第9話 失った髪飾り
もう朝か…昨晩は死んだようによく寝た。疲れすぎていたのだろうか夢一つ見なかった。戸口の隙間からひんやりとした秋の風が入ってくる。外はまだ薄暗くひっそりとしている。現代と季節が同じだとしたら、秋もそろそろ終わりに近づく頃だ。冷たい空気を大きく吸い、起き上がると小屋の外に出た。厨房のある長屋から、煙が登るのが見えた。
誰かもう起きているのね、行ってみよう…
厨房の小屋は敷地の少し奥、裏山の横にある。厨房の中の釜戸からパチパチと火が燃える音が聞こえた。中をそっと覗いたが人の気配はなくしんとしている。
「
「ヒャッッ!」
振り返ると
「
「驚いたのはこちらの方ですよ、もう起きられたのですか?」
「えぇ、昨日は早くに寝てしまったもんだから早く起きちゃったわ。ところで何を作っているの?」
「はい、昨日山代王様から栗を沢山頂いたので、蒸かしているところです。今が旬なのでとても美味しいと思いますよ」
「山代王様から頂いたの?手伝うわ、他の厨房の人は?」
厨房には
「ええ、皆、昨晩の宴で酔いつぶれてしまったようで、誰も起きてこないのです」
丁度そこへ使用人の男がガタガタと戸を開けて入ってきた。まだ酔いが抜けていないのか目はトロンとし酒の匂いがプンプンしている。
「あっ、あれ?
使用人の下男は軽く頭を下げると両手で再び頭を押さえ、う〜んと言って囲炉裏の前の床にしゃがみこんだ。
「
「まったく、飲み過ぎたのですよ」
「仕方ないであろう、大王様の盛大な宴のお陰でこの宮にも酒が届いたのだ…良い酒をたらふく飲み最高の夜であった。ふぁぁ、、あぁ眠いし頭が痛い…」
下男は大きなあくびをすると、
なるほど、誰も起きてこないはずだ。
下男は
「あんなに盛大な宴は久しぶりなのです…どの宮の者も皆酔いつぶれて、今日は仕事にならないでしょうなぁ、、あ~気持ち悪い、しかし初めて呑んだが唐の酒は強いな…」
下男はもう一杯水を
「これじゃあどの屋敷の使用人も使い物にならないわね…そうだ
「葛花ですか?はい、北山に行けば多分見つけられると思いますが、何故ですか?」
「良かった、葛花を煎じて飲むと二日酔いにとてもよく効くのよ、もし上手く出来たら
「妙案でございますね!では早速支度をしてまいります」
そうは言ったものの、薬草花には少しばかり詳しいがもちろん煎じた事などない。不安だったが、一方でなんとかなるだろうと楽観視する自分がいた。すでにこの生活に少しずつ順応してきている証拠のようで朝から驚いた。
トントン、トントン
「
戸の向こうからは返事はなく、グワァツグワァーと大きなイビキだけが聞こえている。
「…開けるぞ」
「
「むにゃむにゃ、まだ夜中でございますよ、どなた様ですか…むにゃむにゃ…」
「
「若様もう飲めませんよぉ…アハハ…」
夢から覚めぬマヌケ顔の臣下を見て、
「仕方ないな、一人で行くか…」
もちろん先を急いでいるし、そもそも普段から馬を止めたりなどしない。でも何故か今日に限り男の慌てている様子が気になり、普段なら絶対にあり得ないが、馬を止め方向転換すると男のもとに向かった。
「かような朝からどうしたのだ?」
「あっ!これは
男は慌てて挨拶をし頭を下げた。
「で、どうしたのだ?」
「はい、私は
男はモゴモゴと口ごもった。
「はっきりと言わぬか」
「はい…昨晩の宴の準備で屋敷にある食材や薪の全てを、数日前に大王様のお屋敷に運んでしまい、何も残っていないのです。薪は少し残しておいたのですが小屋の外に置いておいたので、夜露に濡れ全く火がつかない状態でございます。朝廷の薬草庫にも行きましたが在庫がなく困り果てていたところ、
男の眉毛が下がり今にも泣き出しそうだ。
「
「はい、先ほど
二人が門の前でやり取りをしていると、ギギィと門が開き、気だるそうな若い少年が顔をのぞかせた。門番の少年の
「あっ、
男が大きな声で叫んだ。
「あっ
「急用なのだ!
