第43話 散る花は、あなたを想う
コンコン、コンコン
「
部屋からの返事はない。朝から何度か部屋の戸を叩いていた
「
部屋の中には誰もいない。朝の淡い陽ざしの中で寝台の上に置かれた黄色のイチョウの葉に目が留まった。
「
「あ、
「大変だ、
「イチョウの葉…そう言えば、昨日の夕方、
「そうなんだ、
「な、なんと…わざわざ戦場に出向くなんて…自ら命を落としに行くようなものです…」
「コラ
「きっと、我々には計り知れない深い事情があるんだよ。急いで
「
屋敷の中から
「
飛び出してきた
「今、若様は
「これをしばらく預かってくれ」
「これは
見覚えのある木箱を前に
「そなた知っているのか⁈」
「そうなんだ、若様に渡すように頼まれたが昨晩、私は
「はっ、承知いたしました」
「若様!若様!」
「
「若様、大変な事が起りました!と、
「落ち着け
「
「こ、こんな時に
一瞬ぽかんと呆気に取られていた
「明け方こっそり宮を抜け出されたようなんです…」
「そ、そんな馬鹿な…なんの為に
「理由はわかりませんが、全て誤解なのです。若様が勘違いされているだけなのです!
さぁすぐに
「若様!
「馬鹿を言うな、
「若様、そんなに
「…若様が助けにいかぬのであれば、私が代わりに行って参ります」
土埃の舞う中、
どの辺まで来ただろうか。厚い雲で覆われた空は今にも雨が降り出しそうだ。遠くに小さな笹薮が見えさらに奥に林が広がっている。前回、馬を走らせてここを通り過ぎた時は、明るい日差しの中でさほど気にならなかったが、今日は暗い雲の下で林が鬱蒼として見えた。
笹薮に入った瞬間、突然風が強くなり、笹の葉がザワザワと音をたてた。林から飛んでくる黄色い葉がはらはらと空を舞い、地面の落ち葉と交じり合った。ドォォと風が林の中を抜けると、みるみるうちに辺りは暗くなり雨がポツリポツリと降り出した。
遠くから、勇ましい男の声が聞こえ足を止めた。暗く周りが見えにくい状況は返って好都合かもしれない。私は体をかがませながら道の端を再び歩き始めた。声がはっきりと聞こえてくる。道を左に大きく曲がった先で朝廷の兵らの後ろ姿が見えた。私は彼らに見つからないようにこっそり木の陰に身を潜めた。
彼らに見つからずに山代王様の陣営までたどり着く事が出来るだろうか?無謀すぎる事は十分わかっている…けど、もうこうするしか他に方法がない…
私は空を見上げると、広がる黒雲と雨風が上手く私を隠してくれる事を祈った。
道の先がふたまたに分かれている。しばらくすると軍勢は二手に分かれて進み始めた。本陣らしき先頭に
彼らが何かを捕らえるかのようにゆっくりと前へ進んでいく。林を抜けた先の右方に枯草の丘が見え、その斜面を何人もの兵が弓を引きしぼりながら進んで行くのが見えた。私は身をかがめ木の影に隠れながら慎重に近づいた。
突然、枯草の丘の向こう側から荒々しい声が聞こえてきた。
「そこに居るのはわかっている!出てこい!」
「
「馬鹿を言うな、そんな要求には答えられぬ!」
山代王側の兵が即答した。
私は丘の外側の人気がない方に回り込むと、刈り取られた藁の束の後ろに隠れた。緊張で鼓動は速くなり喉はカラカラだ。私は大きく深呼吸したあと、藁の山のはしから前を覗き込むようにゆっくりと顔を出した。
遠くに相手陣営が見える。やはり山代王様が率いる軍勢だ。互いに睨み合いが続く中、中央に
あぁ、どうしよう、もう間に合わない…でも、さっきから互いに見合っているだけで戦が始まる気配がない…まだ山代王様と話せるかも…
こんな場面、何度生まれ変わっても、そうそう遭遇することはない。二度と御免だ。でも、きっとやれる。私は自分を奮い立たせると顔を上げ、前を見据えた。
しばらく両者の押し問答が続き、少しの沈黙のあと
「話し合いが出来ぬのであれば致し方ないこと。この矢をお受けください!」
「駄目よ!!」
私は大声を上げ両手を広げながら飛び出した。けれど既に射放なたれた矢は空高く飛び弧を描きながら山代王の陣営に向け落ちていった。
「山代王様!!」
ワァァァと雄たけびが上がり、すぐに山代王が率いる陣営からも数本の矢が射放たれた。私はなんとか
両陣営の兵達がどよめく中、
「
山代王が叫び軍勢の先頭へと歩み出た。
その瞬間、
「や、山代王だぞ!撃て!」
「
山代王が叫んだ。
「なんだ、あの女!蘇我の女ではないか!」
うずくまる
「やめろ!撃つな!」
兵から放たれた一矢は、風を切って飛び私の胸にあたった。矢竹の半ばまで突き刺さり私はその場に倒れた。生温かい物が流れる。反射的に撫でてみると手のひらが真っ赤に染まっていた。
「と、
山代王の叫び声が聞こえ、その後ろで側近の
「退却!!ひとまず退却だ!!退けー退けー」
山代王側の軍勢はどよめきながら一歩一歩後退し、
相手の陣営を追おうと
「やめろ!やめろ!やめんか!
「
「
泣きそうな彼を見て言った。
「
こんな状況下で馬鹿げた質問かもしれないが、思い浮かぶのは彼の事だけだった。
「じ、実はそれが、ま、まだ渡せていな…」
「…まだ…怒ってるのね…」
私は
「…許してはくれない…」
「違うのです!そうではないのです!すぐに若様は来られます!!もう少しの辛抱です!」
泣きじゃくる
「良かった…来させないで…絶対にダメよ…」
意識が遠のいていく。
「と、
目の前で
「これでいい…これでいいの…」
「と、
ザザァ、ザザァ…雨は激しさを増し大きな音を耳元で立てた。
「
私の声はだんだんと小さくなり、薄れゆく意識の中で夢を見ていた。
私は難波の海で浜辺に座り沈む夕日を見ている。オレンジ色にキラキラと光る水面に、白い帆を上げ岸に向かってくる一隻の船が見える。その手前の浜で
その瞬間、冷たくなった私の手が胸から滑り落ちた。
出会わなければ、恋に落ちることもなかった。
深く知らなければ、愛することもなかった…
「
強風と激しい雨の中、
ザッザッザッ…ヒヒィ~ン!!
激しい馬のひずめの音と共に
「と、
「やめてくれ!!頼む!私を残して逝かないでくれ!」
辺りが暗くなるにつれ雨脚が弱まり、長らく沈黙していた
「
「…はっ、はい…」
「
「
「えっ⁈」
「若様なりません、
「
「はっ!!」
「皆の者、ついて参れ!!」
晴れているのに凍えるような寒さだ。
「若様、これ
「なんで、こうなったのだ…
もうこれ以上痛むことがないと思っていた胸に、突き刺すような痛みが走る。心を失ったこの胸の穴がふさがることはないだろう。
ピピッ、ピピッ、ピピッ…
あぁ、眩しい…なぜこんなに眩しいんだろう…
「
パタパタと耳もとで誰かが駆け抜ける音が聞こえ私は再び重い瞼を閉じた。
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