第38話 魔物3
アスピドケロンは優雅に食事を続けているようだ。私の救命具の窓はそちらに向いておらずその恐ろしい光景を目の当たりにする事はないが、海に浮かび為す術のない船員の悲鳴や叫びがそれを知らせている。
カイは時々振り返りながら必死に海面を手にした板で漕いでいる。
「私もやる」
声をかけ窓を開こうとすると駄目だと止められた。
「救命具を展開した状態で万一海に落ちれば助からんぞ!お前泳げないだろう?」
確かに。私は拾われてこのかた船で生きてきたが海に入った事は無いし、もちろん泳ぐなんて考えた事無い。でも……
「気をつけるから」
「自分が気をつけたって避けられない事態は起こる。今だってそうだ」
ホントにそう。誰がお貴族様が乗っている高速艇が魔物に襲われるなんて想定するだろう。下っ端は大事にされてないのかな?
カイと言い合っていると右斜め前方に半分沈みかけた救命具が見えた。さっきすれ違ったメイドさんともう一人が乗っている救命具だ。
「あっ!」
私が声をあげるとカイもそれに気づき舌打ちした。丁度メイドさん達の窓がこちらを向いていて私達と目が合う。さっきよりも更に救命具は沈み二人身を寄せ合う目には諦めの色が濃い。
救命具の上部分を解除して一人が救命具から下りれば一人は助かるかもしれない。だけど救命具だけではアスピドケロンから逃げ切れず遅かれ早かれ喰われるかも知れない。
まるで死に方を選んでいる心境になっているだろう。
「ねぇ」
「駄目だ」
私の声を振り切るようにカイは水をかく手に一層力を込めるかのように腕を動かす。
「三個繋げば浮力も上がるんじゃない?」
「駄目だ。重くなればより進む力が必要になる」
カイがメイドさんの救命具を避けるように方向を変えようとしている。
「みんなで漕げば大丈夫よ」
「危険過ぎる。俺にはお前を無事にメルチェーデ号に届ける義務がある」
「確かにあなたがいなければ私はとっくに海に沈んでたか奴に喰われてたと思う。だけどね、まだ逃げ切った訳じゃないから今あなたが一人で頑張るより四人で力を合わせるほうが良いんじゃない?」
私は心の中でカイにごめんと謝る。斜めになった壁部分の下をぐるりと手でなぞりながら魔力を込めるとパッと白い壁が消えた。
「エメラルド!?……クソッ」
カイは直ぐに悟ったのか直ぐ目の前に来ていたメイドさんの救命具を掴んだ。
「開けろ!」
今にも見えなくなりそうな窓に怒鳴りつけると、一瞬間が空き、直ぐにジャバっと飛び出す感じで二人の女性が海面に顔を出した。二人のすぐ脇ににゅるって感じで平たい丸い救命具が浮かんでくるとカイがさっと掴み直ぐに自分の救命具と繋ぐ。
「早く乗れ!なんでも良いから漕げ!」
必死の形相で私達の救命具を掴んできた二人を引っ張りあげつつカイが指示を出す。
「はい!ありがとうございます!」
二人は直ぐに大勢を整えると両手で水をかきはじめた。三個繋いだ救命具は思っていたより少し不安定だが、私も揺れる救命具の上で特級ケース二個を落とさない様に持ちつつ手伝おうとするとメイドさんが身につけていたエプロンを外し渡してきた。
「これをお使い下さい」
「ありがとう」
私も素早く受け取り特級ケースの取手部分にエプロンの紐を通し布で包んで纏めて、腹に抱えて紐で腰に結びつけた。
四人で必死にアスピドケロンから遠ざかろうと海面をかく。時々振り返り少しでも離れている事を励みにしながら休む事なく体を動かしていると少し離れた前方に救命艇が見えた。救命艇にはエンジンが備わっているので乗り込む事が出来れば助かる可能性が上がる。
カイもそう思ったのかそこへ近づいて行くと言い争う声が聞こえてきた。
「貴様があやつを斬ったからではないか!」
「お前が先にもう一人を海へ落としたのであろう!?」
なんとその救命艇は一番始めにさっさと逃げたはずのお貴族様が乗っているものだった。勿論私とカイを連れに来たあの二人だ。船首で言い争う二人以外に人影はなく、エンジンを作動させている様子もない。
カイは少し思案し私を振り返る。
「面倒そうだが乗り込むぞ。このままじゃ逃げ切れないからな」
「そうね」
一応確認のためメイドさん二人(?)を見るとコクリと頷く。カイは慎重に救命艇に近づきお貴族様達から見えないように船尾にまわると静かによじ登った。直ぐに私達が乗り込めるように縄梯子を見つけて下ろしてくれ私、メイドさんの順に救命艇に乗り込む。
お貴族様は言い争いに熱が入り全くこちらに気づかない。こんな切迫した状況で喧嘩しているなんて馬鹿というかおマヌケというか。
でもこのままじゃ私達も逃げる事が出来ないので仕方無しに私とメイドさん二人をその場に残しカイは船首に近づくと声をかけた。
「失礼いたします」
突然の呼び掛けにお貴族様二人が飛び上がって振り返る。救命艇はメイドさんによると定員二十名、全長十メートル程の大きさだ。高速艇に設置している状態で立ったままぎゅうぎゅうに乗り込み海面に下ろした後で手動で広がりそこで座ったり休んだり出来る状態になる。
「なんだお前達は!?」
「いつの間に入り込んだのだ!」
二人は剣を抜いた状態で向き合っていて足元には血痕らしきものが散っている。さっきの会話からも誰かを斬った事が窺える。
「恐れ入りますが今は争っている場合ではないのでは?速やかにここから離れる事をお勧めします。でなければ奴が直ぐにでも来ます」
丁寧っぽい口調だけど低い声は脅しと聞こえているかも。
「い、言われなくともわかっている!だがコイツが操縦士を斬ったのだ」
眼鏡をかけたお貴族様がもう一人を指差し非難する。すると非難された方のお貴族様が眼鏡貴族の手を払い猛然と言い返す。
「何を言う!お前だってあいつを真っ先に海へ突き落としたではないか!?」
「それはアイツが海に落ちた者を助けに行くと訳のわからぬことを言い出したから……」
「私だってそうだ!アイツを斬らなければ今にも船を救助へ向かわせそうだったのだぞ!」
ゲスいやり取りを聞いて事の顛末を悟った私達は呆れを通り越し何も感じない。カイもお貴族達を非難することもなく「はいはい操縦士がいなくなったんですね」って感じでもう奴らに目を向けることなく引き返すと操縦席へ向かった。救命艇の操縦席は階段をのぼった上階にあり、階下は三人掛け位のシートが幾つか並んでいる。メイドさん達は直ぐに階下へ向いお貴族達はカイに続いて操縦席へ向かう。
私は少し迷ったがカイ一人をお貴族達と対応させてしまうのが何となく気になりそっと階段を上っていった。
「あぁ、このタイプか」
カイはそうつぶやきサッと操縦席に座るとあちこちレバーを操作し最後にハンドルを握った。
「お前操縦出来るのか!?」
「良し!命令だ。直ぐにここから脱出するのだ」
後ろから見ている私でも吹き出してしまいそうなお貴族達の態度にカイは無言でエンジンをかけた。
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