第17話 粉雪の舞う中で

 ポトン、ポトン、茅葺屋根から水滴の落ちる音が聞こえる。冷たい空気と共に冬の淡い日差しが戸の隙間から入り小屋の隅々まで照らしている。


 良かった…今日は晴れている…宮に帰らないと…


 「小彩こさ…起きて…宮に帰らないと…」


 「ふぁ~…もう朝ですか?まだ眠たいです」


 よっぽど昨夜の酒が美味しかったのか六鯨むげも使用人たちも体を丸めてぐうぐうと大きないびきをかいて寝ている。かめの蓋を開けると中身は空っぽで、梅の良い香りだけが小屋中に漂った。


 「さぁ、もう起きて戻りましょう」


 寝ている小彩こさの体をゆすった。


 「はぁい…」


 小彩こさはあくびをしながらけだるそうに答え、のそのそと起き上がった。帰る支度をし大いびきをかいて寝ている六鯨むげを起こし小屋を出た。日差しはあるものの昨日よりも格段に冷えこんでいる。凍りつくような澄んだ空気を吸い込むと、鼻がツーンと痛んだ。


 帰り道、飛鳥川は水かさを増しじゃぶじゃぶ、ごぼごぼと激しい音を立て流れていた。

 それにしても酒を飲みすぎてなどいないのに頭がずしんと重い…そうだ、きっとあの夢のせいだ…



 「…ねぇ小彩こさ、昨日悪い夢を見て夜中に目が覚めたのよ…ひどく喉が渇いて、外の水飲み場に行ったの。そしたら琴の音が聞こえたの…」


 「琴の音ですか?風の音ではなかったのですか?」


 「えぇ、確かに琴の音よ。透き通るような美しい音色だった、でも…どこか寂しげで儚くてやけに心に沁みたわ…」


 「さようでございますか…でも、嶋宮しまのみやのお屋敷で琴を弾かれる方は存じません…まさか幽霊ではないですよね!?」


 「ゆ、幽霊⁉︎そ、そんなわけないと思うわ!」


 とは言ったものの、あの時はまだ酔いが残っていたし…おかしいわね、夢でも見ていたのかしら…急に自信がなくなった。


 それにしても林臣様が蘇我入鹿だったなんて…今までは憎たらしい奴とさえ思っていたが、今後の彼を待つ壮絶な最後を思うと、少し胸が痛んだ。


 でも仕方ない、蘇我入鹿そがのいるか山背大兄王やましろのおおえのおうと彼の家族全員を斑鳩寺で自害にまで追い込む非道をするのだ。


 自業自得とはまさにこのことなのだから…


 「ねぇ、小彩こさずっと聞きたかったのだけれど…中宮様のお亡くなりになったご子息はずっと飛鳥の都で住んでいらしたの?」


 「え?東宮聖王とうぐうせいおう様の事でございますか?」


 東宮聖王とうぐうせいおう?あの法隆寺の薬師如来の背に刻まれていた?


 「その方が中宮様のご子息?」


 「はい…東宮様はずっと斑鳩の地で仏教に傾倒され、布教に熱心に取り組まれておられました…当時は中宮さまも斑鳩寺のすぐ近くに宮をかまえていたのです。ですが…数年前に病にかかってしまって…誰からも敬われ、人徳人望のあるお方でしたのに…。あの時の中宮さまの悲しみようといったら、今でも思い返すと胸が張り裂けそうです」


  「そう…」


 東宮聖王とうぐうせいおうとは竹田皇子たけだのみこのことだろうか?…でも歴史上では竹田皇子たけだのみこは早世されたはず…それとも別のご子息?…全くわからない…。どちらにせよ先に息子が逝ってしまうなんて、親にとっては一番不幸で酷なことだ。中宮さまのご心痛は計り知れないと思い胸が痛んだ。


 小彩こさが続けて言った。


 「東宮様が亡くなったあと、先代の大王様も後を追うようにお亡くなりになられたのです。先代の大王様もまた生前は中宮様を大変助けられ、朝廷のまつりごとを執り行っておりました。今は茅渟王ちぬおうさまが大王となり、政務を執っておられますが…」


