第3話 名前を付ければ後戻りはできない

 人里離れた森の奥、趣味で魔法の研究をし続けていきた魔法使いが子供用の服など持っているはずもなく。

 転移で遠くの街に住む友人である冒険者の男を尋ねたアルギスは、思惑通りに拾った少女の衣類を手に入れることに成功した。


「しかし、お前が子育てとは。世も末だな」


「世の末は君の娘たちと解決したけど?」


「例えだよ例え、比喩というやつさ」


「そんなに変かなあ。僕が子育てするのって」


「変。というよりは意外だ。お前は魔法にしか興味がないと思っていたんだがね」


「まあ。確かにそうだけど。なんでなんだろうね。正直僕もよく分かってないんだよ。この子と暮らしてみようと思った理由」


 そう言って、ソファに座っているアルギスは隣で座ってこちらに身を寄せる竜人幼女の角を避け、頭に手をポンと置いた。


 その様子に驚いたように目を見開き、リチャードはメモを書く手を一瞬止める。


「なに?」


「いや? お前がそんな顔で笑っているのを初めてみたんでな」


「え? 僕笑ってた?」


「ああ。笑っていたよ。少し安心した。子供に向かって微笑んでやれるなら、お前もちゃんと親代わりにはなれそうだ」


「大丈夫かな。僕、子育てなんかした事ないけど」


 かつて本当の両親に捨てられ、勇者という天命を背負った娘を立派に育て、現在エルフの妻との間に産まれたハーフエルフの娘を持つ友人から言われ、それでもアルギスは少し不安そうに俯いた。


「弟子は立派に育てたじゃないか。今や新魔王の旦那だ。立派に育てる必要はない。元気で健康に、素直で優しく、子供が少しでも楽しいと思ってくれるように育み、共に暮らす。楽なことではないが。私が知るアルギスという男なら可能なはずだ。ありきたりな言葉だが、頑張れ」


「勇者の父親は言うことが違うねえ。まあ、見捨てるつもりなら、わざわざ転移魔法を使ってまで君を尋ねたりしないさ。せいぜい頑張るよ」

 

 友人であり仲間であり、その昔、弟子だったリチャードの言葉に顔を上げ、ニヤッと笑ったアルギス。

 そんなアルギスにリチャードはメモを数枚まとめて渡した。


「とりあえず、今考えつく限りの事をメモしておいた。あとはそうだな。子育てするなら魔法には頼りすぎない事だ、お前は呼吸するように魔法を使うが、普通は無理だからな」


「その辺りは弟子でよく分かってるよ。でもありがとう。頭には入れておく」


「片隅に追いやるなよ? ところで、その子、名前は?」


「さてね。忘れてるのか知らないのか、聞いても答えてくれないんだ」


「そうか。なら名前はお前が付けないとな。しかし、名前を付ければ後戻りは出来ない。よく、考えるんだ、いいな」


「路地裏で軽々しく勇者ちゃんを拾った奴の言葉だとは思えないねえ」


「おかげで、世界は平和になったがな」


「はっはっは。違いない。さて僕は、僕たちはそろそろ帰るよ」


 言いながら、アルギスは受け取ったメモを畳んでズボンのポケットに入れ、丸めたローブを抱えると少女に向かって手を伸ばした。

 そんなアルギスに手を伸ばし、少女もソファから立ち上がる。


「せっかくだ。晩飯でも食っていけばいいじゃないか。シエラやセレネも喜ぶ」


「それはまた今度かな。まずはこの子の名前を決めないと」


「ふむ。確かにな。分かった、またいつでも尋ねてくれ、出来れば私が死ぬ前にな」


「大丈夫、また来るよ。じゃあねリチャード。元気で」


 言いながら、アルギスはソファに立て掛けていた杖を浮かせ、街に来た時のように浮かせた杖で宙に円を描くと、その円で自宅のリビングに空間を繋げ、自宅のリビングへと足を踏み入れた。


 少しずつ円が縮まり、向こうに見える友人のリチャードの姿が少しずつ見えなくなっていく。

 そんな時だった。

 閉じ切っていない円の向こう、廊下の方から「ただいま父さん」「パパただいまあ!」と、落ち着いた女性の声と、元気な女の子の声が聞こえてきた。


 それに続いて「リック〜ちょっと手伝って〜」と、小さいが、玄関の方から若い女性の声が聞こえてくる。


 どうやらリチャードの家族が帰宅したようだ。


 その声を聞き、アルギスは微笑みを浮かべると、指を鳴らして転移に使った円を閉じて自宅のリビングのソファに向かって歩き出した。


「名前を付ければ後戻りは出来ない、か。確かになあ」


 ローテーブルに子供服を包んだローブを下ろし、少女を抱き上げソファに座らせるアルギス。


 そして、メモを取り出すと本棚から何も書いていない記録用の本を魔法で引き寄せ、その本を宙に浮かせて開き、手に持ったメモのインクを魔法で剥がして本に転写していった。


「よし。これで間違って洗っちゃう事はないな。さて、それじゃあ名前を考えるか。何が良いかなあ。女の子だし可愛い名前が良いよねえ」


 育児メモを転写した本を手に取り小脇に抱え、少女に視線を合わせるようにしゃがみ込むと、アルギスは楽しそうに笑う。


 魔法使いとして長く生きてきた人生で、初めて経験することに、アルギスは感じた事の無い充足感を得ていたのだった。

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