第16話

 王女の暗殺に失敗しておきながら、何のお咎めもなしに王都へ呼ばれた理由がようやく判明した。アルガルが、裏で宰相に口をきいてくれたのだ。


「それにしても、水臭い。騎士になりたいのであれば、俺に相談してくれればよかっただろう?」


「アルガル殿に、ご迷惑をおかけしたくなかったのです」


 身近にアルガルという騎士がいながら、エリシアは我流で剣を覚えた。もちろん目で見たアルガルの動きを真似たりしたが、頼んで教えてもらったことは一度もない。何故か、そういう気持ちになれなかったのも理由のひとつだ。


 エリシアにとっても不思議だった。憧れを抱いているはずの恩人なのに、必要以上の好意を覚えなかった。父親のせいで、男性に気を許せなくなってしまったのだろうか。


 あの男とは何もかも違い、とても魅力的で頼りになる男性なのにな。

 心の中でいつの間にかロミルと比べていたのに気付き、エリシアは軽く驚いた。


「エリシアの頼みなら、迷惑だとは思わんさ。もっと俺を頼ってくれていいんだ」


 そう言うと、アルガルはエリシアの肩にポンと右手を置いた。


「だいぶ鍛えてるみたいだな。とても独学とは思えんよ」


 ビクっとエリシアの肢体が震えた。何を考えているのか、アルガルがいきなり臀部を撫でてきたのだ。


「ア、アルガル殿!? い、一体、何を……」


「筋肉のつきかたを確認してるだけだ。騎士になるためには、鍛え方も重要だからな」


 言われて納得する。騎士として憧れたアルガルが、卑猥な真似をするはずがない。あの男とは違うのだ。


 またしてもロミルの顔を思い浮かべてしまう。長年世話になったアルガルの顔は、家を出てもさほど思い出さなかったのにだ。


 頻繁に考えてしまうのは、サラの件があるからだ。そう思っているうちに、アルガルの手が下の方へ移動していく。


 太腿を撫で擦るように動き、時折柔らかく揉み込んでくる。恥ずかしいが、エリシアのことを考えての行動なのだからと我慢する。


 マッサージするかのようなタッチが内腿まで及ぶ。


 く、うう……さ、さすがに、そろそろ……あ、ああっ、そこは……だ、駄目っ!


 エリシアの心の声が聞こえるはずもないアルガルは、ひたすらに手を動かし続ける。やがて指が太腿の付け根に入り込んできた。


「あっ、あう……ア、アルガル殿……も、もう……け、結構です……!」


「もう少しだから遠慮するな。よし、確認は終わったぞ。尻や太腿の筋肉に弾力が足りないな。力強さだけでなく、しなやかさも必要だぞ」


「は、はいっ。ご指導、ありがとうございました」


 無事にエリシアが騎士になれれば、アルガルは先輩になる。失礼な態度をとるわけにはいかなかった。


 しっかりお礼を言ったエリシアに、様子を黙って見守っていたダーレグが声をかけてくる。


「エリシア殿には陛下も期待しています。今回の任務が終われば、騎士に任命されることでしょう」


 暗殺に失敗しても、騎士になるチャンスはなくならかった。これもアルガルのおかげなのだとしたら、心から感謝しなければならない。


「色々と思うところもあるかもしれませんが、騎士は常に自分の感情よりも国の未来を優先しなければなりません」


 チラリとアルガルを見れば、そのとおりだと頷いていた。


 世界は綺麗ごとばかりではない。厳しい幼少期を過ごしたエリシアだからこそわかる。理解はできるが、感情が納得してくれない。


 何の罪もないと思われる家族を、反逆罪と称して処刑するのは騎士らしいのか?