 「そう…」


 やはり、日十大王ひとだいおうこと彦人皇子ひこひとおうじ茅渟王ちぬおう様のお父様ね…


 「ところで、…山背大兄王やましろのおおえのおう様を知ってる?斑鳩付近に住んでいらっしゃるかも…」


 唐突だったが、思い切って聞いてみた。


 「山代王様ですか?」


 「ええっと…似ている名だけど、きっと別のお方だと思うわ…」



 「そうですか…山代王様ならもちろん存じておりますが、斑鳩の地に住まわれる山背大兄王やましろのおおえのおう様は…わかりません、お知り合いですか?」


 「んん…違うの何でもないわ」


 慌てて首を横に振りごまかした。よくよく考えれば山背大兄王やましろのおおえのおうが誰なのかわかったところで、この先起こる歴史は変えられない。しかも日本書記が正しければ悲惨な結末だ。知らない方がいいのかもと考え直した。


 それよりも自分がなぜこの世界に来たのかがいまだ謎のままだ。何か意味があるのだろうか?


 確実に言えるのはタイムマシーンに乗り、のんきに歴史を見にきた観光客ではないという事だ。まずは自分の運命の心配をしなければと思い気が滅入った。


 足のつま先が地面の冷たさでジンジンと痺れてきた。林の中に小さな可愛らしい黄色の蕾を持った蝋梅ろうばいの木が見える。梅の香りが一瞬した気がして林臣りんしんを思い出した。彼がもし本当に蘇我入鹿そがのいるかだとすると、彼は三韓の儀で暗殺されてしまうのだろうか?…ふっと頭の簪に手を触れた。


 ようやく橘宮たちばなのみやの五重の塔の先端が林の奥に見えた時、見覚えのある馬が凄い速さで前方から走って来た。馬はパカッパカッパカッ、ヒヒーン、と鳴き数メートル先でぴたりと止まった。ひらりと若い男が馬から降りるとこちらに向かい駆けてくる。


