第7話
アジトとはいっても、自然の洞穴を有効活用しているだけだ。山の木々の中に紛れて存在しているので、外敵には見つかりにくい。
盗賊団の本拠地には相応しいものの、王族の女性を迎え入れるような建物ではなかった。恐縮しっぱなしのエリシアとは対照的に、首領であるロミルはまったく気にしていない。
これだから、あの男は駄目なのだ。エリシアは心の中で何度も愚痴をこぼした。目的を達するのに都合が良かったとはいえ、所属するところを間違えたかもしれない。
とにかくロミルという男は最低だった。戦闘の最中にもかかわらず、敵と戦わずに人のお尻を凝視するのは日常茶飯事。鎧や服が、奴の視線で透けないか心配になるほどだ。
つい先日は、踊り子の真似事までさせられた。売り言葉に買い言葉とはいえ、大切な双乳まで見せてしまった。思い出せば、途端に羞恥と屈辱で全身が震えだす。
もう忘れよう。それより問題は、あの方のことだ。
エリシアが頭の中であの方と呼んだのは、踊り子として働かされたその日に、路地裏で追われていたのを助けた王女のサラだった。
そこまではよかったが、なんと王女はエリシアも所属する盗賊団へ入りたいと言い出した。前代未聞なので反対したが、明確な理由があったので折れるしかなかった。
「一体、どういうことになっているのだ……」
用事があると告げて、エリシアはひとり鉱山町のナスラへやってきていた。サラを救出してすぐに連絡を取った人物と、ここで会う約束になっている。
夏に近づきつつあるので、日差しもだいぶ強烈になった。頭上で熱を放つ太陽の光を遮ろうと、左手を目の上に置く。
小声で何者かに話しかけられたのは、その直後だった。
「お前がエリシアか」
「……そうだ。本来なら人に名を尋ねる前に、自分から名乗るものだと思うがな」
「それは失礼した。あの方の使いなものでな。おおっぴらに関係者だと公言するわけにもいかぬのだ。非礼は詫びるゆえ、ついてまいられよ」
わかったと返事をする。改めて声をかけてきた男を見る。
身長はエリシアよりも低いだろうか。声の感じで、ある程度の年齢を重ねた男性だというのは想像がつく。
黒いマントで全身を包んでいるのが、男の不気味さを際立たせる。加えて顔が確認できないほどフードを深くかぶっているので、外見からどのような人間か判断するのは不可能だった。
男の背中を追いかけること数分。町の郊外に、一台の馬車がとまっているのが見えた。側には案内してくれた男と同じ服装の人物が、二人ほど立っている。
ここまで連れてきたマント姿の男が、まずはドアをノックする。ゆっくり開かれるのを見てから、エリシアの方へ向き直る。
「中に入っていただきたい」
「……わかった」
本来なら密会みたいな真似事を好まないのだが、相手には立場があるので仕方ない。
マント姿の男は同席しない。他の連中と一緒に、馬車の外で見張りをするみたいだった。人が来なさそうな目立たない場所ではあるものの、警戒を怠るわけにはいかないのだろう。
馬車の中に入る。初老の男がひとり座っていた。正面の席に座るよう促されたエリシアは、一礼してから従った。
外に残った男がドアを閉める。密室となった馬車の中で、初老の男にもう一度、深々と頭を下げる。
「お久しぶりです、ダーレグ宰相閣下」
馬車の中なので礼を尽くすのは難しいが、それでも敬いの態度を見せる必要がある。名を口にしたとおり、エリシアの正面に座っているのはこの国の宰相なのだ。
「そうですな。エリシア殿にお願い事をして以来ですか。それにしても、報告を受けた時は驚きましたよ」
王女が盗賊の仲間入りをしたのだから、もっと困ってるかと思いきや、そんな感じはない。逆にダーレグは愉快そうにする。
「このまま王女様を、盗賊団に所属させておくのですか?」
「もちろんです。むしろ好都合ですからな」
「好都合?」
エリシアは眉をひそめた。王女が盗賊で都合がいいことなど、あるのだろうか。首を傾げたくなる。
「わけがわからないといった顔ですな。無理もありません。ですが、こういえば理解できるでしょうか。先日、貴女が王女を救う際に倒した我が国の兵士たちは、私の命によって行動していたのです」
とんでもない告白に、思わずエリシアは立ち上がった。
王女より同等か上の立場の人間が、兵士に暗殺を命じた可能性が高い。ロミルはそう言っていたが、まさにそのとおりだったのだ。