「
「そうか、で、いつ戻るのだ?」
「さぁ、お時間までは…」
「それでは困るのだ薪が早急に必要だ、門番のおまえが取ってこられるかどうか、、」
「薪なら、東棟の一番奥の小屋にたんまりございますのでお持ちしますよ」
「それを早く言え!良かった急いで持ってきてくれ!いや、私も手伝おう」
男は安心したのか袖で汗をぬぐうと今度は
「待て、二人は北山に向かったのか?」
「はい、確かに北山に行くと言っておりました」
「ふむ…そなた
「えっ?はっ、はい…
「昨日の宴での女官とその侍女が獰猛なイノシシの餌になりそうだ、とでも伝えろ」
北山にて
「良かった沢山咲いているわね、ついでに葛根も摘んでゆきましょう。あっ、あと中宮様の滋養にもいくつか薬草を摘んでいきましょう」
野草探しは得意だった。宝物を探しているようで心が弾んだ。
「はい、そういたしましょう。
「え?えぇ…たまたま知っていただけよ」
「そうですか、、。
「ありがとう、この石は
「ウフフ、殿方から頂いたのですか?」
「違うわよ~、母方の家系のもので代々娘たち に受け継いできた大切な家宝の石らしいのだけど、詳しい事は知らないの」
「ふ~ん、そうですか。見せてもらっても良いですか?」
「ええ、もちろんよ」
「凄く美しい紅色ですね、ん?模様ですかね?」
「模様?」
「はい。これ橘の葉と実ではありませんか?」
「え?本当に?」
「はい、三枚の葉と大きな実が橘の木に見えますが、、」
「そうなの?」
驚いた。今まで一度も気にかけた事も、じっくりと見たこともなかった。
「ありがとうございました。
「そ、そうね…」
唯一この髪飾りだけが私の本当の正体を知っているのね…
しばらくの間、時間がたつのも忘れ何も考えずに薬草取りに夢中になり草の根をかき分けた。
「
「そうね、戻りましょう」
「
「落ちついて、とにかく静かにゆっくりこの場から去りましょう」
必死で冷静を保ち言ったつもりだったが、足がすくんで動けない。さらにガサガサ、ガサガサと葉が擦れる音が聞こえた。すぐに獣の大きな鳴き声が山の中に響いた。
「ブヒィィィィィィ!!!」
突然草影から大きなイノシシが顔を出し、ギロリとこちらを見た。
「キャー!!!」
私達の悲鳴が山の中に響いた。
「
スローモーションのように足がもたついて上手く走れない。
ドスッ、、、
獣道を必死で走る途中、木の枝に引っかかり勢いよく転んだ。
「痛っっ、」
右足首に激痛が走った。痛くてとても起き上がれない。振り返ると草むらの十数メートル位奥にギロリと光るイノシシと目が合った。イノシシはこちらに狙いを定め今にも勢いよく突進してきそうだ。
もうダメだ…
両手で頭を抱えギュッと目をつぶった時だ。
ギュイーン!ギュィーーン!というイノシシのけたたましい鳴き声が山の中に響いた。数分続いたと思う。しばらくして静かになったので恐る恐る顔をあげてみると、さっきまでそこに居たイノシシの姿はもうない。代わりに慌てた様子の
「
よく見るとすねから血がしたたっている。イノシシが気になり全く痛みを感じなかった。血を見た
「大丈夫よ、噛まれたのではないからかすり傷よ」
「どうしましょう!出血を止めなくちゃ」
「
「えぇ、立ってみるわ…」
なんとか立ちあがろうしたが足を軽く地面につけるだけで足首に激痛が走った。
「ダメだわ、思ったよりも強く足をくじいているみたい。
「そんな、
「大丈夫よイノシシもどこかに行ってしまったようだし」
その時、遠くから誰かが呼ぶ声が聞こえた。
「
「
名前を呼ぶ声が大きく鮮明になった。
「
「ここです!ここです、助けて下さい!」
「や、山代王さま⁉︎なぜこちらにおいでなのですか⁉︎」
「二人とも無事か⁉︎」
「あっ、いえ、
「なんだと?血が出ているではないか!
