第4話 勝つために、生きるために

 溟月市くらつきしは神奈川県沿岸部に拓かれた都市だ。人口は二六五・八万人。大阪市には劣るが、いわゆる百万都市だ。

 夏の空は、忌々しいほどの青空が広がっている。傍若無人な太陽が大地を焼きつけ、人々は思い思いの対策をとっている。

 嶺慈は円禍が運転するセダンで、港区に向かっていた。道路は夏休み期間とはいえ、社会人がまだ盆休みを迎えていないので、渋滞というほど混み合ってはいない。

 時間は午前〇時半。結局昼食後の仕事というのは、段ボール詰された小物の整理とかそう言ったものだった。なんというか地味な仕事であった。その後、夕食をとって二時間ほど仮眠。嶺慈は秋月から「講義」を受けて、円禍と事務所を出た。


 港区にある紫電物流が持っている倉庫に行き、取引を見守る——らしい。後部座席には、二人。若い男女が座っている。名を、確か……。


灼宵やよい、新人さんの前だからって張り切らないように」

「わかってるって、夕月ゆうづき


 そうだ、青い髪をポニーテールにしている女が穂村灼宵ほむらやよいで、金髪をアシンメトリーに遊ばせている男が紫電夕月だった。

 灼宵は和服で、夕月は仕立てのいいスーツ。影法師にはドレスコード、というものがない。円禍もゴシックパンクともいうべきファッションだし、嶺慈もミリタリージャケットで着ている。

 嶺慈は彼らが明らかにカップルであることを知っている。というか昼に二階の喫茶店でいちゃつきながら食事をしていたし。

 聞いた限り種族は妖狐、そして秋月の息子らしい夕月は、雷獣とのことだ。彼らは外見は、まんま人間なのだが。


 円禍たちは偽名の戸籍を持っており、それによって免許などを取得していた。この国の管理ネットワークに携わるような場所にも、おそらくアヤカシの勢力が食い込んでいる証拠だろう。ひょっとしたら警察も、そうなのかもしれない。

 車が大通りを逸れて、港区に入った。

 貨物船を通過させるための吊り橋があり(今は使われておらず、封鎖されているただの景観要因だが)、船が停泊するコンビナートがある。立ち並ぶ倉庫のいくつかは、秋月所有のものらしい。

 港区自体がアヤカシの庭だと、秋月は言っていた。情報、物理的な流れ——つまるところ物流を制すれば、人間に勝てるというのが彼の持論であった。

 少なくともこの国の食料自給率は三八パーセント。極端な話、食品の流通を牛耳れば、それだけで限られた食べ物を巡って人間が同士討ちを始めるのだ。そしてアヤカシは、人間さえ食えれば問題ない。ある程度勝ちを確信したら、生き残った人間を「牧場」で「飼育」するだけである。

 秋月の残酷な考えは、八部衆六方の彼に限ったことではなく、影法師全体の理念らしい。アヤカシの中には陰陽師に虐殺される歴史を知ってなお共存を謳う連中や、どっちつかずの日和見もいるらしいが、そういう意味では影法師は過激な急先鋒である。


 倉庫の隣にセダンが停まった。目の前には、コンテナを積んだトラックが一台。

 車から降りると、先方が一礼した。黒いスーツに、夜だというのにサングラス。顔には傷があり、見るからに筋者だ。暴力団、というよりは——もっと古典的なヤクザである。


「相変わらずキレーな別嬪さんだ。そっちの坊主は?」

「新入り。あまり威圧しないで」

「わりぃな、目つきワリィのはガキの頃からだ」


 男がぎょろっとした爬虫類のような目で嶺慈を下から睨め上げた。決して、比喩ではない。サングラスの隙間から覗く黒目はスリット状に尖っていたのだ。

 嶺慈は気圧されまいと、視線を逸らさず、真正面から受け止める。弟が連れ込んだ男の中には、明らかに堅気ではない奴もいたのだ。そいつに、嶺慈まで狙われたことがあった。その経験が生きるとは思わなかったが——。


