術とは命の発露だ。それに対する反動とは、つまり生命力そのものへの反動と言える。

 現状、嶺慈に現れる症状としては喉の不調、声が枯れるなどといった声や音を媒体にした術にはありがちなものだが、彼の場合はもっと大きな力が働く。相手の腕を折る言霊を呪詛返しされた場合、嶺慈の腕が折れる可能性もあるのだ。


 嶺慈も己の煙草を取り出した。銀色のケースに入っているものだ。

 紙に刻んだ煙草草を乗せ、フィルターを入れずに紙を巻き、唾で接着する。「"着火"」と命じて火を浮かべ、それに煙草を咥えながら近づけた。息を吸うと、酸素と反応して煙草の先端に火がつく。

 甘い、バニラフレーバーの香りが広がった。

 メンソール系が苦手なので、この煙草に行き着いた。一方で男が吸うのは、どぎついメンソール系である。わざわざフィルターを折って、フィルターレスにしていた。


「兄さんいくつ?」

「十七。今まで酒も煙草も無縁だった。喧嘩はしょっちゅうしてたが、まあ……いい子ちゃんだったよ。女遊びだってしたことなかった」

「人間として生きていくにゃあ悪くねえ半生だな。アヤカシとしちゃ、つまらなさすぎる」

「だから、今取り返してんだろ。でもクスリはアヤカシさえ狂うっていうから、上司と彼女から止められてる」

「ああ。あれで狂ってくのは人間だけじゃあねえからな。知ってるか、陰陽師は特殊な薬品でアヤカシを式神として使役してんだと」

「はあ? 正気じゃねえな」

「催眠状態にして洗脳するんだそうだ。ああなっちゃあ殺してやる以外に救う手立てはねえ。覚えときな、兄さん」


 嶺慈は、もし元影法師の式神が現れたら怒り狂ってどうにかなりそうだと思った。

 円禍が、若い組員の青年の首筋を噛んでいた。青年は以前円禍がファミレスでスカウトした大学生であり、現在穂村組で働いている。

 吸血鬼の吸血は性的な快楽をもたらす。人間の中には死を選んでまでその快楽に狂う者がいるほどだ。青年は「ああっ……ぅ……」とうめきながら、指先を痙攣させている。


「嫉妬しねえのか」

「他の男と何しようが円禍は俺を選ぶ。俺がそうであるようにな」

「それ聞いて、俺の方が妬けちまったよ」


 嶺慈は根元ギリギリまで吸った煙草を携帯灰皿にしまった。袴——とはつまり着物の上に着付けるものなのだが、嶺慈は懐に物を入れる懐手を覚えていた。懐に物を入れておくと帯も上がってきにくいよ、と鶴野に教えられたのだ。合う都度性行為を求められるが、どうやら鶴野は嶺慈を相当に気に入ったらしい。アヤカシは精力も横溢だからそれくらいいいし、むしろ、溜まっていると気持ち悪い。アヤカシに奔放なものが多いのはそれが理由かもな、と思っていた。

