お父さん、今日はサボります。

花 千世子

お父さん、今日はサボります。

「結婚なんか絶対に許さん!」


 父の言葉が、一瞬、何を意味しているのかわからなかった。

 テーブルを隔てた向かい側の席では、婚約者の啓哉けいやとその両親がぽかんと口を開いて父を見ている。

 その瞬間、私はようやく悟った。

 私は間違っていたんだ。

 ううん、根本的に間違っていたのは、私ではないのだけど。

 そもそも、『彼』を選んだことそのものが間違っていた。

 そんなふうに、あれこれと考えても、もう遅い。


 バカみたいに高級なホテル内のレストラン。

 ここで私はもう後戻りできずにいる。

 私たちのいるテーブルだけがしんと静まり返っていた。


「あの、紗智さちさん」


 沈黙を破ったのは、啓哉のお母さんだった。


「はい」

「あなたのお父さんは、結婚を大賛成してくれているって聞いたけれど……」


 そう言って啓哉のお母さんはチラチラと私の父を見る。

 ええ、もともとそういう筋書きだったし、そのつもりでした。

 あれほどたっぷりと父と話し合ったのに!

 なのに、結婚んか絶対に許さん?

 そんなの打ち合わせにないじゃない!

 私がイライラしながら父を見ると、怒ったように窓の外に視線を向けている。


 こんな『指定』を私は一切、していない。

 じゃあ、これは父のアドリブなんだな。

 でも、なんでこんなアドリブを?

 もしや、ドラマチックな演出をしてくれているのか?

 ああ、きっとそうだ!

