第5話 薄れない記憶
オジジが出て行くとリュディガーがベッドの下段に腰掛けた。
まだ髪から雫が滴っていたので彼の正面に立つとタオルを取り上げ両手でワシワシ拭いてやる。
「ちゃんと拭かなきゃ風邪ひくよ」
そう言って見下ろしたがリュディガーは気にしてる様子も無い。
「そんなやわじゃない」
黒髪で意志が強そうな太い眉。人によっては怖いと言われる力強い黒い瞳が真っ直ぐ私を見ている。子供の頃は細身で体も小さい方だったが今ではしっかりとした体格の筋肉質な身体を持つ大人の男だ。私より五つ年上の二十歳。成人して四年経つリュディガーが最近遠く感じる事がある。
「もう遅いから寝ろ」
今度はリュディガーが私からタオルを取り上げるとそれを隅にある洗濯カゴに投げ入れた。
「はぁーい」
本当はもう少し話していたかったが仕方無く部屋の洗面台へ行く。体を拭くために桶に水をいれようとしたが、またグラリと床が傾き足がもつれそうになる。
「わわわっ!」
「危ないっ、気をつけろ。いくら魔導具で制御されてても完全に揺れが無くなるわけじゃないのはわかってるだろ?」
ちょっと怒ったような声でガシッと抱きとめられそのままひょいと担いで間仕切りの向こうにある私のベッドへ放り込まれた。
「痛い!もっとそっと置いてよ」
「贅沢言うな、待ってろ。桶を持ってくる」
シャッとカーテンを閉められムッとする。
本当に最近冷たい気がする。避けられている訳じゃないと思うけど、リュディガーが熔鉱炉の仕事について以来シフトの関係ですれ違いも増えた。
なんだかちょっと淋しいよ。
直ぐにまたカーテンが開かれ水の入った桶をベッドの横に置いてくれた。
「加熱器はまだ使えるな?終わったら横に出しておけ。片付けておくから」
いや、体拭いて髪を洗った汚れた水をリュディガーに捨てさせるのは何だか嫌でしょう。
加熱器とは水を温めて湯にする魔導具だ。それを使う回数で湯の使用を制限している。
「いいよ、自分で出来る」
「出来るのはわかってる。
あまり感情を出さない最近見慣れたリュディガーの顔だが、少しだけ右の眉がピクッと上に上がる。
ちょっとムッとしてるみたいだ。こういう時は絶対に言う事を聞いてくれない。確かに桶をひっくり返して後始末を手伝われるよりは良いのかも知れない。
「わかった、そうする」
ため息をつきつつカーテンを閉めると片手で持てる大きさの加熱器を掴んで軽く魔力を流してスイッチを入れて桶に放おり込み、お湯の用意をしている間に服を脱いでいく。
揺れる水面の下の加熱器から熱が伝わったのか、直ぐにお湯の準備ができ、それにタオルをつけてかたく絞る。体を拭いた後、髪も桶に浸しつつ洗うと水気をきり乾いたタオルで拭いていく。今は短いから大して手間はかからない。
「終わったよ」
カーテンを開き桶を外へ出すと直ぐにリュディガーが来て受け取ろうとしてふと私を見た。
「人の事言ってる場合か?」
タオルを取り上げられ今度はさっきと逆に髪をワシワシと拭かれる。
「いいよ、自分でやる。まだ拭いてる途中だったの!痛いってば!」
ちょっと力加減が馬鹿になってるリュディガーの手を止めようと腕を掴んだ。
コイツまた腕太くなってる!
「あぁ、悪いな」
口ではそう言ってるが止める様子はなく、でも少し弱めた優しいとは言い難いけれど耐えられる限界ぐらいの力加減で頭を拭いてくれる。
もう好きにすればいいよ。
大男に見おろされ、なすがままにベッドに腰掛けている。こんな感じは久しぶりでもある。
昔はよく面倒を見てくれる仲のいい兄妹という感じで、私もいつも彼の後ろに引っ付いていたし、周りからも自分自身もそう言っていた。血の繋がりは無くてもちゃんと家族だし、妹はいないと言われても態度は変わらなかった。
あの時までは……
ある日、私が攫われかけた事があり、そこから少し何かが変わった。
八才の時、船に乗船したての新規の男が私に目をつけた。
私は金髪で碧眼。黒髪や茶髪が殆どのここら辺ではちょっと珍しい系統だ。長く伸ばした髪を可愛らしく編み込んだりしてかなり目立つ少女だった。周りにいる大人は昔から知る気心が知れた連中ばかりで特に警戒もしてなかった。
その日オジジが仕事中でリュディガーがキッチンの雑用をしていたが、その男は子供部屋の面倒を見ていた係りが席を外した隙にリュディガーが怪我をしたと言って私を子供部屋から誘い出した。
人気が無い場所へ連れ込まれ物陰に入った途端、態度が豹変した男に静かにしろと脅された。
怖くて固まってしまった私の髪を撫で服の上から体を触られ本能的に嫌悪感が湧き上がった事を覚えている。
たまたまその場所が食糧庫だったお陰で用を頼まれたリュディガーが偶然やって来て、連れ込まれた私を見て驚いて男に掴みかかった。そこで騒ぎになって他の大人達が気づきそれ以上の被害は受けなかったことは不幸中の幸いだった。
まだ十三才だったリュディガーはそれほど力もなく男に何度も振り払われても掴みかかり投げ飛ばされた拍子に木箱が砕けてその破片で背中に大怪我をした。
真っ赤な血を流すリュディガーを見て私は大泣きし、暫く彼のそばを離れなかった。
それからほどなく私は一人で寝かされるようになり、リュディガーが仕事の中でもキツイと言われる熔鉱炉で働くようになった。
私は髪を短く切り男の子の様な服を着て部屋の外では帽子を目深に被るようになった。
オジジは部屋で仕事をする為にベッドを改造し、私を子供部屋へ預ける事はしなくなった。
私に危害を加えようとした男はそれ以来姿が見えない。
航行中の船の上では夜間に事故が多く行方不明になるのはよく有ることだと後に船長のモッテンが言っていた。
船長はオジジと親しいせいか私とリュディガーにも目をかけてくれる。口の悪い顔の怖い男で気に障った奴は良くて船を追い出されるか悪くて急に居なくなる。
でもそういう奴は大抵周りに迷惑をかける奴なので誰も何も言わない。
リュディガーが私の髪を拭いていた手を止めてそろりと額近くの髪を指で滑らせた。
「短いな」
大きな体に不似合いな慎重な手つきに私はちょっと驚いて目をパチパチとさせる。
「うん、楽だから」
男のように短ければそう目立たないし、あれやこれや気にしなくて済む。
「そうか」
それだけ言ってリュディガーは離れていくとカーテンを閉めた。桶を持って洗面台へ行く彼の気配を聞きつつベッドへ倒れ込んだ。
目を閉じると直ぐに眠りに落ちていく。昼間の疲れのせいか眠りが深い私は一度眠るとなかなか目覚めない。
そして時々不思議な夢を見る……
会った覚えの無い男女、見たことのない装置、繰り返される不思議な夢はいつしか私に確信させる。
これは拾われる前の私の過去なのだと。
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