 国家に忠誠を誓うのは、確かに騎士の本分だ。どのような命令にも従い、国を守る。


「どうした、エリシア。騎士になりたいんだろ? それなら、宰相閣下の命に従え。お前は期待されてるんだ」


 そうだ。余計なことは考えるな。騎士になりたいという気持ちだけを大事にしよう。


「はい。宰相閣下のご指示に従います。その上でひとつ確認しておきたいことがあります」


 エリシアがダーレグに願い出たのは、捕虜にした家族との面会だった。


 ダーレグが呼んだ兵士に案内され、地下牢へ向かう。


 薄暗く湿気の強い石造りの地下牢は、不気味そのものだ。幾つもの牢が並び、いかつい囚人たちが収容されている。


 重犯罪者を入れるために作られた地下牢の一番奥に、家族はいた。父親と母親、それに息子の三人だ。


 名前は聞かなくともわかる。エリシアが予想したとおり、捕らわれたのはエドガーたちだった。


「あっ、エリシアお姉ちゃんだ!」


 エリシアに気づいたディルが、大きな声を上げて指を差す。つられてエドガーとミーシャもこちらを見た。


 家族へ挨拶する前に、案内してくれた兵士にお礼を言って城内へ帰した。


「ねえ、エリシアお姉ちゃん。僕たち、どうして捕まったの。お父さんもお母さんも、悪いことしてないよ!」


 泣き叫ぶディルの顔を見てるだけで、息苦しさを感じるほど胸が痛くなる。


「……すでに聞いているかもしれないが、貴方方は国家反逆罪で捕まったのです。心当たりは?」


 エリシアの問いかけに、悲しそうな表情のエドガーが首を左右に振る。


「そうですか。貴方方を刑に処す際は、私が担当することになりました」


 助けに来てくれたと思っていたのだろう。ディルが、何度も「何を言ってるの?」と聞いてくる。


 エドガーは力なく項垂れるばかりだ。一方で妻のミーシャが顔を上げた。


「私はどうなっても構いません。どうか、ディルだけでも助けてください。お願いします。このとおりです」


 地下牢の中で膝をつき、何度も頭を下げる。途中から、エドガーも一緒になってお願いし始めた。


 何とかしてやりたい気持ちはあるが、騎士になるという目的に捕らわれたエリシアにはなすすべがなかった。


「……私には何の権限もない。すまない」


 そう言ってもエドガー夫妻は諦めてくれない。そのうちにディルが涙を流しながら、もういいよと言った。


「僕、自分だけ助かりたくない。父さんと母さんと一緒がいい。死んじゃったとしても、一緒がいい……!」


 エドガー夫妻も涙を流す。エリシアが見ている前で、三人の家族が絆を確かめるように抱き合う。


 これが犯罪者の姿なのか。断罪しなければならない者たちなのか。


 疑問を抱き、納得できなくとも国家のために任務を遂行する。


 騎士とは一体、何なのだろう。


 最後にもう一度だけ「すまない」と残し、エリシアは地下牢をあとにした。




 王女のサラが城へ戻ってきたのは、それから二日後の朝だった。


 朝から宰相の部屋に呼ばれたエリシアは、話を聞いて愕然とした。


 城へ戻れば殺されるのがわかっていながら、何を考えているのか。ロミルはどうして引き止めなかったのだ。


 心の中の怒りと絶望を悟られないようにしながらも、部屋の中にいるダーレグとアルガルからの話を聞き続ける。


「計算どおりに王女が出頭したのに驚きました。反逆罪で捕らえた者は自分の指示に従っただけ。何の罪もないので釈放しろと言っています」


 愉快そうにダーレグが笑う。


 エドガーたちが捕らえられた事情を理解した上で、サラは城へ帰還したのだ。


 どちらにしても殺されてしまうのなら、罪を一手に引き受けて一家を助けようとしている。


 サラの行動こそが、より騎士らしいのではないか。そんなふうに思ってしまう。


「だからといって、国家反逆罪で捕らえた者を簡単に釈放できないからな。殺しはしないまでも、他のことで役に立ってもらうとしよう」


 含み笑いをするアルガルの姿に、ゾっとした。


 ダーレグも同じ考えのようだ。王女が身代りとなるため戻ってきたのに、まだ罪もない家族を利用するつもりなのか。


 面会した時から大体わかっていたが、エドガーらは罪をでっち上げられて捕らえられたのだ。怒りがこみあげてくる。


「お言葉ですが、これ以上の拘束は無意味です。反発を覚えた王女が、再び脱走する恐れもあります」


