第39話 魔物4

 キューンとエンジンが動き始める音が響き徐々に振動が船体に伝わる。

 

「い、急げ!アスピドケロン気づかれてしまう前に逃げるのだ」

「あぁっ!奴がこちらを見たぞ!早くしろ!」

 

 お貴族達の声につられて私も振り返ると確かに食事中の魔物が口をモゴモゴと動かしながらこちらを向いている。さっきまで奴の近くに浮かんでいた船員達は姿が見えず、喰われたのか隠れているのか逃げ切ったのか。出来れば後者二つであって欲しいと思うがこの救命艇が逃げ切れなければ彼等が助かる事だけを祈っている場合ではない。

 

「振り落とされるなよ!」

 

 誰に言っているのか考える間もなく救命艇が急発進した。お貴族達は狼狽えながらも何とか操縦席の横とその後ろに座り私もドサクサに紛れて操縦席の真後ろに座った。

 

「なんだお前は!?」

 

 二席ずつ並ぶシートの私の横に座っている眼鏡貴族が叫ぶ。

 

「遺物発見者ですけど」

 

 ずぶ濡れでエプロンに包んだ物体でお腹がポッコリとふくらむ私は何とも怪しげに見えるのか険しい目つきで見てくるが、遺物発見者と聞いて口をつぐむ。私の顔は覚えて無くとも遺物の事は覚えていたらしく、手を添えて庇っているお腹を見てそこに特級ケースがあると理解できたらしい。

 

「うわぁー!追ってきたぞ!!」

 

 もう一人のお貴族の声に振り返るとアスピドケロンがこちらへ方向を定め海面をゆったりと進んでいた。

 慌てることは無い。救命艇は高速艇ほど速く走れる理由はないし、高速艇ほど強力な魔除けの魔導具が備わっている訳でもない、という感じだ。


 高速艇の残骸の間を抜け徐々に距離を詰めようとするアスピドケロン。カイはエンジン全開で救命艇を走らせているがやはりそれほど速くは走れないようだ。

 

「何か攻撃手段はないのかっ!?このままでは奴に……」

「あったとしてもアスピドケロンに通用するわけ無いだろ!」


 眼鏡貴族がカイに叫ぶが食い気味に言い返され言葉を失っている。もう一人も追ってくる魔物に対する恐怖に耐えかねたのかもう終わりだと呟きながら頭を抱え俯いている。マジお貴族役立たず。


「カイ、どうするの?」


 私も勿論どうすれば良いか分からず後ろから身を乗り出しカイの横へを寄せた。


「うぉ、近いな。取り敢えず奴は直ぐには襲って来ない可能性が高い」


 波にバウンドしながら進む救命艇の操舵室の窓に細かい飛沫が叩きつけられる。こんなに速く走っていてもアスピドケロンはあっさりと追いついて来るはずだ。


「どうして?」

「アスピドケロンは獲物を弄ぶ習性がある」


 言われてみれば高速艇も直ぐには沈めて来なかった。まるで船員達が騒ぐ姿を楽しんでいるかのように。悪趣味な魔物やつだ。


「それで?」

「今のうちに救援信号を出しておく」


 カイがそう言いながらポチッと赤いボタンを押す。


「そして、レーダーで周辺に他の船がないか探す」


 指差した先にはメルチェーデ号の操舵室にあった物より小さいがこの船を中心に周囲を探索するレーダーがあった。レーダーには救命艇の位置を中心に円が描かれ恐らくこの範囲内に入れば通信機が使えるのだろう。


「これね。今のところ何も反応は無いようだけど」

「ま、賭けだな。奴が追いかけっ子に飽きて襲ってくるか、その前にどこかの船が助けてくれるか」


 ニヤリとするカイを見ているとなんだか安心感が湧き上がる。慌てたり叫んだりするお貴族よりよっぽど頼りになるのは間違い無い。


「カイはどうしてそんな風に出来るの?」


 高速艇が襲われてからずっと彼の行動には躊躇いが無い気がする。


「まぁ、経験者と言えば聞こえが良いがアイツに襲われるのはこれで二度目だ」


 一生に一度会うかどうかの海の魔物との遭遇からの襲撃。たいていは一度襲われれば生きてないから二度目は無いだろうけど運良く助かったはずなのに再び遭遇してしまう運の悪さを持ち合わせていたようだ。