「え、えぇ、痛っ…」
立ちあがろうとしたが、やはり足首に激痛を感じしゃがみこんだ。傷は思ったよりも深いらしく、ズキンズキンと熱く痛みだした。
「その足では無理だな、私が抱えていくゆえ案ずるな」
山代王はそう言うと、ひょいっと私の体を持ち上げ抱えて歩きだした。顔から火が出るほど恥ずかしかった。お姫様だっこなど生涯された事はない。
「や、山代王様、いけません。誰かが見たら何と言うか、、」
慌てて言ったが、山代王は涼しい顔のまま答えた。
「何がまずいのだ、そなたイノシシの餌になりたいのか?さぁ急いで馬の所まで戻ろう」
意地悪そうに笑った山代王の顔はあどけない少年のようだった。そうだった。まだこの青年は二十歳少し過ぎたくらいだった。私は恥ずかしくて顔を覆った。
なんて事になってしまったのだろう。山代王様のお陰で助かったけど、彼に大変な迷惑をかけてしまった。心底間抜けな自分が情けない…
でも何故山代王様は、私達の居場所がわかったのだろうか?一見華奢な体に見えるが、どこからその力を出せるのだろうか?…
チラチラと彼の顔を見上げながらそんな事を考えている間に、馬までたどり着いた。馬の側には昨日会った山代王側近の
「若様、無事二人を見つけだされたのですね、安心しました」
中年の男がため息をつき言った。
「二人を屋敷まで送ってゆく」
「承知しました」
今度は
見上げた空はさらに暗くなり今にも雨が降りだしそうだ。遠くでゴロゴロと雷のなる音も聞こえはじめた。それでもなんとか雨が降り出す前に
「山代王様、本当に助かりました。命の恩人です。何と言ってお礼をすれば良いかわかりません、このご恩は必ずお返しいたします」
私は感謝の気持ちを伝え静かに頭を下げた。
「気にせずともよい。二人とも無事で良かった。それよりも早く部屋に戻り傷の手当てをした方がいい」
「誠に申し訳ありません」
私はもう一度謝ったものの、申し訳ない気持ちとこんな騒動を引き起こしてしまった自分が情けなくて落ち込んでいた。
「酔い潰れた皆の為に葛花を採りに行ったと聞いた、気を使わせてしまったな」
「いえ、そんな…」
「ではそなたの作る葛花の煎じ薬を待っていよう」
「はい、出来次第すぐにお屋敷にお届けします」
「では、またな」
山代王が馬にさっとまたがった。
「えっ?もう、戻られるのですか?熱いお茶をご用意いたしますので、少しお休みになられたら…」
「いや、
「お待ち下さい!
何も出来ないと知りつつも、思わず余計な口をきいてしまった。
「風邪をこじらせてしまったのかもしれません、先ほどの山で葛根もいくつか採ってきましたので医官様にお渡し下さい。少しは役立つかもしれません。
「はい、よいしょっと、、」
「すまぬな、きっと役に立つであろう」
山代王が優しく答えた。
「あれっ、
「え?」
髪を触るとさっきまでつけていた髪飾りがない。
「やだ、どうしよう、落としたのかしら…山に戻らなくては…」
山代王の前なのをすっかり忘れて動揺してしまった。さっき大事なものだと話していたばかりなのに…
「
「あぁ、それが、髪飾りをなくしてしまったようです…でも心配いりません、もう一度山に行き探してまいります。落としたであろう場所はなんとなく想像がつきますので、大丈夫でございます。山代王様は
慌てて弁明したが時すでに遅しだった。
「しかし、そんな足では無理であろう、せっかくそなたを見つけ助け出したのが無駄になる。大事な品なのか?」
仕方ないので正直にこくんと頷いた。
「私が探しに行くゆえそなたは屋敷で待っていなさい。
「はっ」
「山代王様、いけません。私なら本当に大丈夫です。一人で探しに行けますので、どうかお屋敷にお戻り下さい」
思わず口を滑らせてしまった事を悔やみながら必死に説得したが、山代王は優しくこちらを見て馬にまたがると、
行ってしまった…
「
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