白薔薇の乙女は悪魔の腕に抱かれて眠る
白霧 雪。
第1章 白薔薇のお嬢様と漆黒の使い魔
公爵令嬢と使い魔①
「俺のイザベラお嬢様、ようやく堕ちてきてくれた。ずっと、ずっと、ずぅっと、待ってたんだ。俺と同じ場所まで、白薔薇の貴女が堕ちてくるのを」
嫣然と笑う悪魔に、私は言葉なく漠然とした。
どうしてこんなことになってしまったのか、いくら考えたところで答えは出ない。
悪魔を--ヴェリアルを呼び出した時から、私の運命はおかしくなっていたのだろう。
「愛しているよ。俺だけのお嬢様」
私は独りが嫌で、ただお友達が欲しいだけだったのに。
「イザベラの肉体も、精神も、魂も、全部俺のモノだから」
彫刻のような美貌に浮かべた笑みは、愉悦と恍惚に満ちていた。
気高い白薔薇は地に落ちる瞬間を待ち望んでいた悪魔は、心底嬉しいという感情をあらわにする。
並々ならぬ執着を隠し持っていた悪魔は、抑えきれない感情のまま、私に口付けを落とした。
◆ ◆ ◆
幸せが壊れる夢を見る。
イザベラ・スカーレットは、未来を予知するチカラがあった。それも、悲惨で凄惨な未来だけを予知するチカラだ。
現代社会に生きる一般社会人だった私は、交通事故に遭い、目が覚めると幼い公爵令嬢になっていた。
魔法や魔物が存在し、中世ヨーロッパを思わせるファンタジーな世界観に、夢を見ているのだと信じて疑わなかった。
料理を食べれば味がして、花をかおれば匂いがする。転べば怪我をして血が出て、痛みを感じた。
--これが夢でなく、現実なのだと自覚したのは、イザベラの母が事故で亡くなる夢を見て、それが実際に起こってしまった時。
招待されたお茶会へ向かう途中、崖から馬車が滑落した。激しい衝撃のあと、鼻をつく血のにおいと体温を失っていく母の身体に恐怖した。夢で見て知っていたはずなのに。私が何か行動していれば、母は死ななかったかもしれないのに。
全身を打ちつけた痛みと死の恐怖に、これは夢ではないのだと認めざるを得なかった。
「物憂げな表情も素敵だね、イザベラお嬢様」
目と鼻の先に、甘やかな笑みを浮かべた顔が現れる。
滑らかな白い肌に、ピョンピョンと跳ねた柔らかな黒髪が影を落とした。
高い鼻梁に怜悧な目元、薄い唇は弧を描いている。甘いマスクは世の女たちが放っておかないだろう。血のように赤いザクロの瞳には、物憂げな表情の美少女が映っていた。
「ベル、近いわ。離れてちょうだい」
「おっと、ゴメンね」
口先だけで謝る使い魔のベル--ヴェリアルは、悪夢を見て錯乱する私が子供の頃に呼び出した悪魔だ。
私より頭ふたつ分以上高い背に、軍服のような漆黒の装束を着こなしている。その背中からは、天使の羽を思わせる二対の黒翼が生えていた。
鋭く尖った黒い爪が、薄紅に染まったまろい頬を撫でる。瞳孔が縦に割れた紅眼が笑みに眇められた。獲物を見定める獣のようだが、ベルが最新の注意を払って、私を傷つけないようにしていることを知っている。
私たちがいるのは、学園の北側にある「妖精庭園」のガゼボ。周囲にはベルが人避けの魔法を施しており、放課後にもかかわらず、世界には私とベルしかいないのかと思うほど静かだ。
私が通うエリザベスハウス・スクール--通称「貴族学園」は、上流階級の子爵令嬢が通う寄宿学校である。王都西郊にいちし、広大な敷地にはゴシック洋式の校舎や礼拝堂、劇場など、荘厳な建造物が軒を並べている。
公爵令嬢の私は、学園の中でも上位クラスのカーストに所属していた。そしてこのガゼボは、私専用のサロンとして与えられた場所だ。
「それで?」
「え?」
「その表情の原因。何か心配事があるんだろ? それとも、また悪い夢を見た?」
潜められた低い声が、耳元で囁かれる。
「だから、いちいち近いのよ」
近いと言っているのに、私の横にピッタリとくっついて座っている。離れる気がないベルに溜め息を吐いた。
真横にある顔面を手で押し除け、遠ざけた。
物心つく頃から一緒にいるとはいえ、ベルの顔が良いせいで、変にドキドキするのだ。
不規則に脈打つ心臓を落ち着かせて、風に揺れる花々を見る。キラキラと光る粉を振り撒きながら、花々の間を妖精が飛んでいた。
「悪い夢なのかしら……」
昨夜に見た夢の内容を思い出しながら、ぼんやりと呟く。
「悪夢ではなかったのかい?」
「……いいえ、やっぱり悪い夢だわ。私ね、アルフレッド様に婚約破棄を言い渡されるみたい」
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