第9話

深く沈み、静かな夜風だけが耳元をかすめる。無言の3人は足音を消し、

息を潜め、獲物を狙う獣のように進んでいる。


「あそこです。」

朽ちた寺の門を見上げながら百合がそう言うと、頷いた静香は本堂の裏手に、

小太郎は本堂に近い木に向かっていった。


静香は本堂の背後に回り、一番朽ちた場所を探すため、手のひらでなぞるように

ゆっくり歩くと、すぐにもろくなった部分を見つけ、そこが狙い目だと

判断した。


小太郎は本堂に一番近い太めの木を選び、屋根に上る準備を整えた。

そして百合が、

「お咲や~、そこにいるのかい?お咲~」

と呼ぶ声が響いた瞬間、小太郎は身軽に木を蹴り、一気に屋根へと飛び移った。


「お咲や~、そこにいるのかい?お咲、お願いだからこたえておくれ~。」


百合の声は震え、必死に呼び続けた。静香は一瞬、これが本当に演技なのかと

錯覚するほどだった。


すると、本堂の中から油断して一人外へと出てくる気配を見せた。


「はぁ~、今度はなんだぁ?」

お咲を刺そうとした男が、ひょこひょこ外に出てきた。


静香はその声を聞いて、

-- 派手に建物をぶち壊すと言えば、建物解体現場の鉄球よね! --

と体を丸め熱を溜め始めた。


外の様子が気になった張志明が、入り口付近に出てきた瞬間だった。

屋根の上から「ピィーッ、ピィー」と鷹の鳴き声がした。


それを合図に静香は、猛烈に建物にぶち当たった。

「ドッシャーン、バキバキバキーッ!」


全員が振り返った。

百合と小太郎でさえ一瞬体が止まった。


屋根から飛び降りた小太郎は、張志明の後ろに立ち、羽交い絞めにし

血流を止め、あっという間に気絶させた。


百合も後ろから敵の脇の下を強烈に蹴り上げ、回転してきた顔の顎をめがけ

渾身の一撃を食らわせ、気を失わせた。


静香は爆発音と共に突撃後、勢い余って巨大な仏像に当たった。

「ゴーン!」

鋳物で出来ているであろう仏様は、轟音と共に六と一緒にいたお咲に向かって

傾き始めた。

「ぎやぁぁー!」この世の恐怖を全て感じたお咲の叫びと、

「ひぇぇぇー!」とんだ仕事を受けてしまった六の落胆が響く。


もう一人の敵は、恐怖で逃げようとしたが、静香は倒れかけた仏像の頭に

手をかけ、反時計回りに力を加えた。その動きに合わせて、体をひねりながら

回転し、自らがまるで回転する手裏剣のように相手の延髄に鋭い蹴りを放った。

敵はそのまま床に崩れ落ち、仏像も間一髪でお咲のすぐ横に倒れ込んだ。


口をあんぐりと開け、腰を抜かした様子のお咲に向かって静香は駆け寄り、

「よく頑張ったね。お咲!」

と優しく声をかけると、

「姉様ぁ~」

と我慢していた感情が一気に溢れ出て、泣きながら静香に抱きついた。


「姉さん、忍にしちゃあ派手過ぎますぜぇ!」

と、こちらも後ろ手に静香を見上げる六が文句を言った。


すると、泣いていたお咲が急に真顔になり

「姉様!この男知っているんですか?」

と驚きの様子でそう言うと、


「しっ!奴らがいつ目を覚ますか分からないから、手短に。」

中に入ってきた百合がそう声をかけると、小太郎も後ろで頷いた。


「こいつは、下っ引の六。」

百合が静香にお咲に耳打ちする。


「寝返って、この一味に加わったのか?」

小太郎が嫌味たっぷりに問いかける。


「滅相もねぇ、旦那。江戸じゃ、阿片がじわじわと広がってやがる。

 こちとら、そいつを探るために潜り込んでるんでさぁ。」

疑念を払うために六が言葉をつづけた。


「それなら、私たちが行った要塞みたいな場所も誰か潜入しているのかしら?」

静香が尋ねる。


「そんなすげぇ場所ですと、"焔影一族"かもしれねぇですぜ?」

六がそう言うと、


「焔影一族?」小太郎と静香が同時に呟いた。


「へい、奴らが張志明に阿片を流している元締めで、だいぶ腕が立つ

 者もいるようで、素人じゃあ太刀打ちできねぇって話でさぁ。」


