第3話

「……よくもひとりで逃げてくれたな。仲間を置き去りにするとは、それでも騎士か!」


 届いてきた声には聞き覚えがある。俺以外に盗賊団へ所属する唯一の人間のものだ。


 すぐに女剣士が姿を現すかと思いきや、やってくるのは怒気を含んだ声ばかりだ。


「こそこそしてどうした。酒場の連中なら、近くにはいないぞ。俺に教えられなくても、お前ならわかってるはずだろ」


「も、問題はそこじゃない! い、急いで逃げてきたせいで、その……くっ……!」


 恥ずかしげな反応で、ロミルはピンときた。あの騒ぎの中、酒場から脱出できても、悠長に着替えてる時間などない。


 要するにエリシアは、今も扇情的な踊り子衣装のままなのだ。


「き、貴様っ! 何をニヤニヤしている。ど、どうして、こちら側へ来ようとする。会話なら、このままでも十分に可能だろう!」


「いやいや。騎士たる者、互いの顔を見て会話をしなければ駄目だぞ」


「そ、それこそ騎士と関係ないっ! や、やめろ……見るな!」


 暗い路地裏へかすかに届く月の光が、魅力的という形容ですら物足りないエリシアの肢体を闇の中に浮かび上がらせる。


 たまらず喉をゴクリと鳴らしてしまうほど、間近で見るエリシアの踊り子衣装は強烈だった。とりわけ女性経験のない年頃の男性には。


 エリシアもロミルと同じ十六歳だが、年齢には不釣り合いな肉体を持っていた。圧倒されすぎて、目を離せなくなる。


「黙って見てないで、笑うなりしたらどうだ! どうせ私には、このような服装は似合わないのだからな」


「そんなことはねえだろ。現に酒場では大人気だったじゃねえか。あのまま最後まで踊ってりゃ、かなりの額のおひねりを貰えただろうに」


 金を稼ぐために、踊り子の仕事を引き受けたのを思い出したのか、わずかにエリシアが顔を俯かせた。


「……言うな。やはり、踊り子というのは最初から無理があったのだ」


「外見的には全然無理じゃなかったけどな」


「ロミルっ! 私をからかって面白いか!」


 冗談ではなかったのだが、踊り子姿の女剣士はからかわれてると思ったようだ。剣士として生きてきたからかはわからないが、どうやら自身の外見的魅力にまったく気づいてないらしい。


「貴様が店を出るのが見えて、慌てて追ってきたせいで服や鎧どころか、剣まで置いてきてしまった。これでは、とても騎士になど……」


 立ったまま落ち込みだした直後、エリシアのお腹から可愛らしい音が鳴った。考えてみれば、彼女もまたロミル同様に三日間は木の実生活を送っていた。腹を空かせていて当然だった。


「腹が減ってりゃ、いい考えも浮かばねえぜ。とりあえず、これでも食えよ」


 布袋から新たにパンを取り出し、エリシアに手渡す。


「心配しなくても、代金はテーブルに置いてきた。お前だって、一応は踊り子としてステージに上がったんだ。前金は受け取ったままでも、罰は当たらねえさ」


 こうでも言っておかないと、騎士だ何だとうるさいエリシアはパンを食べようとしない。多少なら木の実生活もヘルシーでいいかもしれないが、さすがに毎日では辛すぎる。


 エリシア自身も、かなりの空腹を覚えていたようだ。素直にお礼を言って、パンをひと口かじる。素材の味だけでも十分に美味しいらしく、わずかに彼女の頬が緩む。


「ついでに鶏肉とかもあるぞ。さすがに牛のステーキは持ってこられなかったけどな」


「ぎゅ、牛のステーキだと!? 私が恥ずかしい思いをしてる間、お前はそんな贅沢をしていたのか!」


「怒鳴るなよ。口からパンが飛ぶぞ。お前だって、あのまま仕事を終えてりゃ、普通に食事をできてたんだ。牛の特上ステーキだろうとな」


 あれだけ観客が夢中になっていたのだ。最後まで踊っていれば、従来の報酬にボーナスまでついたかもしれない。次のステージも約束されただろう。


 踊り子を目指す女性には願ってもない展開だが、生憎と目の前にいるエリシアは女剣士。性格も硬いので、職業替えをする気は微塵もないはずだ。


 そんな女性が自ら盗賊になりたいと来たのだから、何らかの目的があって当然だった。本人は隠してるつもりでも、上手に嘘をつけないタイプなので丸わかりだ。


 目的の詳細までは知らないが、好きにしてくれればいいと思う。裏切るのも自由だ。細かいことを気にしない性格以上に、人より速く動けるロミルには突然の危機が発生しても回避できる自信があった。