 一方で異種族の懐妊は滅多にない。数十年毎晩同衾して、一人か二人できるかどうかだ。

 なので将来円禍や慈闇を孕ませたいのなら、今のうちから毎晩行為に勤しんだ方がいい。


「そろそろ行くよ。木澤君によろしくな」

「ああ。木澤ァ! いつまでも兄さんの女にひっついてんじゃねえ! 車出せ!」

「は、はい! じゃあ円禍さん、本当にありがとう……」

「いいのよ。頑張ってね」


 頬を赤くした、以前よりも生気にあふれた鬼憑きの青年——木澤はセダンの運転席に座った。構成員の男は助手席に乗り込み、車を出す。


「嫉妬しないんだ」

「わかりきってるからな、俺のものってことくらい。円禍が一番わかってると思ったが」

「他にいい子がいたら乗り換えるかも——」


 嶺慈が円禍の首筋を噛んだ。血が溢れる。


「そうなったら、隷属化してでも俺のものにしてやる」


 血を啜り、最愛の、狂おしいほどに愛してやまない女の味を舌で転がす。

 そのまま嶺慈は円禍の夜会服の裾を持ち上げ、足を片方抱えて性行為に耽った。

 と、


「"弾け"」


 気配、嶺慈は言霊でバリアを張る。直後、矢が数本青いドーム状のものに弾かれ、明後日の方向に飛ぶ。

 円禍と結合したまま彼女を抱き抱え、円禍は喘ぎながらレッグホルスターから妖力拳銃を抜く。

 優れた夜目が、闇に紛れる黒服を確認。嶺慈が体を回転させると、円禍は射撃。確実にヘッドショットを決める。


「"ぶっ飛べ"」


 破魔術を用意していた若い男に言霊をぶつけた。衝撃波がうねり、男はわずかに抵抗。しかし、次の瞬間吹っ飛ばされて電柱に激突。胴から真っ二つに胴体がちぎれ、腸やらなにやらを一面にぶちまけて絶命。

 嶺慈は性行為をやめない。円禍と繋がったまま撃たせる。

 彼女が上半身を投げ出した。左手を、嶺慈は掴む。まるで夜会を踊るように、淫靡な舞踏を刻みながら、おそらくは陰陽寮の陰陽師を殺していく。


 時間にして三分ほど。

 一方的な虐殺が終わった。

 嶺慈は繋がったまま一回射精。落ち着いたところで、両足を抱え込んで、円禍の顔を見せつけるような背面体位で突き上げる。月明かりと電光が、嶺慈たちを照らした。


 男が一人、うめきながら立ち上がった。奇跡的に息があるらしい。

 随分と抵抗力が落ちている。


「"眠れ"」


 嶺慈が命じると、男はぐるんと白目を剥いてその場に昏倒した。


「円禍、俺の子を孕め。他の男のガキなんて貰ってきたら、腹のガキ引き摺り出して食い殺してやる」

「じゃあ、早く子種をぶちまけてよ……嶺慈の子、私も欲しいから」


 嶺慈は円禍の首筋から血を吸い上げながら、誰かに見せつけるように精を吐き出した。

 円禍が震え、嶺慈の頭を後ろ手に撫で回しながら甘い吐息を漏らすのだった。


×


 嶺慈らは色々考えた末、その場で眠らせた男を叩き起こし拷問した——爪を三枚剥がした段階で、あっけなく吐いたが。それによって漏らした情報は、陰陽寮は以前嶺慈を逃した陰陽寮の過激派部隊である虚遍星瞋隊ごへんせいじんたいが、嶺慈の動向を探るように彼らを命令していたらしい。

 なぜその虚遍星瞋隊が、最近アヤカシになったばかりの嶺慈を狙うのかは謎である——そもそも鬼憑きだったなら、普通の陰陽師が保護・ケアするのが一般的らしい。


「俺にもわからん。お前のようなガキに、なぜあのイカれ野郎どもがご執心かなんて」


 男は震える声で言った。

 嶺慈は顎を撫ぜ、円禍を見た。


「こいつ、どうする?」

「利用価値はないし、血を貰う」


 円禍が男の襟首を掴み、立たせた。言霊による強制入眠、そして強制覚醒からの拷問で彼はボロボロだ。アヤカシに捕まった時点で死を悟っているのだろう。抵抗もしない。


「いただきまあす」


 円禍は男の首筋に歯を突き立て、肉をベリベリ剥がしてそれを咀嚼する。悲鳴をあげ痙攣する男の首筋からは間欠泉のように血が吹き出し、円禍はそれにむしゃぶりつくようにかぶりついた。

 肉を喰らい、頚骨を砕いて骨の髄をしゃぶり、脳みそを吸い出して美味そうに夜食を進める。


「いいっ——いっ、いいぃっ」


 男が、脳を吸われる間奇妙な呻き声を漏らしていた。全身が大電流を流されたように痙攣する。

 円禍は男の顔面に大口を開けて喰らいつき、その顔貌を噛み抉り、皮膚を捕食する。

 剥き出しの筋肉、目玉を一つ抉り、それを飴玉のように転がしながらややあって満腹になったのか、それとも太ることを気にしたのか頭蓋の中身を空っぽにし、その死体を投げ捨てた。


「掃除、頼んでいい?」

「ああ。"燃えろ"」


 嶺慈は陰陽師の死体に次々着火していく。髪の毛のたんぱく質とスーツが燃える異臭が、サービスエリアに立ち込めるのだった。

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