「そういえば、張志明がお咲を『エンエキ、ウル』と…」

百合が思い出しながらそう言う。


「いや、それ驚きやした。まさか、人買いまで手を出しているとはねぇ。」

六は顔をしかめた。


「あのからおり…、人買いのためだったのか」

静香が顔を曇らせる。


「とにかく長居は無用だ。」

小太郎が全員に目を配り、場を引き締めた。


「同心達には伝えてありやすんで、後は任せておくんなせぇ。

 お咲、役割とはいえすまなかったな。足元には気を付けるんだぞ。」


六の言葉に、お咲は恥ずかしさと未熟さで顔を真っ赤にして、涙目で


「うるさい!何も知らないくせに!」

と言いながら、勢いよくショートフックを放つ。六は顎を引いてそれを

かわそうとしたが、散らばった木片で足を滑らせ、仏様に頭を打ち気を

失ない、浄土に誘われた。


「後は頼むぜぇ、六、足元には気を付けるんだぞ。」

お咲は六の真似をしながら、捨て台詞を吐いた。


静香達は笑いをかみ殺し、本堂を後にした。



目黒の一件もあり、静香は予定より早く訓練所を引き上げたが、

お咲はというと、自ら志願して予定通り特訓を続けることにした。


情報のすり合わせや、今後の方針を話し合うために、千代婆の倉に集まった。


「まず、お前さんたちも知っての通り、阿片が江戸に出回っておる。

 幕府は元締めを探し、問屋、仲買、卸売の荷に目を光らせているんだが、

 相変わらず人手が足りんらしい」


「昼は奉行方が動くが、私らは夜だ。小太郎と半次は吉原へ、お百合とお静は

 人形町に行っておくれ。」

千代婆の指示に、静香は少し理解できずにいると、


「ん?どういう事?」

思わず口を開けた静香に、千代婆は笑いを耐えながら


「お静!まだ寝てんのかい?詳しい事はお百合に聞くんだよ、しっかり頼むよ」


静香は口を閉じ、黙って頷いた。



夕暮れの空が紫色に染まり始める頃、静香と百合は人形町へと向う道を歩いて

いた。静香は並んで歩いている百合に小声で尋ねた。


「なぜ私達が、人形町に行くの?」


百合は含み笑いを漏らしながら、


「江戸の夜と言えば、吉原の花魁と人形町の歌舞伎よね?」


「ああ!歌舞伎は人形町なのね。」


静香は江戸時代の歌舞伎の中心地がここだったとは知らず、少し驚いた。


「吉原は女を入れてくれないのよ。入るには遊女になるしかないのよ。」


百合はわざとらしく溜息をつく。


「はぁ、だから小太郎と半次が吉原で私達が人形町なのね…」


静香が頷くと、空には満月が姿を現し、街を明るく照らし出した。

町は舞台の音や人々の歓声で活気に溢れ、屋台の明かりが通りを照らしていた。

静香は、そんな賑やかな風景を横目に、歩を進めた。


芝居好きな客と勘違いした呼び込みを避けつつ、二人は大きな店に入って、


「樽屋の旦那はまだ、いらっしゃるかい?」


下足番に百合が声をかけると、


「へい、お二階の左手でございやす。」


入り口からすぐの階段を上りつつ、


「ここは芝居茶屋。樽屋の名をお借りして部屋を押さえてあるの。

 昼は同心や岡っ引が客のふりしているから、お勤め交代とすり合わせね。」


百合が小声で静香に伝える。

開け放した部屋の前にくると、奥に上質な着物が似合っていない男が窓際に

座っての外を眺めている。


「おや、馬子にも衣裳とはこのことだね。政五郎さん。」


百合がからかうように言葉を投げかけると、こちらを振り向いた。


静香は以前、町の茶屋で初めて六に声を掛けられたときに、一緒にいた男だと

気が付いた。

百合の言葉を聞かなかったかのように政五郎は


「これを見てくれ。」


渡されたのは、お菓子を入れる紙袋と薬を包む大き目の紙だった。

それぞれ中身はないが、亀の家紋のような印が押されていた。


「亀?」静香が不思議そうに呟く。


「ここ、数日たまに見かけるようになったものだ。何か関りがあるか調べて

 欲しい。」

「私らは、お前さんの駒じゃないけど、岡っ引の頼みとあっちゃ、