 私はにっこり、と笑顔をつくってこう言う。


「賛成してくれていますよ。ちょっとその、父はたまにこういう冗談を言う人でして」


 私はそこまで一気に言うと「ねえ」と隣の席の父を見る。

 父は大真面目な顔で、頭を左右に振った。

 それから、ハッキリとこう言う。


「俺は、お前たちの結婚には絶対に賛成できん」

「どうしてですか?」


 そう言って立ち上がったのは、啓哉だった。

 ガタン、とテーブルが揺れて、コーヒーがこぼれる。

 スーツにコーヒーのシミができるのもおかまいなしに啓哉は続けた。


「僕は紗智さんと結婚したいんです!」


 真剣な眼差しで父を見て、それから私のほうを見る。

 一瞬、視線をそらしかけたけど、私は啓哉を見て微笑んだ。


「ダメだ」


 父は低い声でそう言うと、啓哉を見て続ける。


「うちの娘はやめておけ……っいってえ!」


 テーブルの下で思いきり父の足を踏んでやりました。



 この後、涙ながらに『ねえ、こんなに愛し合っているのにどうして認めてくれないの?』と演技をしようかと思ったけれど。


「今日のところは、帰ろう。紗智さんのお父さんも寂しいのだろう」


 そんな啓哉のお父さんの声を合図にするかのように、啓哉一家の三人はレストランを後にした。

 ちらっと一度だけ振り返った啓哉の顔は、とても寂しそうだった。



「話が違いますよね?」


 父と二人きりになるが早いか、私はその胸倉をつかむ勢いで詰め寄る。


「なんのこと?」

「とぼけないでくださいよ、山田やまださん」


 父――いや、山田さんは、呑気にコーヒーを啜っていた。


「いやー。やっぱこういう高っいホテルのコーヒーってうまいよなー」

「私はあなたのせいで、コーヒーの味なんかわからなかったんですよ?」

「ん? なんだ鼻づまりかあ?」


 山田さんはそう言って「夏に風邪ひくのはバカなんだぞ」と楽しそうに笑う。

 殴ってやろうか、グーで。

 私が拳に力を込めながら、無邪気に笑う四十五歳のおじさんを見る。

 山田さんは、お父さんではない。


「私はわざわざ、お金を払ったんですよ。それなのになんで言った通りにやってくれないんですか?」

「『紗智との結婚、大賛成なんですよ』ってやつ?」

「そうです、打ち合わせの通りそうしてくれていれば良かったんですよ」

「ってゆーか、両家の顔合わせにお母さんがいないって不自然だよなあ」

「それはまあ、予算の都合で……」


 私が視線をそらすと山田さんは、ため息をついてから、こちらをぎろりと睨んだ。


「紗智ちゃん。あんたさ、あの啓哉君と結婚なんかする気これっぽっちもないでしょ」


 ギクリとしたのが、山田さんにも伝わったのだろう。

 山田さんは得意気に続ける。


「つーかまあ、考えりゃすぐにわかるよな」

「なにがですか?」

「婚約者との両親の初顔を合わせに、よりにもよって父親代行業者で俺を父親として呼ぶだなんて」

「それはその、私は両親と不仲で……」

「昨日の打ち合わせで、あんた両親と伊豆の旅行の話で盛り上がってただろ」

「勝手に人の電話聞かないでくださいよ!」


 そう言ってから周囲の鋭い視線に、私はハッと口に手を当てる。

 それから声のトーンを落として続けた。


「婚約者に本当の両親を会わせないからって理由で、あなたは約束とは違う振る舞いをしたってことなんですか?」

「きな臭いにも程があるんだよ」


 山田さんはテーブルを指でコツコツと叩いてから、こちらをぎろりと睨む。


「あんたさあ、啓哉君を騙す気なんだろ?」

「は?」

「俺は父親代行業はするけど、結婚詐欺の片棒は担ぐ気はねえぞ」

「違いますよ!」


 そう言った私は、無意識のうちに立ち上がっていた。

 周囲の視線がさらに痛い。

 山田さんは「やれやれ」と呟いて、こう提案してくる。


「ここの中庭でも散歩するか」



 ホテルの中庭はバラのアーチに噴水、それにトピアリーと、まるで西洋のお屋敷のようだった。

 ふと啓哉の寂しそうな背中がよみがえる。

 私は頭をぶんぶんと振って、それを追いだす。

 山田さんは、やけにオシャレなベンチに腰掛け、それからおもむろに口を開いた。


「結婚詐欺じゃなきゃなんだよ」

「復讐です」

「復讐って……」


 山田さんが「おっかねえなあ」と小さな目を見開くので、私は観念して白状することにした。


「啓哉は、アイツは、小学校6年の時に私をイジメてきたんです」

「ほお」

「休み時間にいちいちからかわれて、『ブス』だの『近寄るな』だの言われて、ノートやペンケースをアイツに盗まれたこともありました」

「ふんふん」

「アイツのせいで、私は暗黒の青春時代を送ったんです」


 勢いのついた私は、山田さんに過去を淡々と語っていた。



 だから私は高校卒業と同時にダイエットして、化粧も覚えて、とにかく変わった。

 きれいになったね、と周りから言われるようになり、暗黒の青春時代なんて忘れていたのだ。

 だけど25歳の春。

 とあるSNSのオフ会に参加をしたら、いたのだ。

 啓哉が。

 私の青春を台無しにした男が、オフ会にいて、しかも私のことなんてまるで覚えてない様子。

 本名を告げても、無反応だった。

 そして、挙句の果てにオフ会の後で、私に告白してきたのだ。

 だから、その告白を利用してやろうと思った。

 啓哉は結婚願望が強いと聞いて、それじゃあ結婚前提に付き合ったフリして、それで結婚式当日に逃げてやろうって。

 そうしたら、アイツにも、深い心の傷ができるだろう。

 いい気味だと思って心がスカッとするんだろうなって。


「あのさ、おじさん思うんだけどさ」


