第11話 溟い交わり

 午後八時半。部屋で、ささやかなパーティを開いていた。嶺慈がアヤカシとして覚醒したお祝いだ。

 テーブルの上には電気コンロが置かれ、その上には鍋。具材は野菜と豆腐、椎茸——一般的なすき焼きだが、その肉は双脚羊である。つまり、人肉だ。

 嶺慈たちは、他ならぬ彼の覚醒を祝い、鍋をしていた。

 風俗としての仕事を終えた慈闇はシャワーを済ませるなり部屋に入り浸り、酎ハイを開けて嶺慈の尻尾をずーっとモフモフしている。


「んー、狐の尻尾って感じ〜」

「本物触ったことあるのかよ」

「ないけどさあ。でも、これからは嶺慈様って呼ぼっかな……」


 と言いつつも尻尾をさわさわ、狐耳をさわさわしてくる。とても様付けして呼ぶ相手にする態度ではない。


「今日の客、ヘッタクソだったなあ……いや、丁寧なのはわかるけどさあ。しかもその丁寧な態度がナマでヤらせろって要求に繋がるわけだし。上手いんならまだしも……ったく」


 風俗嬢も大変らしい。嶺慈はピーチの酎ハイを傾けながら、半分耳を素通りさせながら慈闇の愚痴を聞いていた。その間も、慈闇は嶺慈の尻尾やらをモフモフフワフワ触ってくる。

 嶺慈は別に気にしなかった。どんな風に接してもらおうと、彼女らは嶺慈が密かに抱く「永遠なる闘争世界」、その実現に共感した同胞だ。無碍に扱う理由はない。むしろ尊敬し、共に戦う仲間だ。

 影法師が掲げるところの人間社会の完全掌握——その、過程における嶺慈の目論見は他ならぬ組織においても有効だ。社会を混乱させ、その隙に影法師は世界征服のため動く。

 嶺慈としては、壊れた後の世界がどうなろうが知ったことではなかった。ただ、今の欺瞞に満ちた世界を本来のあるべき美しい姿に戻せれば構わなかった。その後でアヤカシが支配した世界が欺瞞で満ちるようなら、自分がもう一度壊せばいいとすら思っている。

 偽りと嘘が蔓延るような世界なんて、滅んでしまえ。そのために力を振るう。嶺慈は、誰にどう言われようが、その考えを一貫することに決めたのだ。


 嶺慈は肉を頬張った。皿の卵液につけて、一口で肉を口に入れて咀嚼する。


 同時にこの生活が永遠に続けばいいのに、とも思う。けれどそれではダメだ。自分はどこかで、自分自身の魂が闘争を求めていることを知っている。

 この身体が、魂が、どうしようもなく闘争を求めているのだ。

 平和というぬるま湯の中では、おそらく己は生きられない。


 鍋の進みは早かった。若い男女が四人もいるのだから当然かもしれないが。

 ややあって円禍が冷やしたワイングラスを用意した。慈闇が「なに?」と気にし出し、円禍は凛に命じて例のトマトジュースを冷蔵庫から出させる。


「ボトル一万円の輝きよ」


 水やりを控えることで尻ぐされという生理障害を起こさせた闇落ちトマト。越冬して甘さを熟成させたそれのみを使った高級トマトジュースだ。

 円禍は「そんなのあるんだ」と驚く慈闇をよそに、ワイングラスにとくとくとトマトジュースを注いでいく。四人分でちょうど空になったボトルを置いて、円禍はグラスを掲げた。


「東雲嶺慈に。終わりなき闘争に。乾杯」

「「「乾杯」」」


 グラスを合わせ、四人はトマトジュースで乾杯。

 その味わいは、濃厚で甘みが深く、トマト特有の酸味もありつつ、そういう種類のフルーツを粗めのペーストにしたジュースを飲んでいるようだった。

 喉越しは濃い果肉を、喉の奥で噛むような感じ。飲む、というよりは飲みながら食べる、に近い。

 控えめに言っても一万円に恥じぬ味わいであった。嶺慈は思わず一息で全て飲み干し、ワイングラスをテーブルに置く。


「味わって飲めばいいのに」

「味わったからあっという間に無くなったんだ」


 嶺慈はそう言って手持ち無沙汰に、締めの雑炊の残りを器によそって、スプーンでかき込む。

 冷静に考えて、人肉のエキスが滲んだ雑炊を食べるなど正気の沙汰ではないんだろうな——と他人事のように思う。もしこの光景を人間が見たら、どんな反応をするだろうか。

 人間の中にも気が狂った性癖のやつもいるが、それが全てではない。カニバリズムという倒錯に傾倒する人種は、はっきり言っておかしい奴らだ。

 だからと言って嶺慈は自分がおかしいとは思っていない。普通だと思っている——無論、誰だって自分が一番普通なのだろうが、そうじゃない。

 別の何かになっている、ということだ。何度も自覚しては疑い、自覚する。そうして、認識を改め補強する日々だ。


 円禍がトマトジュースを呷る。一雫、赤いトマトのペーストが喉を伝った。嶺慈はたまらず彼女の青白い喉に舌を這わせ、喉笛を、そのまま噛み切れば殺せてしまう細い首をひと舐めし、顎を舌先でなぞる。


