第19話 空白の十三年
ホーホケキョ、ケキョケキョ、チュンチュン…外から賑やかな鳥達のさえずりが聞こえる。春の穏やかな陽射しが部屋中に広がっている。
ゆっくり体を起こすと、桜の花びらが一枚ぽとりと床に落ちた。
拾い上げた花びらを見つめ昨夜の事を思い出した。ここ数日間で起こった出来事全てが真実なのだ。あの日、中宮に会ったのを最後に二度目のタイムスリップをし再び十三年という時を超えてしまった。
あの夜、中宮は私に何か伝えようとしていたが彼女の居ない今、それが何なのかを具体的に知るすべはない。複雑に絡まり合った紐をほどいていくのに相当な勇気と覚悟が必要になるだろうと、とてつもない不安に襲われ胸を押えた。
あれ?…何かが胸に当たっている…はっと思い出し急いで取り上げた。首から下げた紐の先にあるもの…そう、翡翠の指輪だ。以前山代王が友の証にと贈ってくれた大切な物だ。緑色に美しく輝く指輪は山代王との思い出を一瞬でよみがえらせた。山代王のあどけない笑顔を思い出し胸がきゅんと痛んだ。
どうされているだろうか、、、、、。
しばらくすると、戸の向こうから
「
「えぇ…」
そう答えると
「
「えっ?」
私は慌てて両手で顔をおさえながら戸口に行き、桶の水に映る自分を覗き込んだ。確かに額にも頬にも乾いた泥がついている。でも、そんなことよりも自分の顔がもとの27歳に戻っている事に驚いた。
まぁ、もとの姿に戻っただけだからなんの違和感も感動もないが、
「
「ありがとう、だいぶ良いわ」
「さようですか、安心いたしました」
顔を洗い終え部屋の中へと戻ると
昨日の事をうまくごまかさないと…
「…昨日は取り乱してしまい悪かったわ。私きっとまた気を失った時に頭でも打ったのね…今はまだ混乱しているけれど、じき良くなると思うわ」
「そうですよ、この十三年間の都での出来事は私が全てお話いたしますので、安心してください」
「ありがとう。あなたが側にいてくれてどれだけ心強いか…でも、もう十三年の時が過ぎたのだからあなたもご家族があるのでしょう?」
この時代であればほとんどの場合十代半ばで嫁ぐはず…もう私の世話をしてもらう訳にもいかない…
「実はそれが…そのぉ…」
「…お恥ずかしながら実は未だに…誰にも嫁いでおりません」
「えっ?なぜなの?あなたのように器量よしなら沢山の結婚の申し出があったはずでしょ?」
「はい…良い縁談話を幾度か頂いたのですが…身勝手ながら私の心が動かなかったのです」
「誰か他にお慕いしている方がいるの?」
「そ、そ、そのような方はおりません…」
と慌てて手を横に振り否定したが、目をパチパチさせながら顔がほんのりと赤く染まったのを見逃さなかった。
そうよね、好きな人の一人や二人くらいいるに決まってる…
「でも、一人では生活が苦しいのでは?この先心配だわ…」
私が母親のようにため息まじりに言うと、
「失礼を承知で申し上げますが…
と即座に言い返し、いたずらそうに目を細め私の顔をジッと見た。
「あぁ!そうだった!」
すっかり自分の事を棚に上げ忘れていたが、すぐに山代王の顔がぼんやりと浮かんだ。
「
「ありがとう、私も嬉しいわ」
実は
「それにしても
「そ、そんなものはないわよ、私だって年を取ったわ…」
「全然そのようには見えません、とってもお美しいです」
確かに今朝、元の自分の顔に戻ったのを確認したが、もともと老け顔のせいか少女時代も今現在もあまり変わっていない…皆がすぐに認識するわけだ。
突然ぐぅ〜っとお腹が鳴った。
「
「ありがとう、楽しみだわ」
食事を済ませると早速二人で裏庭の散策へ向かった。
肝心要の事を聞かなければと思い翡翠の指輪を握りしめた。そう山代王のことだ。なぜか
いつもの東屋に移動し石に腰かけ飛鳥の都を見渡した。私にとっては数日前だが十三年たった今も都の建物は朱色に輝き美しいままだ。
「あれは、何?」
香久山の後方にうっすらと高い塔が見えた。
「あの塔は
「
「さようでございます」
「…そう」
「
「そう…」
確か
あれ?今って何年なのかしら⁉︎