     山代王だ、、、。


 「燈花とうか!無事であったか⁉︎」


 山代王は私が答える前に私の腕をぐいとつかむと力強く引き寄せた。温かな腕の中でドキドキと心臓が鳴り一気に鼓動が早くなった。


 「朝早くに橘宮たちばなのみやに行ったがそなたが桃原墓からまだ戻らぬと聞き、居ても立っても居られず飛んできたのだ。会いたかった」


 少し力の入った腕から山代王の愛情が伝わってくる。随分長い事会っていなかったような懐かしさを覚えた。


 「いくら人が足らぬとはいえ、この寒さの中わざわざそなたらが行くことはなかろう」


 山代王は怒り半分呆れ半分な様子で言った。よほど心配をかけてしまったらしい。彼の眉はまだ下がったままだ。


 「ご心配をおかけして、すみません」


 「謝らずとも良い。そなたは何も悪くないのだから。それよりも良い知らせがあるのだ。そなたに伝えたくて朝一番で参った。兄上や朝廷の大臣達から婚姻の許しをもらった」


 山代王がとても興奮した様子で言った。


 「まことでございますか⁉︎」


 「そうなのだ昨晩、朝廷から使いが来てこの木簡を授かった。いち早くそなたに伝えたくて早朝から馬を飛ばしてやってきた」


 そう言うと手に握っていた木簡を広げ嬉しそうに微笑み顔を赤らめた。


 「私もとても嬉しいです。とりあえず橘宮たちばなのみやに戻り詳しい話を聞かせて下さい」


 今まで考えていた余計な不安は嘘のように吹き飛び、春が来たかのように温かな風を感じた。とても穏やかで平和だ。


 宮に戻ると私は都中を見渡せる東屋に山代王を案内した。小彩こさがすぐに温かい茶を用意してくれた。


 「燈花とうかよ、久しぶりにそなたの顔を見て、実に幸せな気分だ」


 「私も…同じお気持ちです」


 妙に恥ずかしくて山代王の顔を見ることが出来ずにうつむいた。久しぶりの高揚感で顔が熱っているのが自分でもわかる。


 「新年の宴の席でそなたとの婚約を発表する。婚儀は準備が整い次第、直ぐにでも挙げるつもりだ」


 あまりの短期間の間に話がとんとん拍子に進んだことに驚いていた。私の今までの不安はいったいなんだったのだろうかと拍子抜けした。


 「なぜ黙っている?気持ちが変わったか?」


 山代王は不安気に私を見た。


 「い、いえ、そうではありません。あまりにも順調に話が運んだ事に驚き、まるで夢を見ているような気分なのです…」


 「ハハッ…夢などではないぞ」


 そう言うと山代王は私のほっぺたを両手でつねった。


 「痛いっ!山代王様⁉︎」


 「ほれみたことか、夢ではないであろう?」


 頬はまだジンとして文句の一つでも言いたかったが、目の前で無邪気に笑う山代王が子供みたいで愛らしかった。そう思ったのも束の間、私の悪い癖なのだろうか、咄嗟にまたいつもの不安に襲われた。


 もし、これが長い夢だったらどうしよう…それとも、このあとすぐに未来に戻ってしまったらどうしよう…


 私の心を読んでいるかのように山代王が真っすぐな瞳で見つめて言った。


 「私は兄上とは違いまだ年若く未熟ではあるが、そなたの事だけは必ず守る。ゆえに安心してほしい」


 彼が誠実で愛情深い人間であることが、瞳から伝わる。なんて頼もしいのだろう…


 「山代王様…」


 山代王は優しく私の頭を撫でると、そっと顔を寄せて口づけをした。裏山からさらさらと音が鳴りどこからともなく山茶花の花びらが冷たい風に乗って飛んできた。


 「今日は急ぎそなたに伝えたかったのだ。まだ他にも済ませねばならぬ用事があるゆえ、また明日会いに来よう」


 「わかりました」


 私が頷くと、山代王はもう一度私の体をきつく抱きしめた。


 門を出た山代王は何度も馬を立ち止まらせ振り返るとこちらに向かい手を振った。これではまるで今生の別れのようだと思いクスッと笑ってしまった。


 ようやく山代王の後ろ姿が見えなくなった。手足の指が凍てつくように冷たい。朝よりも確実に気温が下がっている。はぁはぁと冷たくなった指に息を吹きかけながら小走りで部屋に戻った。