「宰相という立場でありながら、一体何を考えているのです。まさか国に反旗を翻すおつもりか!」
「そう興奮なさらないでください。すべては、この国のためなのです」
王女の暗殺が、どうして国のためになるのか。反乱を起こすつもりなのであれば、とても従えない。
その旨を伝えようとした時、馬車のドアがノックされた。外で待機中のマント姿の連中だろうか。
視線を出入口の方へ向ける。こちらの返答を待たずに、外にいる誰かがドアを開いた。
「密談せねばならぬゆえ仕方ないが、さすがに狭いな」
この国の宰相であるダーレグが使っているだけに、馬車は従来のよりもずっと広くて大きい。にもかかわらず狭いと文句を言った男が、のっそりとエリシアの正面に移動する。
代わりにダーレグが立ち上がり、エリシアの隣に腰を下ろした。いきなりやってきた男に、自分の場所を譲ったのだ。
何者だ。訝しげに見つめると同時に、驚愕でエリシアは全身を硬直させた。
「まさか……へ、陛下!?」
目の前に現れた男は、なんとムルカの国王ベルサリトその人だった。剣の腕を見込まれて宰相との繋がりを持ててはいたが、よもやこれだけ近くで国王と対面できるとは。予想外の展開にパニくりながらも、慌てて敬礼の姿勢をとろうとする。
「よい。狭い馬車の中でまで、敬礼をする必要はない」
右手で動きを制されたエリシアは、それでも立ったまま背すじを伸ばして「はっ!」と返事をする。幼い頃より騎士を目指して剣を振ってきたエリシアにとって、国王陛下というのは絶対の存在だった。
「目の前で立ち続けられても敵わん。許可するから、ダーレグの隣に座っておれ」
国の象徴でもある王様の命令だ。騎士であれば、絶対服従する。それこそが、忠誠の証となる。
失礼しますと頭を下げてから、命令どおりにダーレグの隣に座る。
「ダーレグから話は聞いておる。ずいぶんと剣の腕が立つらしいではないか。名は、何だったか」
「はっ! エリシアと申します、陛下。お褒めの言葉を頂けるとは、身に余る光栄でございます!」
「そうかしこまる必要はない。余はお前に期待をしておる。命を賭して働いてくれるのをな」
「もちろんです。我が身は国に捧げたも同然。陛下直々のご命令であれば、いかなる任務であろうと死力を尽くし、達成してご覧にいれてみせます!」
「フフ。頼もしいではないか。では、そんなお前に命令をくれてやろう。王女、つまりは我が娘を暗殺せよ」
衝撃的すぎる命令だった。どこの国に、自分の娘の命を奪いたがる親がいるのか。信じられずに、エリシアは呆然としてしまう。
「どうした。余の命令が聞けぬというのか」
威圧感たっぷりの視線に射抜かれ、身動きひとつ取れなくなる。ロミルと比べても身長は高い。痩せ形ではあるものの、弱々しい感じはしない。
王家の貫録とでもいうのか、身に纏うオーラは常人とまったく違う。ベルサリトに踊り子をやれと命令されれば、いかに恥ずかしい恰好をするはめになろうとも、従ってしまいそうだ。
「も、申し訳ありません。予想していなかった命令でしたので……その……何故に王女様を……」
与えられようとしている任務は、エリシアが恥ずかしいのを我慢すれば済むような内容ではない。せめて理由を知りたかったが、鋭い眼光のベルサリトに睨みつけられてしまう。
「エリシア殿、口を慎みなさい。貴女は黙って、陛下のご命令に従えばよろしいのです」
キツめの口調で注意してきたのは、エリシアの隣に座っている宰相のダーレグだった。
考えてみれば、兵士でもないエリシアが、宰相のダーレグと面会できるだけでも凄いことなのだ。国王陛下に声をかけてもらえた歓喜から、少し舞い上がりすぎていたかもしれない。
申し訳ありませんでしたと、丁寧にベルサリトとダーレグの二人に頭を下げる。騎士たる者、主君の命令であれば、いかなる内容であろうとも忠実に任務を遂行しなければならない。誰に教えられたわけでもない勝手な騎士論だが、エリシアの行動指針みたいなものにもなっていた。
「まあ、よいではないか。詳しい理由は説明できぬが、国の未来のためとだけ教えておこう」
「了解しました。私への任務は、王女様の暗殺でよろしいのですね」
最終確認の意味も含めて質問した。願いが叶うのであれば、今からでも冗談だと言ってほしかった。しかしベルサリトは、当然だと言わんばかりに首を上下に動かした。