急に寒気がし体がガタガタと震えだすと指先も血が通っていないかのように冷たくなった。
「
「ありがとう、
「どうか、あの子達を助けて欲しい」
確かにそう言った…私にしかできないって…でもそんな、一体誰を助けろというのかしら…仮にわかったとしても私には何の力も地位もない。助けられるはずないのに…
「
「
驚いた
「この手巾…」
「そうですよ、以前に中宮様が私達の為に縫ってくださったものです。十三年前に
「深田池の畔で倒れている
「…この髪留めは我が家で先祖代々から受け継いでいるものなの…詳しくは知らないけどお守りのようなものね。見つけてくれてありがとう、大切なものよ」
そう言い、
この髪留めは私と一緒に時を超えてきた。手元に戻ってきたのはこれで二度目…一度目は北山で失くし
ふと桃原墓で会った
「
「はっ、何?」
思わず大きな声で返した。
「大丈夫ですか?何か思い出されましたか?」
「ううん、もっと昔の事をなぜか思い出していたわ…」
「そうですか…あの…ずっとお尋ねになりませんが、私からはその…お話しづらくて…」
勇気を出して聞いてみないと…いつまでもこの話題から避けてはいられない…
私は覚悟を決めて話を切り出した。
「私も今日になり、気持ちが落ち着いてきたの。そこで、聞きたいのだけど…山代王様は…」
緊張でつばをごくりとのんだ。
「はい…正直に全て申し上げてもよろしいですか?」
「えぇ、もちろんよ」
私が深く頷いた事に安心したのか、
「実は大変な日々でございました。
そ、そ、そんな…どうしよう…真実は言えないし困ったわ…
「で、その後の山代王様のご様子は?」
「はい、
「いいのよ私に遠慮することはないわ。阿部家の
そうは言ったものの胸の奥がキュンと鳴った。心は正直だ。きっとこうなる運命だったのだろう…
「実は数年前にも
急に
「…そう、もう立ち直って何年にもなるのね。今は立派な家庭もおもちのようだし、朝廷の重鎮で権力者でもある。十三年前の出来事は仕方なかった事だけど、今となっては私が入る余地はなさそうね。それに、どんな顔をしてお会いすれば良いかもわからないし…明日は
「えっ?
「
「
「えっ?…そんなわけ…十分に若かったじゃない!何故なの?」
「私も詳しくは存じ上げませんが急な病で突然亡くなられたのです。ただ一つ気になる噂がありまして…あくまでも噂なのですが…」
「…何者かに毒を盛られ殺害されたかもしれないと…」
「えっ?殺された…?」
「真偽のほどはわかりませんが、都では長い間その噂が流れておりました」
「そんな…」
「しばらく山代王様も悲しみに打ちひしがれておいででした。あれほど仲の良いご兄弟でございましたので…。その後、急に山代王様のお人柄が変わられたのです…なんというか…申し上げにくいのですが…権力と武力を執拗に求めるようになり…以前とは別人のようです。きっと何かご事情があるのでしょうけど、昔のあのあどけない温厚な山代王様はもう見られないかと…」
「…そう」
とても気が動転していたが静かに頷いた。
「今は
「そうね…とりあえず成り行きに身を任せるわ。縁があれば山代王様とも再びお会いすることになるはず…」
時間も忘れ長く話し込んでいたせいか気づいた時にはもう陽はだいぶ西に傾き空は薄暗かった。
「
「そうね、…もう少ししたら戻るわ。先に行っててくれる?」
「承知しました、
「ありがとう…」
ひんやりとした春の風が吹き始め、どこからともなく桜の花びらが飛んできた。
「中宮様と共にこの桜を愛でたかったわ…」
手のひらを上に向け花びらをすくおうとしたが、指の間をスルスルとすり落ちた。
この時代に留まっているのには、やはり何か大きな意味がある…中宮様の想いを果たす為にもこの飛鳥の地を去る事はできない…覚悟を決めないと…
胸がザワザワと騒めいたが、不安を打ち消すように目をつむると、首にかけてある翡翠の指輪をぎゅっと握りしめた。
山代王様…
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