 仕様がないね。」


「すまないな。」


と政五郎は短く答え、十手も短刀も持たず大き目の巾着だけ持って、部屋を出て

行った。それを見送った百合が鼻で笑ったのを静香は見逃さなかった。


-- この二人何かあったのかしら?それとも金持ちコスプレが

  全然似合ってなかっただけ? --


などと勘ぐっていると、


「芝居の興行は暮れ七つ半で終わって、町に出る人が増えるから、

 私達も行きましょう。」


-- "暮れ七つ半"って何時ごろかしら? "暮れ"だから夕方ね。

  "七つ半"だから17時30分ってところね。--


静香は適当に解釈したが、当たらずとも遠からず。午後5時頃だ。


芝居茶屋を出ると、興行が終わったにもかかわらず、月がさらに後押し

するように賑わっていた。

芝居小屋にほど近い所に、黒山のような人だかりが出来ていた。


「すごいですね。」静香が眉間に皺を寄せると、

「役者絵ね。新しい絵が入ったのかしら?」

と百合は意外な反応を見せた。

-- あら、いつの時代もアイドル活動はすごい熱気ね。--

「ちょっと見てみましょうか?」静香が百合に微笑むと、

「えっ!お静?…」戸惑いの百合に、

「あそこの男が後ろ手に持っている袋、亀の印でしょ?」

百合より冷静に見ている静香だった。


「おにいさん、それ水飴かい?」と男に百合が尋ねると、

「ん?あのにせがまれてねぇ~」

男の隣で竹筒から棒で引っ掻き、じゅるじゅる吸いながら、娘は錦絵を

キョロキョロ見ている。


「どこで買えるんだい?」男と娘を見ながら、百合はニッコリすると、

「二軒先に棒手振ぼてふりがいるよ。」それを聞いて、

「あの『團十郎』が新作さ。あれにすれば今宵は足を揉んでくれるかも

 しれないねぇ。ありがとよ、旦那。」

百合の言葉に、静香も男も薄笑いで肩を揺らした。


何軒もの屋台が街を賑わす中で、暖簾のれんだけ真新しい店には、

亀の家紋があしらわれているのを静香は見逃さなかった。

少し行った暗い路地に、その棒手振ぼてふりはキセルを吹かし、

座っていた。


静香と百合は頷き、一度道を戻り手前の路地に入って行った。人目を避けると、

着物を裏返し、忍びの装束に変わる。全身を黒尽くめにした二人は、そっと

屋根に上り、下の様子を窺った。


屋根の上から見ると、客が水飴を買っているが、酔っているのか、

なかなか金を出すことが出来ない。続けて後ろから来た客は、それを見ながら

苦笑いしていた。


「へい、いらっしゃい。」

棒手振が客に声をかけると、男は周りを見回し

兎角亀毛とかくきもうをくれ。」

と左手でキツネのサイン、右手でグーを出した。


静香と百合は顔を見合わせた。棒手振は別の桶から紙包みを3つ出し、男に渡す。

男は何度か頷き、何かを確認するように視線を交わしてから、歩き出した。

百合はすぐにその男を追い、月明かりを避け、闇に紛れ消えて行った。


次の客もまた水飴を買い、酔ったような足取りで去っていく。奇抜な着流し

にブーツを履いた男が棒手振に近づき、


「今日は盛況だな。」と話しかけた。

「薬を仕込んだ水飴で、皆さん随分と楽しんでいるねぇ」

と笑うその男に静香は目を見開いた。


棒手振の男は答えようとするが、声がかすれ、呂律も回らず

言葉になっていない。その様子を見て、静香は

-- 売り手も阿片の中毒者か… ミイラ取りがミイラになるとは

  このことね --


ブーツ男が新しい客を案内し始めたので、静香はその後を追った。

百合の微かな香りを感じながら、息を潜めて屋根伝いに走り出した。


芝居小屋の周辺では、まだ明かりが灯り、あちこちで楽しそうな声が

聞こえる。薬を買った客とブーツ男は、しばらく店が並ぶ道を歩いて、

まだ客の声がする茶屋に入って行った。


静香は音を立てぬよう屋根の上から店の斜向かいの火消桶の影で、

その茶屋の様子をうかがった。


-- 茶屋?まさか、何かに混ぜるのかしら? 

