第8話


 それにしても、樹里亜さんは随分と「バー」という場所に慣れている様に見える。


「よく来られるのですか?」

「え? ああ、そうね。結構来るかも知れないわね」


 これまた意外だ。私の勝手なイメージで、樹里亜さんは基本的にあまり外出をしなさそうだと思っていた。


「そうなんですね」

「ええ。まぁ、バーの入店の仕方は基本的にどこのお店も普通よ。たまに他のお店と差別化を狙っているお店もあるけど」


「そうなんですね」

「ええ」


 そういえば、何度か入口の近くまで行ったり店員さんに一階で食事した分と合算したいというお客様の会計の引継ぎをする事はあったけど、こうして「お客」として来るのはなんだかんだ言って初めてだ。


「……」


 それにしても、こうして改めてみると……やっぱり「大人な世界」だと感じる。


 さすがに場違い……とまではいかないまでも「本当にここにいていいのかな?」という気持ちに不思議となってしまう。


「……フッ」


 案内された席に座り落ち着きなく辺りをキョロキョロと見渡している時、ふと小さな笑い声が聞こえた。


「?」


 その声に思わずそちらを見ると……マスターの息子さんがこちらを見ていた。


「……何ですか」

「いや、随分と緊張している様に見えたからな」


「それは……この空間に慣れていないだけです」

「……そうか」


 マスターの息子さんはどちらかと言うとクールな人で、少しぶっきらぼうなところがある。


 でも、そのクールな見た目や言動からよく「近寄りがたい」と勘違いされてしまうが、実際に話してみると意外に話しやすい。


「あ、先程はありがとうございました」

「ん? ああ」


 樹里亜さんに話しかけられてようやく気が付いた息子さんは軽く会釈をした。


「すみません。まだ慣れていない事も多く、バーの開くギリギリまで手伝ってもらってしまって……」

「そこは気にしなくていい。今日の仕込みは既に終わっていた。そもそも、このお店のカギは従業員も持っている。最悪俺がいなくてもどうにかはなる様にはしてある」


 申し訳なさそうに言う樹里亜さんに対し、息子さんは何事もなかった様にサラリと答える。


 全く、この人は……もっと愛想というモノがないのだろうか。


「それにしても……」


 チラッと当たれを見渡すと、今日は比較的お客様の流れが穏やかなのか、今のところ私たちしかいない。


「ああ。時間帯にもよるが、いつも今がちょうど一番空いているな。混みだすとしたら……最初に別のお店に行ったその後で……後一か二時間後といったところか」


 私が何を言いたいのか分かったらしく、息子さんは壁にかかった時計をチラッと見て確認しながら答える。


「え。一軒目に行った後にまた飲むんですか」

「そうね。どちらかというと居酒屋とかでみんなと飲んで、後は一人でゆっくりしたい……とかそういう人が多いのかもね」


「な、なるほど」

「まぁ、来る理由は人それぞれだけどな」


 私はまだお酒を飲んだ事がない。


 そもそも年齢的にまだ「飲んではいけない」ので、今目の前にあるのは一階のカフェでも飲めるコーラフロートである。


「……」


 いつかは樹里亜さんたちの言っている事が分かる日が来るのだろうか。


「あまり人と比べる事でもないけどな」

「ええ。飲みたい時に飲む。それでいいのよ」


 息子さんと樹里亜さん二人が私を見る視線が……かなり優しい。それこそ「何も知らない後輩を見守っている」かの様に優しい


「……じゃあ。樹里亜さんは今日飲みたい気分……という事でいいんですよね?」

「!」


 そう言って樹里亜さんの方を見ると……少し驚いた様子だったけど、すぐに「もし酔いつぶれたら……介抱してくれる?」と言っていたずらっぽく笑った。


「だ、大丈夫……だと思います」


 正直、酔っ払いの介抱なんてやった事がないから遠慮がちになちゃったけど、樹里亜さんは「あら、そう」とだけ言って……。


「じゃあ。スクリュードライバーを一つ」


 そう言った樹里亜さんに息子さんもなぜか小さく「フッ」と笑い、すぐに「かしこまりました」と答えて早速オレンジを取り出した。


「……??」


 そんな二人を見比べながら「え、私……今何か間違えた? 面白い事なんて言った覚えなんてないけど」と頭に「?」を浮かべたのはここだけの話である。

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