「お前には酷な任務であろうが、必ずや成し遂げてくれると信じておる。その暁には、余が直々にお前を騎士に任命しようぞ」
ベルサリトの口から発せられた騎士の単語に、エリシアの瞳が輝く。
「わ、私が騎士にですか? しがない大工のひとり娘にすぎない私が……」
「出自など関係ない。余のため、国のために、己の心を殺してでも任務を遂行できる鋼の意志を持つ者だけが騎士になれるのだ」
最後にそう思わぬかと尋ねられれば、誰よりも大きな声で肯定する。何よりも騎士になりたいエリシアにとって、夢のような話だった。
「今回の件は、余に忠義を尽くす騎士となるための試練ぞ。エリシア、お前なら必ずや乗り越えてくれると信じておる」
話を終えると、ベルサリトは外へいる者へ馬車を降りる旨を告げた。すぐにドアが開かれ、護衛と思われる男が先導する。
厚いカーテンが窓にかけられている馬車内からは、外の景色が見えない。開いたドアから覗けた光景によって、初めて近くにもう一台の馬車があるのに気付けた。恐らくは、ベルサリトが乗ってきたものだろう。確かにダーレグのと比べても大きい。豪華さがないのは、身分が高い人間が乗ってるのを隠すための配慮かもしれない。
「お忍びの行動であるがゆえに、お見送りをする必要はありません。このまま馬車内に残っていてください」
再びエリシアの正面に座り直したダーレグに言われ、視線を彼に移動させる。ドアが閉められ、馬車内で二人だけの状況に戻る。
王女の暗殺に驚いていたせいで気づけなかったが、よく耳を澄ませば馬の走る音が聞こえる。ベルサリトが去ったあとで、ダーレグが任務の補足を行う。
「幸いにして王女は、エリシア殿が所属する盗賊団に加入しました。上手く身を隠したつもりかもしれませんが、逆に仇となりますね」
エリシアは無言で頷いた。
騎士になりたくて家を飛び出し、王都で兵士の採用試験を受けたのは数ヶ月ほど前だった。何のツテもないエリシアは合格できなかったが、剣の腕を見込んだという男に声をかけられた。戸惑ったが、チャンスなら逃すわけにいかない。仮に騙されていたのだとしたら、判明した時点で抵抗すればいい。我流ではあったが、剣技には自信があった。
案内されたのは、王都にある宿屋の一室だった。そこでエリシアを待っていた人物こそ、宰相のダーレグだったのである。類稀な剣の素質があると褒められ、私兵として働いてみないかと誘われた。実績を残せば、国へ兵士としての採用を進言するとも言われた。何のツテもなく試験を落とされたエリシアには、魅力的な提案に聞こえた。
私兵として行う主な任務内容にも興味を覚えた。正式な兵士ではない立場を利用し、街の中へ紛れ込む。普通に生活するなどしながら、反乱分子が発生していないか調べる。とても重要な仕事だとダーレグは言った。
表舞台には出られなくとも、国のために忠義を尽くす。それもまた騎士らしいではないかと、最終的にエリシアはダーレグの申し出を受け入れた。
エリシアがダーレグの私兵だと知っているのは、わずかな関係者のみ。任務に支障が出るかもしれない可能性を考慮して、素性を口外してはならない約束になっている。だからこそダーレグも、エリシアを殿付けで呼んだりする。
「盗賊団として活動中に、敵の手にかかった。盗賊団の首領に乱暴され、脅されて盗賊になった自分を嫌悪して自害した。理由はいくらでも後付けできます。重要なのは確実かつ迅速に、表舞台から王女に退出していただくことです」
ダーレグがいう表舞台というのは、この世界のことになるのだろう。どうして命を狙われるはめになったのかは知らないが、とても哀れに思う。同情しそうになるが、ベルサリトも言っていたとおり、己の感情を押し殺せなければとても騎士など務まらない。
「わかりました。すぐにでも任務にとりかかります。達成したら、その際にまたご報告いたします」
「陛下直々のご命令です。失敗は絶対に許されませんよ。あとは、わかっていると思いますが、今回の任務を絶対に口外しませんように」
了解しましたと返事をして、エリシアは馬車を降りた。表情の見えない男たちが、すぐに交代で馬車へ乗り込む。
話が終われば長居は無用。そう言いたげに馬車が走り出す。
馬の足音が聞こえなくなった頃、エリシアはひとりで来た道を戻る。どのようにして、任務を達成しようか考えながら。
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