月と逃げて

@amane0804

アマネ


 知らない香りに誘われて、眠りから覚めると、世界はまだ暗かった。

 初めて香るこの匂いは、どうやら西の木の方からするようだ。寝起きの足でゆっくり、その木のある方向へ向かう。


 日の沈む真っ暗な世界に、一つの灯りを見つけた。

「誰かいるのか?」

 灯に向かって、少し小さな声で言った。

「この匂いはなんだい?」


 少し間をあけて、女の子の声がした。

「あなた、知らないの?」

 さっきまでだんまりを決め込んでいたはずが、ぴょん、と木から降りてきてこちらの顔を覗き込む。

「あなた、この辺の人?」

 キラキラした目で覗いてくる。

「ああ、そうだよ。ところで、その匂いは何だい?」

 ああ、と思い出すように女の子は言った。

「コーヒーよ。ほら、豆からできてるの。」

「へぇ、そんなものがあるんだね。」

「あなたも飲む?」

 そう言って、もう一つのカップにコーヒーをつぎ、どうぞ飲んで、と渡してきた。

あまりの苦さに顔を顰めそうになったが、バレないよう、繕った。

「君は誰?どこから来たの?」

 そう聴くと、女の子はとても嫌そうな顔をした。

「秘密。」

 そう言い、俯いた。

「とても暗いのに、君1人でここにいるのは少し変だよ。きっと親も心配してるだろうよ。」

「心配なんてしないわ。」

 食い気味にそう言った後、さらに少し落ち込んだ様子で続ける。

「だって私は、それから逃げてきたんだもの。」

 そう言い、コーヒーを一口飲んだ。

 真似するようにこちらも一口飲み、それを2、3回繰り返した。

 コーヒーも残りわずかになり、居た堪れなくなり、口を開く。

「それにしてもくらい夜だね。1人でいて寂しくなかったかい?」

「平気よ。だってお月様が一緒だったもの。」

女の子はそう言って、灯を指差した。

 よく見るとその灯は月の形をしていた。

「夜の間はお月様がずっとそばにいてくれるの。だから寂しくなんてないのよ。」

「そうか。よかった。」

 そう言って、残りのコーヒーを飲み干した。

 日が昇り始め、少しずつ世界が明るくなっていく。お互いの顔がはっきり見えるようになった。

「こんな世界の端っこにいても日は光を届けてくれるのね。」

 女の子は、不思議なことを呟き、身支度を始めた。

「どこか行くのかい?」

「ええ。もっと、もっと遠くに逃げなきゃならないわ。」

 そう言って女の子は歩き出した。

「頼む、名前だけ、教えてくれないかい?」

 女の子は振り返って一言、

「アマネ」

 そう言って光の中に消えていった。


 日が完全に昇り、世界が動き出す。月と逃げていたアマネはどうしているだろうか。とても不思議な体験であったので、夢であったのではないかとも考えた。しかし、あたりいっぱいに残されたコーヒーの香りが、その考えを否定する。

 きっと夢なんかじゃない。そう確信し、アマネの消えていった方向へ、進んでいく。







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