第12話 スカウトの仕事
八月も半ばに差し掛かろうとしていた。
世間一般は盆休みである。八月十七日はそんな盆休みの最終日で、嶺慈たちは無論そんなものは関係なく仕事である。
夕刻。——逢魔時。魔の者が跋扈し始める、日中と夜間の「境界の時間」。
古来より妖は「境界」に現れる。
山の神は山ではなく人里との境界に現れ、水神はあちらとこちらを隔てる川に現れる。海坊主は沖合と波打ち際の間に現れ、あるいは座敷童は日常と非日常の狭間である、普段使わない部屋で遊んでいるものだ。
かつて神であった妖怪は、「現実」と「異世界」を繋ぐ存在だ。故に、境界となる場所でその姿が見られる。そして日本の神は人前に現れる時、決まって子供の姿を借りる。
あるいは一つ目であったり、一本足であったり、とにかく一目で「人ならざる高位の存在」でわかる見た目でいるのだ。
ゆえに、アヤカシの中には人間に擬態することを「恥」と捉えるものが、一定数いた。
「お客様、お客様」
ファミレスでうたた寝していた円禍を起こしにきたのは、大学生くらいの若い男だった。人の良さそうな、気が弱そうな態度が言動や声音、顔にまで出ている。あれこれ頼まれて、断れずに心身を病むタイプだろう。
実際、薄目を開けた円禍は彼の魂の九割三分が死んでいることを見抜いた。微かに、鬼憑きの気配を感じるのだ。
そしてこの男をスカウトすることこそが円禍の目的であった。
彼女はサングラスをずらし、人間には「墨を流して黒くしている」で通している白目と、「カラコンで赤くしてる」でゴリ押ししている血赤の瞳を見せる。
普通なら、驚いて面食らった顔をする。
だが青年は、どうでもいいような顔をした。真っ当な判断さえできないほど、疲れている。
円禍は微笑んだ。
「ごめんなさい。あなた、このあとヒマ?」
「えと……いえ。七時には上がります」
「じゃあ、それまで会計は待って。終わったら、軽く飲みに行かない?」
円禍ほどの美女に誘われれば、若い男は二つ返事でついていくだろう。鼻の下を伸ばして。
だが青年は「……まあ、いいっすけど」と面倒そうに答えた。あと少しでも気力があれば断っている、という反応だ。
「じゃあ、待ってる。……フライドポテト追加で」
「かしこまりました」
座席に腰掛け、円禍はスマホを見やる。素早く連絡。このスマホは電波ではなく妖力で通信するものだから、基地局や中継基地に左右されず使えるし、傍受もされない。
ガワは普通の電子機器だが、中身は違うのだ。
円禍:素質のある青年と約束を取り付けた。多分、乗ると思う
慈闇:ナイス。こっちは事情を聞いたよ。ついてくるって
嶺慈:同級生から性的暴行を受けていたらしい。美人だからって浮いてて、嫉妬したクラスメイトに……って感じだ
凛:嶺慈の同級生みたいです。古巣に期せずして関わることになっていましたね
円禍:待って、ちょっと待って
「だからてめえは使えないんだよ! 皿を割るんじゃねえ! 皿だってタダじゃねえんだぞ!」
接客業の場とは思えない罵声が轟いた。
円禍は何事、と思ってそちらを睨む。
あの青年が、三十過ぎくらいの男に怒鳴られていた。戦慄く拳は、今にも殴りかかりそうな危うさを秘めている。
「なんだその目は! クソガキが! 世間を舐め腐った学生風情が、俺を、」
直後、悲鳴が上がった。声を上げたのは、それを見ていた女子高生である。
例の青年が綺麗なストレートを男に見舞っていた。鼻が折れ、前歯が三本舞う。そこで止まらないのは、明らかに鬼に憑かれたからだろう。彼はドリンクバーに置いてある、グラスを満載したパレットを掴み、それで男を殴りつけた。
血だるまになった男の頭を掴み、コーヒーサーバーにあてがう。
「バカっ、やめろ!」
そして、青年は躊躇わずスイッチを押した。熱々のエスプレッソが抽出され、溢れ出す。
男が激しく暴れた。周りはパニックであり、何をしでかすかわからない若者を取り押さえようなんて酔狂な者はいない。
床に転がした男の顔面を踏みつけ、脇腹を蹴飛ばし、無言で執拗に攻撃し続ける青年は、どう考えても普通じゃない。攻撃的になっているわけではない。その顔には、感情というものが伴っていないのだ。心が死ななきゃ、無感動にあんな残酷な真似はできないだろう。
後ろから、円禍が青年の肩に手を添えた。
「大丈夫?」
「わかりません……どうでもいいって感じですよ、もう」
「おいで。あなたみたいなのがいっぱいいる場所がある。大丈夫、味方になってくれるヒトたちだから」
青年はもごもごと、断るための言い訳を探しているようだったが、やがて諦めて振り上げた足を下ろした。
円禍は彼の手をとって、歩き出す。レジ横のトレーにお代を乗せて、店を去った。