「はは、ははは……秋月の旦那のところの坊主はキモの座り方が違うな。よかったな坊主。秋月の旦那は子分を見捨てねえアヤカシだ。うちの頭と同じさ」

「あんたたちは影法師じゃないのか?」

「影法師さ。四方しっぽう穂村裹斑ほむらかむらの大姐御が率いる。そこの灼宵嬢の母上さ。表向きにゃあ穂村組つう完全に独立した組なんだ」


 ヤクザには色々系列があって、その中に何々組、何々組とあるのだが、穂村組は戦後の混乱期に穂村裹斑の一代で始まりなお続く組織——らしい。

 どうやらアヤカシは、本当に長命なようだ。裹斑が老婆という可能性もあるが、秋月は既に一八〇歳であるという。人外の因子が、そうさせるのだ。

 円禍が口を開く。


「秋月が物流で戦うように、裹斑は裏社会を牛耳る方法に打って出た。影法師の八部衆は、それぞれの組織を持つ」

「そうなんだ……」


 夕月が取引を促した。


「約束のものです」


 抱えていたボストンバッグを投げ渡す。男はそれを受け取り、中身を見た。

 そこにははち切れんばかりの札束が入っている。全て本物だろう。


「確かに。トラックごと運んでいっていいぜ。あんたんところのトラックだしな」

「……何が入ってるんだ?」


 嶺慈が聞くと、灼宵が答えてくれた。


。ビルのみんなを食わすものよ。干しておけば備蓄にもなるし」


 嶺慈は黙った。夕月がトラックの運転席に乗り込み、穂村組の男はバッグを手下に持たせ、バンに乗って引き上げた。

 トラックもそれに続き、倉庫から離れる。

 帰ろう——と思っていると、そこへザクっと矢が突き刺さった。

 ハッとして上を見上げると、倉庫の上に弓を構えた女が二人。円禍が嶺慈を突き飛ばし、右手首を噛んで出血させると、血の弾丸を敵に——おそらくは陰陽師に向けて飛ばした。

 女陰陽師は倉庫の屋根から飛び降りつつ、矢を放つ。嶺慈は慌ててセダンの影に隠れた。

 ガスン、と、矢がアルミ合金のドアに突き刺さる。


「鬼憑き一匹とアヤカシ二匹に分断。駆除するわよ」

「姉上、援護は任せてください」


 巫女服のような装束で、顔布をして素顔を隠している。布には、二重の円と五芒星が描かれていた。

 灼宵が掌に青い狐火を形成、放った。火球が豪速で飛翔、姉妹の陰陽師の足元に弾着。直後、火炎が爆ぜ、炸裂した。

 姉妹は宙に飛んで矢を番える。灼宵に向けて放った矢は、彼女が右に転がると空を切って埋め立てた地面に突き刺さった。

 すかさず円禍が血の弓を作り、放つ。血の矢は誘導性能を持ち、一人の陰陽師を執拗に狙った。


「ち」


 陰陽師は矢を振って血の追尾矢を弾き飛ばし、素早く番える。

 金色の霊力がまとわりつき、円禍が嶺慈を抱えて、飛び退った。

 矢が車に命中、次の瞬間車体が轟音を立てて吹っ飛び、倉庫の壁に叩きつけられた。


「なんだあれ!」

「破魔矢ね。当たったら大ダメージよ」

「灼宵、あいつら陰陽寮の連中? つけられた?」


 灼宵が狐火で牽制しながら答えた。


「法師陰陽師でしょ。大方陰陽寮を出し抜く算段。殺せば倉庫のことはバレない」


 円禍が「ちょっとちょうだい」と言って、嶺慈の首筋に牙を突き立てた。

 鋭い痛みが駆け抜け、じゅるじゅると血を抜かれる心地よい、ゾワゾワ痺れるような快楽が脳を焼く。

 血を吸った円禍は瞳を輝かせ、加速。

 陰陽師の片割れに肉薄し、腹に左拳を捩じ込んだ——直後、ズドンと音を立てて相手の体が対面の倉庫の壁に縫い付けられ、昏倒。


「お姉ちゃん! いやあっ!」


 冷静さを欠いた妹が姉に寄りかかって体をゆすった。しかしその腹は不自然に歪み、股の間から臓物が溢れている。顔布をめくって、妹は絶叫した。その口からはゴポゴポ黒ずんだ血が溢れ、目は左右でバラバラの方向を向いていた。どう見ても死んでいる。


「ひっ……あああ……あああああああ……!」

「あなたも、そうなる?」


 円禍はうっそりとした、ゾッとするほど優しい微笑みを浮かべて、まだ女子高生くらいの少女に問いかけた。わざわざかがみ込んで、顔を覗き込む。


「しっ、死……死にたくないです……許してください……」

「じゃあ、私の血袋になってくれる? 隷属の契約を受けてくれる?」

「はい、はい! お助けいただけるなら……ぐ、隷属吸血鬼グールにもなります……」

「いい子。今日からあなたは私の奴隷ね」


 円禍は少女の首筋を噛んだ。己の血を流し込んで、隷属させる契約術を履行する。これには、術師の強制だけでは成立しない縛りが存在し、相手が承諾するプロセスが必須となる。

 少女は死の恐怖がそうさせるのか、ついさっきまで敵だった円禍に隷属することすぐに承諾した。


「やったあ、可愛いペットができちゃった」

「趣味悪ぅ。人間なんて飼ってどうすんの? サンドバッグにでもするの?」

「人間じゃなくてグールだから。低俗とはいえアヤカシよ」


 嶺慈は血が止まった首筋を撫でながら、死んだ陰陽師の死体を見た。


「それはどうするんだ?」

「そうね。……奴隷、その肉を食べて片付けなさい」

「え……っ、ァ——はい、畏まりました」


 にわかに抵抗しかけたが、すぐに光を失った虚ろな赤い目で頷き、彼女は慕っていた姉に覆い被さり、大口を開けて喰らいだした。

 よく晴れた月夜に、肉と骨を砕き、咀嚼し、血を啜る食事の音が響くのだった。

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