小墾田宮おはりだのみやでは、、、、


 「中宮様、大伴おおとも大臣様がお見えになりました」


 「通しなさい」


 中宮が静かに言った。


 ガタガタと戸があき、大臣と数人の臣下が入ってきた。


 「大臣よ急に呼び出してしまいすまぬな、実は…今晩以前話した通りに事を進めて欲しい」


 「えっ、今宵でございますか?」


 「そうだ今宵だ。すぐに支度をして欲しい」


 「しかし、今日は非常に冷え込んでおりまして、今宵は雪が降るかもしれません」


 「構わぬ、今宵でなければならぬのだ」


 「はぁ…そうですか…承知いたしました。では早速準備いたします」




 パカッパカッパカッ、


 夕方にさしかかった時一台の馬車が小墾田宮おはりだのみやから橘宮たちばなのみやに向け出発した。




 「誰か、誰かおらぬか!」


 「お待ち下さい、今参ります」


 門番の漢人あやひとがハァハァと息を切らしながら走ってきて門を開けた。


 「小墾田宮おはりだのみやからの使いのものだ。すぐに燈花とうか様をお連れしてくれ」


 「えっ、今でございますか!」


漢人あやひとが驚いて言った。太陽はだいぶ西に傾き薄暗い。


 「そうだ、早く呼んできてくれ」


 男が切羽詰まった様子で言った。


 「は、はい」


 コンコン、コンコン。


 「燈花とうか様、漢人あやひとでございます」


 「漢人あやひとどうしたの?」


 「実は今、小墾田宮おはりだのみやから使いのものが来ており、燈花とうか様をお呼びしています。何か急ぎの用のようです」


 「小墾田宮おはりだのみやから?」


 「はい」


 こんな時間に何かしら?まさか中宮様に何かあったとか…


 「すぐに支度をして行くからあなたは先に戻っていて」


 「承知しました」


 漢人あやひとの様子からして急ぎのようだったし、ひとまず小彩こさには伝えずに急いで部屋を出て東門へと向かった。


 門の前に見慣れぬ一台の馬車と男が立っているのが見えた。



 「燈花とうか様でいらっしゃいますね?中宮様の命により小墾田宮おはりだのみやより参りました。急ぎ馬車に乗って頂けますか?」


 まさかこんな夕暮れから小墾田宮おはりだのみやに行くことに疑問を感じたが、確かに馬といい男の身なりからして小墾田宮おはりだのみやの人間である事は間違いない。


 「わかりました。漢人あやひと小彩こさに中宮様にお会いしてくるから心配はいらないと伝えておいてちょうだい」


 漢人あやひとが大きく頷くのを確認した後、馬車に飛び乗った。日はすっかり落ちていた。馬車の松明に火が灯されると、馬車はゆっくりと進み始めた。遠くに都の建物を囲む何本もの松明の灯りが見える。凍り付くような寒さにブルっと体を震わせた。


 今晩はやけに冷えるわね…かじかむ手にハァと息を吹きかけた。何故だろう、しばらくしても馬車は止まる気配がない。辺りは真っ暗でよくわからない。

 

 ガタガタ、ガタガタ…やはりおかしい…いつもならとうに到着しているはずだ…


 しばらくしてようやく、馬車がゆっくりと止まった。


 「燈花とうか様どうぞお降り下さい」


 男が言った。


 「ええ」


 辺りは真っ暗闇だったがすぐにここが小墾田宮おはりだのみやではないことはわかった。


 「ここはどこなの?」


 「この道の先で中宮様がお待ちです」


 使いの男が静かに答えた。


 「今宵は冷え込んでおりますので、この上着を羽織って下さい。あとこの燈籠をお使い下さい」


 男はそう言うと膝丈まであるローブのような温かな上着と小さな燈籠を手渡してくれた。灯籠の中では小さな炎がゆらゆらと揺れている。


 「この道の先に行けばいいの?」


 「左様でございます。この林の中を少し歩かれると先に松明が灯ってあります。その松明の灯りを頼りにお進み下さい」


 使いの男はここまでですと言うように、深々と頭を下げた。


 ここがどこかもわからないし何故こんな時間なのかもわからないが、男が嘘をついているようには見えなかった。


 まぁいい、行ってみよう…覚悟を決め歩き始めた。渡された小さな燈籠と月の明かりだけが頼りだが、今晩の月はとにかく大きく明るい。足元を照らしてくれるには十分すぎるほどの明るさだ。


 冬の夜だけある。林から吹いてくる冷たい風にまつ毛も髪も凍りつくようだ。しばらく道なりを歩いていると少し先に小さな松明の灯りが見えた。その先にも別の松明の灯りがゆらゆらと見える。灯りを頼りにゆっくりと前へ進んだ。


 静まり返った林の中にはザクッザクっと霜柱を踏んで歩く音しかしない。心細いが行くしかない…しばらく林の中を歩き続けると木々の向こうにキラキラと輝くものが見えた。ゆっくりと近づくと頭の後ろでバタバタと鳥の羽ばたく音がし驚いて振り返った。


 すぐそこに月明かりに照らされた青白い山が見える。見覚えのある山だ。再び正面を向き数歩すすんだところで目の前は開け池が現れた。

 

 池の水面は月明りに照らされキラキラと光り夜空に浮かぶ月は明るく輝いている。とても幻想的で見とれていた。もう一度振り返り山を見た。

 

 あの山…畝傍山うねびやまに似ている…もしそうだとすると、この池は…深田池だ。もう一度池の周りを見渡すと松明を灯した東屋が池の辺りに見えた。しかも誰かいる…


 中宮様だろうか?急ぎ足で近づいた。ゆらゆらと揺れる灯りの下に中宮が一人こちらを向いてぽつんと立っている。


      中宮様だわ!!