「ある程度の空腹を満たせたなら、アジトへ戻るぞ。ここに隠れていても、いずれは見つかりそうだしな」


 せっかくのショウをぶち壊されたも同然なのだ。店を脱出する際に見た支配人の形相を思い出せば、激怒してると想像するのは容易い。なんとしてもロミルたちを捕らえて前金を回収。その上でタダ働きをさせようと考えてもおかしくない。


「敵へ背を向けろというのか。騎士であれば、絶対に許容できないぞ」


「鎧やらを回収したいのはわかるが、今日はやめとけ。今、出て行っても事態がややこしくなるだけだぞ。前金は使っちまってるし、損害賠償とかいって、貰った分以上の額を請求されるだろうしな」


 騎士だろうが盗賊だろうが、相手からすればステージで暴れた迷惑な人間に変わりはない。ロミルたちが店から逃げたあとで、客から文句もつけられただろうし、酒場の支配人の気持ちも多少はわかる。


「ふ、ふざけるな。しばらくこの服装でいろというのか!? 冗談でもたちが悪すぎる!」


「似合ってるし、いいじゃないか。きっと道行く連中から、次々と求婚されるぞ」


「き、貴様はいつもそうやって……む?」


 恥辱に歪んでいたエリシアの顔が、突然に変った。厳しさを含んだものになり、鋭い目つきで一方を睨みつける。


 酒場の関係者が追ってきたのか。腰掛けていた廃材から、ロミルが立ち上がる。


 腰に携帯しているショートソードに手をかけ、神経を研ぎ澄ませる。


 直後に路地裏の奥から、女性のと思われる小さな悲鳴が聞こえてきた。どうやら、誰かが追われてるようだ。


 内容もわからない揉め事に、下手に首を突っ込むべきではない。何よりロミルは盗賊だ。人助けをする職業ではない。


 だというのに、踊り子姿の女剣士は近くにあった適当な廃材を掴んで駆け出してしまった。明らかに悲鳴がした方へ向かっている。


「おいおい……ま、こうなりそうな予感はしてたけどよ」


 仕方がない。こうなったら助けた相手から、謝礼金をがっぽり貰うとしよう。


 エリシアを追いかける。剣の腕ではとても敵わないが、スピードならロミルが上だ。簡単に女剣士の背中を見つける。


 踊り子の衣装を身に着けたままなので、大きく露出された背中が丸見えだ。透け透けの腰布から覗くビキニのパンツも悩ましい。走るたびに、はみ出している尻肉が魅力的に揺れる。


 クールな盗賊を気取ったところで、ロミルも若い男。興奮が強まれば鼻息も荒くなる。ついつい手で触れたい衝動に駆られる。


 偶然を装って軽くタッチするくらいなら、大丈夫なのではないか。邪な企みをしていると、前方から走ってくる少女の姿が視界に飛び込んできた。どうやら悲鳴を上げたのは、彼女のようだ。


「か弱い少女を追い回して、何をするつもりだ。痴れ者どもめ!」


 立ち止まったエリシアが、声を張り上げた。


 薄い緑色で丈の長い地味めのワンピースに身を包んでいる少女が、勢いよく顔を上げる。助けが来たと思ったのだろう。


 輝いていた瞳がエリシアの姿を捉え、数秒後に小さく首を傾げる。


 少女を追いかけてきたのは、見るからにごろつきと思われる恰好をした三人組の男性だった。


 路地裏の中でも多少開けた場所に、ロミルも含めて六人の人間が顔を合わせた。どのような状況なのか把握するために、それぞれがそれぞれの様子を窺う。


 やがて男たちが、そこそこの距離を全速力で走った影響で、呼吸を荒くして肩を上下させるエリシアを見た。


 男たちのひとりが、ロミルとエリシアを交互に見る。そのうちに合点がいったとばかりに頷いた。


「路地裏でお楽しみだったのか。邪魔をして悪かったが、こちらにも事情がある。おとなしく――」


「――お、お、お楽しみというのは、どういうことだっ! わ、私がそ、そんな女に見えるというのか!」


 目を吊り上げたエリシアが、男の台詞を途中で遮って怒鳴りつける。


 あまりの迫力に驚きつつも、男が今にもこぼれそうなエリシアの胸元を指差した。


「見えるのかって、露出度の高い恰好をした女が、はあはあ言いながら路地裏から男と現れたんだ。誰だって、そう思うんじゃないか」


 正論極まりない男の発言によって、エリシアも自分がどんな状態なのかを思い出したみたいだった。


 慌てて胸元を手で隠したかと思ったら、涙目になりながらも全身から膨大な殺気を放出させる。


「よくも私を辱めてくれたな。この報いは受けてもらうぞ!」


「え、ええっ!? 俺たちは、何もしてないぞ。どうなってるんだよ」

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