第34話 船旅5

 ファントムと呼ばれる『ヴィーラント法』の写本をそれこそ穴が開きそうな勢いで凝視しているカイはこの際無視するとして、私はノートへ書き写していく作業を続けていた。

 取り敢えず第一部は写しておきたかったので、黙々と手を動かしていく。カイは本を写しているわけでは無いが、私の横で黙って見ているようだった。私は集中していたので何か話しかけられていたような気もするが……正直覚えていない。

 だけど、やっと難解な古代語を何度も間違いが無いか確かめながら第一部の最後まできっちりと書き写し終わると深く息を吐きペンを置いた。

 

「はぁ~、やっとここまで来た」

 

 本の内容は三部から成り立ち、第一部の中にも二つの章があるようだった。まだ詳しくは解読しきれていないが構成から見て恐らくそうだろう。

 先ずは所々分かっている単語に意味を振っていって他の部分と比べたりして意味を探っていくしかない。

 

「お疲れだな。腹減ってるか?何か持って来るよ」

 

 私がグンと伸びをした隣で席を立つカイを見てビックリしてしまった。

 

「うわぁっ……まだいたの?」

「いるわ!お前本当に信じられないな」


 呆れ顔のカイだが、そういう彼もお疲れのご様子。


「まさかずっと居たの?勝手に帰れば良いのに」


 ドアはオートロックだったはず。


「あのさ、何時間も飲まず食わずお前を放おり出して帰れるわけ無いだろ。見てみろ!」


 カイが示した先のテーブルの上には見覚えの無いグラスや何かを食べた後の皿が置きっぱなしにされている。


「何アレ?」

「何じゃない!お前いま何時かわかってるのか?」

「今って……十一時半。あれ!?でも外は明るいよ?」


 机の前にある窓からカーテン越しだが明るく日が照っていることがわかる。


 夕食を食べたのが夜の七時だったでしょう?それで、時計は十一時で、明るいって事は……やっちゃったか。


「アハハハ、ごめんなさい。時々やっちゃうの」


 徹夜明けのお昼前か。前にもオジジとやらかしてリュディガーにも怒られたっけ。


 笑って誤魔化そうとするとカイがイラついて眉根を寄せる。


「アハハじゃない。俺が何言っても生返事ばかりで水も飲まないから無理矢理ストローを口に突っ込んだらギュンギュン吸い込むし、深夜になってもまだ寝る気配も無いからお腹に何か入れれば眠くなるだろうって菓子を口に押し込んでも無言でもぐもぐ食って手は止めないし、逆に気味悪くなって諦めたよ」


 このキレ方、本当にリュディガーそっくり。っていうか何にも口にした記憶無いんだけど?


「まあまあ、解読あるあるじゃん。そう怒んないでよ」

「いややり過ぎだろ!この解読馬鹿!」

「照れるなぁ」

「褒めてねぇよ!」


 違うんだ?よくオジジと私達は解読馬鹿だねって笑って言い合ってたのに。


「兎も角、次からは強制的に止めるからな」


 怒ってるけどカイだって満更じゃなかったようだ。だってさっきまで私の横で黙って見てたんだし私だって強く止められれば流石に気づいたと思う。そこそこ手加減した応対だったからあんまり気にならなかったってことだ。


「は~い、気をつけまーす」


 ここはリュディガーに取ったのと同じ態度で良いだろ。下手に逆らうと長くなりそうだ。


「昼ご飯取ってくるからそれ食ったら寝ろ」


 カイがそう言って部屋を出た後、ちょっと横になって待つか。と思ったまでの記憶しか残って無かった。


 次に目が覚めたのは夕方五時だった。





「ホントありえない。けどそうだな、お前ならあり得るよな」


 さっきからブツクサと文句の様なものをこぼし続けるのは勿論カイだ。

 目が覚めた私がシャワーを浴びて着替え、久し振りな感じを味わいながら部屋を出ると目の前に無表情に顔を固めたカイが立っていた。記憶をたどると確かお昼ご飯を取りに行ってくれてたような気がする。