「そうなんだ。アンタって回収船に乗って数日で特級遺物を発掘した事といい、今回の事といい、普通の運じゃない事は確かね」


 こんな奇縁を持ち合わせている奴と道連れになった事で私の運命も引っ張られている気がする。


「エメラルドだって普通じゃないだろ?海で拾われたり特級遺物を発掘したりなんて滅多に聞か無いぞ」


 カイが負けじと言い返してくる。言われてみれば確かにそうかも。一攫千金を狙って回収船にやって来る連中の九割は普通にコツコツ金を貯めて船から降りる。特級遺物を当てて大金を握るのは僅かな可能性だから夢見ているのだ。


 グラリと救命艇が大波に煽られ大きく傾く。


「「ギャーー!」」


 転覆させられるかと思ったのかお貴族達が悲鳴をあげる。救命艇はギリギリで態勢を整え再び走り続ける。私はシートに必死に掴まりながらも奴を振り返ると、表情など持ち合わせていないはずの魔物が目を細め愉しんでいるように見えた。


「ホントだ。趣味悪い」


 私の発言にカイがプッと吹き出す。


「だろ?それに俺達の運命も決着が見えそうだ」


 カイがレーダーを顎で示すとそこに救命艇の右後方側から迫る小さな光が映っていた。


「救援が来た!?」


 まだレーダーの端に現れたばかりで通信機は使えないが確実に何かがこちらへ向かっている。助かるのかも!?

 私の声で死人が生き返った様にお貴族ががばっと身を起こしレーダーに齧りつく。


「舵を切れ!早くしろ!」


 手を伸ばしカイが握るハンドルを掴もうとするお貴族の手を私がバシッと払う。


「何をする!?殺されたいか!」


 これだから馬鹿は始末が悪い。


「急に方向を変えれば魔物に救援が来たって感づかれる。それは向かって来る船だってわかっているはずだからこっちはひたすら真っ直ぐ逃げる方がいい!そんな事もわかんないの?」

「何を……魔物にそんな高等な思考が働くか!?生意気な、海へ放おり出してやる!」


 私の様な小娘に指摘された事が腹立たしいとばかりに腕を掴み操舵室から連れ出そうとする。


「止めろ!その娘に触れるな!」


 ハンドルから手を離せないカイがお貴族を怒鳴りつける。


「お前は黙って操縦してろ!」

「痛い!離せ馬鹿貴族!」


 叫ぶと同時に救命艇が大きく揺れる。左右にグイングイン船体が揺れ立ち上がっていたお貴族がバランスを崩して床に転がった。私が解放された事を確認しカイが鼻で笑う。


「すいませんね、動揺して操作を誤ってしまいました」

「何を貴様……」

「これ以上お貴族様がその娘に無体を働くならまた操作を誤って反転してしまうかも知れませんから大人しくご着席願えませんか?」

「ぐっ……」


 丁寧な脅しに負けたお貴族が忌々し気に私を睨みつけることを忘れずに席につく。

 その間もアスピドケロンは優雅に救命艇に付かず離れずの距離を愉しんでいて、レーダーに映る小さな光は少しずつこちらに進行方向を合わせて沿うように近づいて来る。

 救援に来てくれている船も私とカイと同じ考えなのか、急接近はせずに徐々に距離を詰めている感じだ。あまり近づき過ぎると救援者だってアスピドケロンに襲われる。どれ程の規模の船でどれ程の攻撃能力があるのかはレーダーでは判別出来ないが、ある一定の距離に近づけば通信機が使えるはずだからそれまで辛抱強く待つしか無い。


 もう少しで救援者の船が通信圏入るかという時。突如アスピドケロンがスピードを上げ猛然と襲いかかってきた。


「クソッ、バレたか!?」


 カイが叫びながらハンドルを操り救命艇を蛇行させて何とかかわす。


「うわぁ、あ奴らは何をやっているのだ!早く、早く助けろ!」


 泣き叫ぶだけでなんの役にも立たないお貴族にイラッとしていると雑音と共に急に通信が入った。


 ガガガッ、ピーッ……


「えぇ~、そこの救命艇。面舵いっぱ〜い」


 と、同時に爆音が響いた。


 

 

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