散々蹴られた男は、その後の取り調べで度重なるパワハラと、陰で暴力を振るっていたこと——そして、暴れた青年の恋人を好き放題犯し、その様子を見せつけていたことなどを告白した。
×
夕暮れ時のとある廃工場で、一方的な喧嘩が繰り広げられていた。
嶺慈は、喧嘩慣れしている。
あんな家庭で育てば当然だが、人並み以上には慣れている。
呆れるほどに遅いテレフォンパンチを左手の甲で、円運動を被せて跳ね上げると同時に右拳を鳩尾に打ち上げる。
腰を折って、全身を飛び上がらせた同級生の頭部を掴み、顔面に二度、膝を打ち込む。鼻が潰れ、前歯が五本根元から折れた。
すかさず襟首を掴んで姿勢を正させ、ヘッドバット。壁に打ちつけ、半ば白目を剥いているそいつに、
「"寝るな"」
言霊で、無理やり覚醒させた。
「てめ……三組の、東雲だろ。……へへ、俺、お前の弟とも、ヤッ——」
「"黙れ"」
「っ————!」
嶺慈と慈闇、凛は目が赤い以外は人間と変わらない姿でいる。彼らは、擬態を恥とは思っていなかった。
周りには嶺慈に一方的に殴られ、蹴られ、投げ飛ばされた少年が三人。慈闇が、彼らに暴行を受けていた少女にコートを被せ、落ち着かせている——その、圧倒的な復讐劇を見たいという意見を尊重しながら。
凛が、主犯格の女子生徒を縛り上げ、転がしていた。
「俺は、お前らのことなんか知らん。学校に興味なんてそこまで向けなかったからな。ただ今日は、仕事で人材を引き抜きにきただけだ」
嶺慈は喉をぐるる、と鳴らし、シュッと喉ケアのスプレーを口の中に噴霧した。
「"破裂しろ"」
命じた言葉、その対象は——主犯の、女。
声を、妖力をその鼓膜から振動という形で浴びた彼女のが「うぶっ」と、込み上げる何かを耐えた。しかし、次の瞬間手足が膨張。縄をはち切れ寸前まで押し上げ、ボンレスハムのように膨らむ。
目玉が左右でバラバラの方向に向いて、「黙る」ことを強制された少年が悲鳴をあげたくてもあげられず、その地獄絵図の中少女が爆散した。
びちゃびちゃと肉片が、目玉が飛び散り、転がる。
「俺たちがいつまでも泣き寝入りしていると思うんじゃねえ」
怒り。純粋な、まじりっ気のないそれをぶつけられた少年は、恐怖のあまり大小を失禁。
嶺慈は自分が、矮小な復讐に終始していることに自覚的だったが、抑えられなかった。
仕方ないじゃないか。やり返すとスカッとするんだから。
嶺慈は開き直りにも近い感情のままに、少年にも命じた。
「"死ね"」
少年が——倒れていた数名の少年たちも突如として悶え苦しみ、胸や頭、全身の至る所を掻きむしり始めた。
細胞の一つ一つが「死んで」いく苦痛を味わっているのだろう。それは苦痛でもあり、快楽でもあり、激痛であり、痺れであり、くすぐられ笑い死ぬような、そんな感じである——と、部分的な「死」の言霊を浴びた円禍は言っていた。
悲鳴をあげたいのか、嬌声をあげているのかわからない。明らかに限界を超えた射精をしているのは、そのジーパンを濡らすシミと独特なにおいが示している。
電流を流されたように痙攣し、陸に上がった魚のように飛び跳ねて、頭を潰されたカエルのように狂ったようにのたうち回る。
それが十分、二十分——案外五分くらいか。
最後はあっけなく、大きく海老反りになった後、ぱったりと反応を止め、死んだ。
「さすが嶺慈様、殺してあげるなんて慈悲ぶかーい」
「私ならもっと苦しむ拷問をしますが……甘すぎますね、スケコマシ」
「慈闇に言われるのは納得できるが凛にアヤカシの道徳を説かれると腹が立つな」
少女を見る。
彼女はにぃ、と笑っていた。この凄惨な光景を見て笑うなど、普通ではない。やはり、魂が死んでいるのだ。
「お前、四組の柏崎だろ。下の名前は知らんけど」
「
「俺のところに来いよ。俺もお前みたいな理由でこっちに来た。悪くない暮らしができる」
慈闇が、少女の頭を撫でた。
「嶺慈様はバリバリの戦闘職ですが、内職とか、事務仕事もありますから」
「……うん。どうせ両親は私のことなんて、ステータスのパロメータの一つとしか見てないし……頭のいい兄がいれば、満足だろうしさ」
家庭内にも問題があったらしい。
どいつもこいつも、腐ってやがる。嶺慈の怒りは、やはりそういった「理不尽」に向けられる。
そうなっている理不尽。それを強いる理不尽。
クソが。町内放送かなんかで言霊を流してやろうか——そう思ってしまう。無論、そんなことをすればフィードバック次第では嶺慈が死にかねないのだが。
「警察が来る。ズラかるぞ。慈闇、柏崎を。凛、車出してくれ」
「はーい」「スケコマシに命令されるのほんと屈辱……」
嶺慈は血で染めたような羽織を翻し、その場を後にした。
血と糞尿と、吐瀉物と精液のにおいが混ざり合う、その異様な廃工場を。
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