「ごめん、寝ちゃってた」

「別にもういい。籠もってばかりも良くないから向こうで食べるぞ。特級ケース持って来いよ」


 そのままロビーに連れて行かれ注文し終えたところだ。

 ロビーには他に客はおらず、カウンターにいつもの黒服と、初めて見るメイドらしき女性が一人。黒服は三十代な感じだがメイドさんはまだ二十代、もしかすると十代かも知れない感じだ。黒服が上司なのだろう。指示を出されたメイドさんがトレーに飲み物を載せこちらへ運んで来る。


「失礼致します」


 私の前にジュース、カイの所に水を置いた。


「あれ?カイってお酒飲まないの?」


 男って夜はお酒を飲みたがるもんだと思っていた。メルチェーデ号では普段はお酒は供給されないが、船が港近くで停泊している時だけ自腹で飲むことが出来る。その時の野郎共は夜になると久し振りの酒に大騒ぎしていた。


「昨日の……いや、今朝か。お前を見ていたらこの旅が終わるまで俺は一滴も飲めない事が決定したよ」


 と、大変嫌そうな顔をする。


 別に大きな騒ぎは起してないし、部屋から一歩も出てないのに心外だな。まるで手がかかる子ども扱いのようだ。


「そこまでしなくても良いじゃないの?」

「お前はわかってない。俺があいつ等にどれ程叩き込まれたか」

「叩き込まれた?」

「そうだよ!お前を無事に船に戻さなければ、早い話が遺物を取り除いた回収物の残骸と共に海に沈められる事が決定してる」


 苦々しい顔のカイには悪いがちょっと面白い。


「なにそれ、死刑宣告じない。カワイソー」

「他人事かよ!」

「そりゃね、だってもしそうならその時私ももうこの世にいないんでしょ?」

「そう……かもしれないが、そう、そうかな?」


 どんな形にせよ私が船に戻れればカイの責任は問わないようにオジジ達に口添えくらいするだろう。それが出来ない状態であるなら、もうそこはカイには諦めてもらうしかない。私が帰らないなんてオジジとリュディガーと、ついでに船長が許すはず無い。それくらい大事にされてる自覚はあるからね。


 注文した食事をメイドさんが運んで来た。昨日の夕食は部屋で食べたが少し冷めた物だった。テーブルにそれぞれの前に置かれた食事は肉肉しい豪華な物で出来立てらしく湯気が立っている。


「美味しそう……」


 フォークでさした肉をふぅーふぅー冷ましパクっと食いつく。


「熱っ、でも美味しいぃ」

「昨日のはすっかり冷めてたからな。エメラルドがなかなかドアを開けてくれなかったせいでな」

「そう?直ぐに開けたわよ」


 終わった事をいつまでもグチグチと女々しい奴だなと思いながら食事は順調に進み、最後にスイーツなるものが現れた。スイーツって確かメルチェーデ号で新規のお姉さん達が食べたいと騒いでいたやつだ。


「何これ?」


 目の前にはふわふわと柔らかい手触りの見たことのない物が可愛くお皿にちょこんと載っている。


「シュークリームだよ。食べたことないか?まぁ無いよな。陸じゃ金持ちや貴族の間で最近そういうのが流行ってるんだよ」


 どう食べればいいか分からない私に教える様にカイがシュークリームを手に取りパクっと齧りついた。


「うまっ!クリームがたまらんな」


 ほら食えって感じで目で合図してくる。


 良しっ!念願のスイーツだ。

 私も同じ様にそっと手に取りパクっと齧りつく。ふわっとした外側の感触を押し分けるように中に入っているクリームが口の中にとろりと溶け出し広がる。


 何だコレは!?貴族や金持ちはこんなのを毎日食べてるのか?私はこれまでお腹いっぱい食べる事に必死だったのに、許せない!絶対に私もそのうち毎日スイーツを食べてみせる。って事はメルチェーデ号にスイーツが作れる人物を連れて行かなくてはいけないな。今船で調理しているマギーはきっとこういう流行りの物は作れないだろうし負担がかかるだろう。ここは私がメルチェーデ号に戻る時に自腹でスイーツ屋を連れて行こう。古代語の解読には頭を凄く使う。頭を上手く動かすためには甘い物が良いとオジジも言ってたからきっと喜ぶに違いない。ピッポにも食べさせてやらないとな。リュディガーには……アイツは時々陸に降りていたからきっと私に黙って陸のお嬢様とかいう女と一緒に食べていたに違いない。こんなふわふわを独り占めして陰で私を嘲笑っていたんだろう。


 許せない!






 

 

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