第37話 魔物2

 空中でピンを引き抜いたカイが繋いでいた手を振りほどいた。瞬時に何かが目の前を覆い、驚いて目をつむると海面に落ちた衝撃がする。

 何度かバウンドした様な感覚がし、やがて落ち着いた。ゆらりと揺れるが安定した感じがしたのでこわごわ目を開けるとぐるりと周りを白い物で囲まれていた。そこは円錐型の空間が小さく展開された救命具の中だった。身に付けた救命具は魔導具で、ピンを抜いて作動させれば着ていた者を包み込み守るようになっている。

 

「痛……くないか」

 

 クッションの効いた柔らかい床部分や壁に守られ傷一つ負ってない。円錐の斜めの壁の一部が透明で窓のようになっており、そこから外を見る事が出来た。小さい救命具はそこそこ揺れるが恐らくこれでも揺れ防止の魔導具が使われているはずだ。窓から外を見るととんでもない光景を見てしまう。

 

 アスピドケロンが沈めにかかった高速艇は既に船首側から海に突き刺さるような形になり半分以上船体が見えなくなっている。なかなか完全に沈まないのは魔導具がまだかろうじて作動しているせいだろう。

 その周辺で海に落ちた船員の逃げ惑う姿が見える。アスピドケロンはゆったりとディナーを楽しむかのように慌てる様子も見せずに口を開けて海面をすくう。小さな魚を纏めて食べている様に、恐ろしげな目を細め気楽な仕草という行動に背筋が寒くなる。あれ程の大きさと力なら運良く逃げた形の私だってこの救命具ごと軽く食われてしまうだろう。

 

 救命具には推進装置は備えられていない。何処かにキューブが組み込まれそこから魔力を得ながら形を保っているだけで、魔力が失われればペシャリと萎む。自分で魔力を供給すれば良いかも知れないが救命具はあくまで一時しのぎの物だからそこまで品質の高いキューブが使われていないはず。

 キューブは発掘された時点で立方体として形を成していればいいが、そうでなければ欠片を上手く組み合わせ、寄せ集めの使い捨ての安価な劣化品の魔晶石として使用される。滅多に使われることの無い救命具なら恐らくその劣化品が使われているだろう。もって三日がいいとこだ。まぁ三日後まで私が無事ならって事だけど。

 

 波に揺られるだけの私の救命具は自ら方向が決められないせいもあるが、じわじわと沈みかけている高速艇に近づいている気がする。周りには船からの備品の残骸や他の救命具がプカプカと浮かび時折窓同士が向き合うとすれ違いざまにお互いの運と顔色の悪さを確認し合う。

 殆ど見知らぬ船員達だがその中にロビーで働いていたメイドさんがいた。その救命具は半分沈みかけ、窓の上部から二人の顔が確認できた。恐らく一つの救命具を身を寄せ合い二人で使用したのだろう。あれではすぐにでも沈んでしまいそうだ。そんな気の毒な場に居合わせても私から助けてやる事は出来ない。沈みかけた救命具から一人を出したとしてもその人をどこへ乗せてやれるというのか?しかもどっちを残すのか。

 

 他人の心配をしている時間はごく僅か。いよいよ私の救命具はお食事がすすむアスピドケロンへと近づいて行く。

 

「うわぁー!来るな……止めてくれー!」

 

 落水したのか飛び込んだのか、無防備に海に浮かぶ船員達が次々と食われていく。それをただ呆然と眺めながらまるで順番を待っているような私。迫りつつある現実の恐怖に呼吸が浅くなり鼓動ははやくなり、為す術無くゆらゆらとアスピドケロンの方へ引き寄せられる。

 

 怖い、嫌だ、死にたくない……誰か……リュディガー……

 

 体は震え、涙が込み上がり溢れそうになる。恐怖で奴から目を離せずにいると急に救命具がグイッと引っ張られた感覚がした。ぐるりと視界が回転しアスピドケロンが見えなくなるとポンポンと叩く音がして見下ろすとそこに男が海面から顔を出していた。

 

「カイ!生きてたの!?」

 

 ふっ飛ばされて離れ離れになりすっかり死んだものと思いこんでいたのか意識から消えていたカイが目の前にいる。なんだかごめん。

 

「特級ケースは持ってるな?」

 

 いきなりの遺物の安全確認にちょっとだけムッとして涙が引っ込んだ。そりゃこっちだって勝手に死人扱いにしてしまっていたんだから文句は言えないけれど。

 

「あ、あるわよ」

 

 私の答えにホッとしたカイが何かをゴソゴソとすると目の前にパッと白い円錐形の救命具が現れた。どうやらたった今それを作動させた様でカイの救命具は既に私のそれと繋がれていた。そんな使い方も出来るんだと思っていたら瞬時に救命具の上部、三角部分がパッと消えカイがむきだしで海面に片膝をついている。

 え?っと驚いていたがよく見ると、私の窓を叩くカイの足元は救命具の床部分、板状の丸いところだけが残っていてそこに乗っかっている状態。そんな事も出来るんだ。

 

「おい、早く開けろ」

 

 状況をじっくり飲み込む隙もなく急かされる。

 

「え?あぁ、って、どうやるの?」

「まさか何も知らんのか?」

 

 お馬鹿扱いされてムカついた。救命具だって色々な種類があって回収船で生きてきた私でもその全てを学んではいない。メルチェーデ号にあった救命具は海に浸かると自動で筒状になるし少し狭いが二人位はしっかり乗れる。操作の仕方もそれぞれなんだからそこまで馬鹿扱いしないでほしい。


「魔力を込めながら窓枠を開きたい部分だけなぞるんだ」


 身振りで上部分をなぞる仕草を見せられ同じ様にするとシュッと窓の上半分が開いた。


「これ持っててくれ」


 直ぐにカイの特級ケースを渡され窓をさっきと同じ操作をして閉じるように言ってくる。なんでケースを?っと思っているとカイはそこらに浮かんでいる板を掴むと海面を漕ぎ出した。

 僅かずつだが救命具がアスピドケロンから遠ざかっている気がする。だけどこんな微々たる推進力であの魔物から逃れられるのだろうか?


「ねぇ、こんなんで助かるの?」


 必死に漕ぎ続けるカイに問いかける。


「特級ケースには色々特徴があるだろ?」


 言われてハッとした。魔物と対面して動揺していたが特級ケースには遺物を守る為の装置が詰め込まれている。先ず、魔力を込めた本人しか開けられないことは勿論、汎ゆる衝撃に耐えられる事、水に浮かぶ事、在り処が特定出来る事、そして魔物を避けられる事。

 特級ケースの三メートル四方に魔物は近付けない、わけでは無いが近づきたく無くなる魔導具が組み込まれている。魔物が不快に思う力が発生していて絶対では無いが殆ど近付かない。回収船とかに備えられているそれとは比べ物にならない威力だが、ただの鞄にそこまで魔物が興味を持つ理由がないから鞄だけなら大丈夫なのだろう。私達がその効果の恩恵に預かれる形になるのかどうか。


「そうだった……それでか」


 カイが真っ先に特級ケースを確認したのはこの先の身の安全のためだった。改めて、ごめん。


「そうだ。それに特級ケースが複数あれば効果も上がるはずだ」

「え!?そんなの聞いてない」

「俺の実体験だからほぼ間違い無い」


 サラッと答えるが色々と凄すぎない?そういえばアスピドケロンを見た時も直ぐに次の行動に冷静に移っていた感じだ。私はただ言われるままに手を引かれていただけ。今も生きているのはカイのお陰だ。



 

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