 訳がわからないまま中宮のもとまで駆け寄った。


 「中宮様!かように寒い夜にお呼びになるとは、いったいどうされたのですか⁉︎」


 中宮はゆっくり頷くと静かに言った。


 「…燈花とうかよ、大事な話があるゆえこの池までそなたを呼んだのだ。ここなら二人だけで話が出来よう…」


 何を言っているのか全く状況がつかめない。ただ中宮がいつもよりも憂いを含んだ寂し気な瞳をしている。事情はわからないが、とにかく中宮を連れて馬車まで戻らないと…


 「中宮様この寒空の下ではお身体に障ります、すぐに馬車まで戻りましょう」


 中宮の手を握ったが氷のように冷たい…。


 「構わぬ、もう十分生きたのだ」


 中宮が寂しそうに笑った。


 「中宮様?」


 「燈花とうかよ、私はこの池から見る春の夜桜が大好きだ…特に月明かりに照らされた夜桜が散る姿は実に美しい…」


 中宮がぽつりと呟いた。

 

 どうしたのだろう…様子がおかしい…


 「では春になり桜が咲いたら、一緒に見にきましょう…」


 「フフッ、そうしよう…」


 中宮はやはり寂しく笑いうつむいた。


 「中宮様、もう戻りましょう…手が…」


 私の言葉を遮るように中宮が言った。


 「そなたとは、大分前に一度会ったな…」


       えっ?…


 「この世界の者ではないだろう?」


 ハッと、思わず息をのみ中宮を見た。中宮は静かに私を見つめたままだ。一瞬であらゆる思考が止まった。


 「怖がらなくとも良い。私に会いに来たであろう?…あの時そなたが空から私の陵墓めがけて舞い降りて来るのを見た」


 ちょっと待って、全然頭が働かない…中宮様のお墓…えっ⁉︎まさか、あの夢のことだろうか⁉︎ やっぱりあそこ中宮様の陵墓だったんだ…あの時、声を聞いたのは…


      言葉が出ない。


 「そなたに初めて会った時には大変驚いた…やはり夢ではなかったと確信したのだ…この世は実に無情であるな…」


 中宮は深いため息をつくと悲しそうに池の水面を見つめた。


 「中宮様…何故そんなに悲しまれるのですか?」


 突如そんな言葉が口から出た時、冷たい風が畝傍山うねびやまからビューっと吹いてきた。そして雲一つないのに空から真っ白な粉雪がチラチラと降りだした。


 「燈花とうかよ、よく聞いて欲しい。私が死んだ後の話だ」


 「そ、そんな、何をおっしゃるのです!」


 「燈花とうかよ、落ち着いて聞いておくれ。間もなく私の命は尽きる…どうか、あの子達を守って欲しい。不甲斐な私にはどうする事も出来ぬ。この定めが天命なのは十分承知している…なれど、罪のない二人だ。どうかあの子らを守って欲しい…」


 中宮は私の手を取るとポロポロと涙を流しはじめた。しわくちゃの冷たい手から中宮の深い悲しみが伝わってくる…


 「中宮様どうか泣かないで下さい」


 頭の中は訳が分からずぐちゃぐちゃだった。その時、東の空に見える彗星が急に強く輝きあたり一面が昼間のように明るくなった。


 何が起こったのだろうか?体は風船のようにふわふわと軽くなりつま先が地面から離れるとプカプカと宙に浮きはじめた。



  「中宮様!!」


 体はどんどん暗い夜空に吸い込まれていく。必死で中宮の手を握りしめた。


 「燈花とうかよ頼んだぞ」


 「中宮様、一体これはどうなって…中宮様!!中宮様!!」


 中宮と強く繋いでいたはずの手が離れてしまった…


  「灯花~」


  「中宮様~」


 必死で叫んだが体はどんどん空高く昇っていく。中宮の姿が段々と小さくなっていく。寒さと眩暈で意識が朦朧としてきた。もはやこれが夢なのか現実なのかもわからない。夜空の星は大きく輝き、粉雪と共にぐるぐると世界が回りはじめた。


 中宮様…どうか、悲しまないで…泣かないで…


 溢れる涙が頬をつたい意識を失くした。


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