公爵令嬢と使い魔②

 私の婚約者アルフレッドは、ベルナンディ大公家の直系長子だ。そして私ことイザベラ・スカーレットは、将来の大公妃となるはずだった。だが、どうやら悪夢によると、アルフレッド直々に婚約破棄をされるらしい。

 イザベラとなり早十数年。コントロールできない悪夢に苛まれながら、スカーレット公爵令嬢として、将来の大公妃として相応しくあろうと努力してきた。

 ……それも全部無駄だったのかと思うと、張り詰めていた緊張が緩んだ。


「イザベラ」


 ふわりと、甘い香りに包まれる。

 ベルに抱きしめられたのだ。


「よく頑張ったね。ひとりで抱えこんで、辛かっただろ。俺に教えてくれてありがとう。大丈夫だよ、俺はイザベラから離れないから」


 ベルは迷子の幼児へ接するみたいに、柔らかく優しい声で私を慰めてくれる。ぎゅうと、抱きしめる腕に力が入った。

 常日頃から「俺は決して離れないよ」「イザベラを離さないから」と言うベルは、寝る間も惜しんで努力していた私を一番近くで見ている。

 勉強している最中に寝落ちしてしまえば、ベッドまで運んでくれた。ベルナンディ大公家の歴史や類縁関係について、根を詰めて学んでいれば、「そろそろ休憩しよう」と紅茶を入れてくれるのだ。

 私を最も理解しているのは、父でもアルフレッドでもなく、使い魔のベルだと自信を持って言える。


「人の心は移ろいやすいからね。子供の時に、それも親同士が決めた婚約なんて、あってないようなモノさ。俺は人ではないから、移ろう心なんて持ち合わせていないケド」


「それでも」と、ベルが言葉を続けた。


「イザベラお嬢様が『アルフレッド・ベルナンディ大公令息』を望むなら、この俺に“取ってこい”を命じておくれ。俺は優秀で従順な使い魔だ。イザベラが望むままに、ご所望の品を献上しよう」


 中毒性のある薬物のような甘い声に、ゾクリと腰が痺れた。


「イザベラが望むことなら、なんだって叶えてあげるよ」


 じわじわと侵食する毒に、顔が熱くなる。情愛を交わす恋人同士のような距離感だ。

 熱のこもった眼差しに気づかないふりをして、悪魔の甘言に私は首を横に振った。


「ベルが手を出す必要はないわ。だから、アルフレッド様には何もしないで」

「……ふぅん。ア、そぉ。イザベラお嬢様がそれでいいなら、俺は“何も”しないさ」


 パッと離れて笑うベルに、安堵の息を吐く。

 ベルは--ヴェリアルは、悪魔だ。

 私の前ではにこにこと穏やかで優しい使い魔でいるが、ヴェリアルにとって人間は、道端に転がる石コロと同列だ。

「取ってこい」を命じれば、どんな形であれ、アルフレッドを取ってくるだろう。その結果が、生きているのか死んでいるのかはわからないし、アルフレッドの形をした別のナニカになっているかもしれない。姿形を保っていたら、良いほうだろう。


「本当にただの悪夢という可能性だってあるわ。これまでに私が見た予知夢は、もっと悲惨で、凄惨だった。だから、ベルに言うべきか悩んでいたの」


 世のお嬢様なら、婚約破棄は十分悪夢だろう。

 現代社会に生きていた私にしてみれば、婚約だなんて現実味がなく、悪夢を見た時もそうショックは受けなかった。……はずなのだけど、それは私の強がりだったみたい。


「大公令息のこと、そんなに好きだった?」

「愛していたとか、恋しい人だったとか、そんなことを言うつもりはないわ。これまでの努力が無駄になるのが嫌なの。それに、大公家から婚約破棄をされたら、スカーレットの名に泥を塗ることになってしまうわ」


 婚約破棄よりも、その後のことを考えて、私の気持ちは沈んでいた。父に、周囲に落胆されることが、酷く恐ろしいのだ。


「俺がいるのだから、別にいいだろ」

「え?」

「勝手に落胆して、離れていくような人間なんて気にする必要ない。何があってもイザベラのそばには俺がいるんだから。……それとも、イザベラお嬢様は、俺よりもお父様のほうがいい?」



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