「王女には監視役の騎士が数名ついている。隙を見つけて脱出するのは不可能だ。何も問題はない。エリシア、騎士になりたいのであれば、黙って命令に従うんだ」


 国家のためにすべてを捧げるといえば聞こえはいいが、盲目的に従わされてるだけではないのか。


 自らの意思で国家に忠誠を誓うのが騎士のはずだ。それとも、自分が間違っていただけなのか。エリシア自身にも、わからなくなってくる。


「ですが、無駄に命を散らす必要はないと考えます」


「いい加減にしなさい。そう聞き分けがないと、とても騎士には推薦できませんよ」


 不愉快そうにダーレグが顔をしかめた。


「それは……しかし……」


 なおも食い下がろうとするエリシアに、アルガルが諭すような口調で耐えろと言ってきた。


「騎士たる者、どのような事態に直面しようとも狼狽しない強い精神力が必要だ。そして上の者には絶対服従。理不尽に思えるかもしれないが、騎士団の強固な絆はそうして保たれてきた」


 人がいる分だけ、考え方もある。逐一個人に配慮していたら、迅速な対応は不可能だ。アルガルの言い分も理解できた。


 どうしても騎士になりたいとサラ暗殺まで実行しようとしたのだから、黙って命令に従っておくべきなのは間違いない。


 実際にそうしようと思っても、お邪魔した日にディルが見せてくれた笑顔が繰り返し浮かんできては妨害する。


 本当にこれでいいのかと迷いだしたのもあり、真っ直ぐに足を踏み出せない。


「やはり、私には納得できません。王女を殺害すればよいだけなのですから、人質も同然に捕らえた家族は釈放します」


 断言して宰相室をあとにする。


 慌ててアルガルが部屋の外まで追いかけてきた。


「何を考えている。そこまでして、守らなければならない対象か? 冷静になれ」


「私は十分に冷静です。上からの命令が絶対だというのであれば、どうしてアルガル殿は子供だった私を助けてくださったのですか?」


「……任務とは関係なかったからだ。俺の独断で行動できた。今回とは状況が違う」


「なるほど。しかし私は自分の心に嘘をつけません」


「釈放した家族が将来、今回の件を不満に思って、国家への反逆を再度企てる危険性もあるんだぞ」


「……その場合は、私が責任を持って対処します。では、これで失礼します」


 恩人のアルガルの言葉にまで背き、自分は何をやっているのだ。


 これでは騎士になれないかもしれない。幼いころから、アルガルみたいな騎士になりたくて剣を振るってきたのにだ。


「私は約束した。サラに、弱い者を助ける騎士になると。だから、あの家族を助けなければならない」


 ひとり言を呟きながら歩き、地下牢の門番から強引に鍵を奪い取る。


 ザワめく周囲の様子を無視し、真っ直ぐにエドガーたちのいる牢を目指す。


 ディルの泣き腫らした瞳に見つめられる中、エリシアは鍵を開けた。


「疑いが晴れたので、釈放です。帰りの道中、どうかお気をつけて」


「え……あ、ありがとうございますっ!」


 エドガーが深々と頭を下げた。


「か、勝手なことをしてもらっては困る!」


 牢を守る兵士の抗議を無視していると、アルガルも地下牢へやってきた。


 牢にいるのは兵士ばかり。騎士の登場に、誰もがかしこまる。


「構わないから、釈放しろ。宰相閣下の許可は取ってある。彼らは利用されただけにすぎない。黒幕は他にいたのだ」


「く、黒幕ですか?」


 兵士の言葉に、アルガルが頷く。


「そのとおりだ。黒幕の正体はすぐに諸君にも知らされるだろう。したがって、この者たちの釈放には何の問題もない」


「そ、そうでしたか。わかりました。貴女も最初から、そう言ってくださればいいのに」


 騎士のアルガルと知り合いだとわかった途端に、兵士の口調も一変した。


 最初の知り合いで騎士と懇意にしている。傍目には要人にしか見えないだろう。


 エドガーらと牢を出て、王城の外でアルガルと一緒に見送る。


 再び頭を下げた彼らがナスラへ向かって出発すると同時に、隣のアルガルが「次はないぞ」と言ってきた。


「今回は俺が宰相閣下に上手く言っておいた。その代わり、俺の下に入ってもらう。本気で騎士になりたいのであれば、今後は命令に従え」


「わかりました」


 エドガーらは助けたものの、やはり騎士になる夢を捨てきれない。エリシアは隣に立つアルガルに、頭を下げて服従を誓うしかなかった。

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