「殺されるかと思ってゾクゾクした」

「お前がマゾだとは思わなかったよ」


 嶺慈はいやらしく、獣のように笑った。嗜虐的で、凶悪な笑みだ。円禍の、伸ばされた右手首を掴んだ。すかさず回された左手を、空いた右手で掴む。そうして左手一本で彼女の両手首を握り込み、ぎゅう、と締め上げる。


「嫌われるから隠すつもりだったけど、俺は……乱暴者なんだ」

「知ってる。片鱗って言葉じゃ隠せないくらい、滲んでた」


 嶺慈は円禍を押し倒した。絨毯の上で仰向けにし、馬乗りになって手首を押さえつけ、首筋を執拗に舐める。

 円禍が上気してきて、嶺慈は首の裏を、その熱湯のように赤く熱くなった耳殻を甘噛みした。甘ったるい吐息が、耳元を掠める。

 彼女の長い髪を右手で見出し、その匂いを、汗が混じった頭皮の匂いを嗅ぐ。

 これが俺を導いた女の匂い——改めて知る、愛おしい、蹂躙して壊したい香り。


「お姉様が……生娘のように乱れてる……」

「りーん、慈闇様が退屈だぞー」


 あちらも、始まった。

 嶺慈はそちらには関わらず、円禍の全てを詳らかにしようとした。

 手首を離し、左手と円禍の右手を重ね合わせる。骨ばった細い手が、嶺慈の肉付きのいい頑丈な手に絡みつく。ひんやりと冷たい、死者のような温度。それが、嶺慈の狂熱が焼き溶かすように侵食した。

 右手は彼女の股関節を触れていた。骨の出っ張りをくすぐるように触れると、円禍が「あっ」とか声を漏らし、ひくりと跳ねる。

 性感帯になるのは、ヴァギナや乳房だけではない。骨なんかもそうだ。過敏になっている部位を、ソフトタッチで触れれば彼女は感じる。それを、嶺慈はこの短い期間に学んでいた。あるいは、サキュバスという最高のお手本がいたのも良かったかもしれない。


「嶺慈っ……いじめないで……」

「そう言われていじめなくなるやつなんていねえよ」


 脇腹を、肋骨をそわそわと触れる。くすぐったいのか気持ちいのかわからない、そんな感じ。

 女性の感じ方は男とは違う——らしい。彼女たちの絶頂は、体の内側から足の痺れのような感覚が広がっていくようなものらしい。であれば、それらしい刺激を持続的に、もどかしく与えれば。

 たとえそれが歴戦のアヤカシであろうと、もはやただ快楽を貪る一匹のメスだ。そして、嶺慈もまたただただ獰猛なだけの、オスに回帰する。


 円禍が耐えきれず、嶺慈の首筋に噛みついた。牙が皮膚を破り、血を溢れさせる。

 じゅるるっと血を吸い出し始めた。嶺慈は、まるで首が性器になったような奇妙な感覚を味わった。血を吸われると、その度に射精しているような快感が炸裂する。

 病人は瀉血といって体の血を抜くと楽になるというらしいが——ある意味ではこれは、その瀉血、デトックスと言えるかもしれない。

 嶺慈の首に、額にうっすらと汗が浮かんだ。


「盛りのついた狐みたい。凄い、かお……してる……」

「こんなに……ひとを好きになれるなんて、思わなかった……俺には、無縁だと……」

「好きにしていいよ。……ほら、おいで」


 円禍が両手を広げた。嶺慈はたまらず、イキリ立った逸物を納める。

 唸り声と嬌声が部屋中に溢れる。アヤカシ同士の、本能剥き出しの交わり。何度目だろうか——時間さえあれば一日中延々していることさえある。

 だが今日のそれは、今までのを上回る支配感、征服感に満ちていた。

 惚れた女を好きにできるオスとしての強さを手に入れた喜び。そしてその女から心から愛されている自覚。


 ああ。

 この恋は。

 この、あまりにも溟い恋は。


 世界を滅ぼすに足る、胸焼けするような満足感と甘ったるさに、満ち溢れている。

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