 山田さんが突然、口を開いた。


「なんですか」

「啓哉君って、紗智ちゃんのこと好きだよね」

「そりゃあ、私に今、復讐のために騙されているとは知りませんからね」

「そうじゃなくて。小学校の時からずっと、好きだったんだよ」


 私が黙りこむと、山田さんは続ける。


「ほら、イジメることでしか愛情表現できないガキっているだろ。それだよ」

「いくら好きだったとしても、その後、私は別の男子にもイジメられて、暗黒の中学時代に進んだんですよ」

「中学でイジメてきたのは啓哉君じゃないんだろ?」

「違いますけど、アイツが原因を作ったもの同然です」

「高校も啓哉君と一緒だったの?」

「まさか! 高校は女子校でした。そこでもイジメられましたが」

「それも啓哉君が関わってるのか?」


 私が黙りこむと、山田さんは呆れたように笑う。


「それはもうさ、啓哉君のせいじゃなくね?」


 山田さんの言葉に、私はムッとしてこう言い返す。


「小学校でアイツにいじめられたせいで、私は自信を失って、それで高校でもぼっちだったんです」

「うーーーーーん」


 山田さんは唸るようにそう言ってから、細く長いため息をついた。

 それから、雲一つない青い空を見上げて「じゃあさ」と切り出す。


「そんな恨んでる奴と結婚前提で付き合って、さぞかし苦痛だっただろ?」


 山田さんの言葉に、私はアイツとのデートや今までの出来事を思い出した。


 いつもアイツは私が行きたいところにデートに連れて行ってくれたっけ。

 あれほしいなーと言えば、どんなに高い物でも買ってくれたな。

 私のために車も買ってくれて、デートの時の送り迎えはもちろん、仕事で遅くなったり、友だちと遊んでいて帰りが遅くなったりしても、迎えに来てきてくれた。

『紗智はかわいいよ』と口癖のように言ってくれて、プロポーズをもしてくれて。


「あれ」


 私はそこでハッと顔を上げる。


「私、もしかしてアイツにものすごい愛されていたのでは?」

「気づくの遅っ!」


 山田さんはまるでコントみたいに、ずっこけてみせた。

 それから、山田さんは座り直してからこう言う。


「啓哉君、俺と話していてもさ、紗智ちゃんのことしか見てないし、紗智ちゃんの話ばっかするし、俺は『相当惚れこんでるな』と気づいたね」

「そう、だったんですか……」


 頭の中で『僕は紗智さんと結婚したいんです!』と言ったアイツの顔がよみがえる。

 本当は、うれしかった。

 そんなふうい思ってくれて。

 付き合ってから、優しく大事にしてくれて幸せだった。

 だから、騙していることが後ろめたくてたまらなかった。

 でも、本当はアイツも、私のことをからかって楽しんでるだけなじゃないか。

 そんなふうに考えることで、自分の気持ちも、誰の気持ちも見ないふりをしてきた。


「こんなの、間違ってますね」


 私の言葉に、山田さんが頷いた。


「本当の両親に、会わせてあげなよ」


 山田さんがそう言って立ち上がった時。


「あ」と彼が言って動きを止めたので、その視線の先を私も追う。

 そこにいたのは、啓哉だった。


「そうか、そういうことだったのか」


 啓哉のその言葉で、彼がすべてを察したのだとわかった。

 自嘲するように笑う啓哉を見ると胸が切り裂かれそうに痛い。


「ごめん。騙してごめん」


 私はそう言って立ち上がり、頭を下げた。


「さよなら」


 私がそれだけ言って立ち去ろうとすると、右腕を掴まれる。


「俺のほうこそ、ごめん」


 啓哉が絞り出すような声で言った。


「イジメて、ごめん。紗智に復讐されてもおかしくないくらい、傷つけたよな」

「もういいの。本当に」

「俺、オフ会で紗智に再会できてうれしかった」

「えっ? じゃあ、最初から私だってわかってて?」


 啓哉は大きく頷くと、勢いをつけるかのように言う。


「そりゃあ、小6の時からずっと好きだったんだからな!」


 真っ赤な顔の啓哉につられて、私まで赤くなる。


「だからその、」


 啓哉は、私の目をまっすぐ見つめたままこう続ける。


「俺と、結婚してくれませんか?」


 差し伸べられた大きな手を、掴まなければいけない気がして。

 私は無意識のうちに啓哉の手を握り、こくりと頷く。


「はい」


 途端に啓哉は顔中で笑い、大きな声でこう言った。


「初恋の女の子と結婚できるなんて俺は世界一……宇宙一の幸せ者だ!」


 すると、こほんとわざとらしい咳払いが聞こえる。


「あのー、幸せを堪能中に悪いんだけどさ」


 山田さんが申し訳なさそうな顔で、私と啓哉を見た。

 私はスマホで時間を確認してそれから思い出す。


「あっ。そうか。代行は2時間で契約したからそろそろ時間か」

「そういうこと。そろそろ戻るよ」

「はい。ありがとうございました」


 私と啓哉が山田さんにお礼を言うと、「幸せになれよ」と短く呟いて歩き出す。

 山田さんの妙にくたびれた背中に向かって、私はこう叫んだ。


「ねえ! 結婚式、来てくれませんか?」

「えー? 代理父として?」


 そう言って振り返った山田さんは、困ったような笑みを浮かべている。

 私はにっこり笑ってから答える。


「違うよ、山田さんを呼びたいの」


 私の言葉に、山田さんは照れたように笑って、それから頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お父さん、今日はサボります。 花 千世子 @hanachoco

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