  他の客の様子は変じゃないわね。 --


茶の湯煙に紛れ、男二人は警戒し奥にある亀の家紋が入った暖簾をくぐり、

中に消えて行くのが見えた。

静香は「なるほど」と頷き、目にも止まらぬ速さで道を横切り、店横の塀を

2歩で蹴り上がり、茶屋の屋根に上がった。


店の奥は自分が住む長屋と作りが同じだ。店の奥から出たブーツ男は

連れてきた男に、戸が開いている長屋の一室を指さしながら、

何かを説明していた。どうやら客は初めてのようだ。


その時、静香の視界の端で、百合が裏側の影からそっと手を挙げているのが

見えた。静香は微かに安堵の笑みを浮かべ、その方向に身を滑らせた。


「どうやらここ一帯の長屋は、阿片吸引に部屋を又貸ししてるようね。

 そこを見てごらん。」


百合が指し示す部屋の窓から、中を覗くと先ほどの客がブーツ男から

大きな水パイプの使う方法の説明を受けているようだ。


静香は慣れない匂いの中、短く息を吸った。胸の中で不安と恐怖が混じり合い、

手を口に当て、一部始終その男がパイプを使う様子が愉悦に浸るまでを、

ゾッとしながら見ていた。


百合は小声で耳打ちする。


「ここの長屋、実際には阿片を吸わせる箱を貸してるだけみたいね。

 でも、これだけ手が込んでるってことは、どうやら焔影一族の

 連中が絡んでいるのかもしれないわ。あの連中なら、捕まるのは客と棒手振

 だけで、裏で操る自分たちは影に隠れるっていう魂胆があるだろうからね。」


呆れた静香は、肩をすくめ両手を上に向けたが、百合は不思議そうにそれを

見て苦笑いをした。


二人は、他の長屋を調べ始めた。月明かりに照らされた中庭のような広場を

音もなく移動する。

「ここの長屋、全部阿片を吸引する場所になってるのかしら?」

静香が小声で呟く。

「さぁ。でも、部屋ごとに吸引器もあるし、かなりの規模ね。」

百合がそう答えると、話し声が、入ってきた茶屋と裏庭を挟んで対面にある店舗

から聞こえてきた。


体をかがめ、すかさず近寄って聞き耳を立てたが、

「異国人ね。何を言っているのかしら…」

百合の言葉を聞きもせずに、静香はブラックIT企業での記憶が蘇った。

-- ああ、あのイギリス帰りの厭味な先輩がよく口にしていた発音… --

その先輩は「ウォーター」を「ウォッタ」と発音する度に、静香の発音を

からかい、わざと「can't」を「カント」ときれいに言って見せた。

-- 間違いない、これはイギリス英語だ。でも、もう一人は癖が強いな… --


頭を振って気持ちを切り替え、遠ざかる声に合わせ中を覗くと、

静は音もなく息を吸い目を見張った。部屋の中から漂う異国の香りが鼻を突く。

-- この香り…紅茶!ダージリン --

亀のマークが付いた茶箱がいくつも置いてある。そう、

目黒の「焔影一族」のアジトで見た、あの茶箱だった。


「お茶っ葉と海苔のりを扱う店、『亀甲園』っていうようだね。」

百合も同時に見ていたようだ。

「他にも異国文字の袋があったわ。たぶん、支那の茶とエゲレスの茶も

 あるようね。」

漢字ばかりの麻袋と、英語のTEAという文字を見れば静香でも簡単に想像は付く。

「あら、意外と物知りね。」


静香は震えた。とんでもない渦中にいるかもしれないと。

「イギリス・中国・アヘン」の意味することとは?

街の騒ぎどころではない、国を丸ごと乗っ取ろうとするたくらみだ!


静香の顔がみるみる青くなったのを見て、百合が

「この店は、誰かを見張りにつけておく必要があるわね。

 さあ、引き上げるわよ。最後まで気を抜かないで。」

その言葉で腹の底に熱い物を溜め直した静香は、立ち上がり

百合と共に月明かりを避け、闇に消えて行った。



夜も更けた頃、千代婆の倉に静香と百合は戻ってきた。吉原を捜査した小太郎と

半次も既に帰っていて、一同はそれぞれの報告を始める。


「まず、吉原の様子を聞こうかね。」千代婆が口火を切った。

「吉原では、金持ち客が阿片を買い求めているだけじゃない、最近では店にも

 潜り込んでいるらしい。花魁たちも阿片に手を染め始めたという話もあったが

 あそこは巧妙に隠すのが上手いからな。」

小太郎が厳しい表情で告げる。


「こっちも大変なことになってるわ、人形町もそうだった。目黒の焔影一族

 の住処にあった、阿片入り茶箱がいくつもあったわ。」

静香が百合を見て、報告を続ける。

「亀の紋が、人々を阿片に近づけている様子だったわね。」

百合も忌々しげに付け足した。


千代婆が声を上げる。

「焔影一族の真の狙いは一体何だろうねぇ?阿片だけでなく、人買いも絡んで

 いるとなると、ただの金儲けでは済まないだろう。」


「江戸の町民だけでなく、武士にも阿片が広まりつつあるようだ。もし、

 これが幕府にまで広がったら、どうなるか…」

小太郎が深刻な顔をして言う。


静香は歯がゆい思いでいっぱいだった。「アヘン戦争」の下地作りをしている

としか思えないので、何とかしてみんなに伝えたかった…

そっと小さく手を上げて、遠慮がちに言ってみることにした。

「あのー、突飛な話と思われるでしょうが…

 もし金持ちや幕府の者たちにまで阿片に溺れてしまったら、江戸の町そのもの

 が病にかかるわ。やがて、異国の者が弱った日ノひのもとを攻めて

 植民地にするつもりかもしれないの…」


静香は、皆の頭の上にクエスチョンマークが見えた気がした。


「植民地?」


「ん?」


「しょくみんち?」


-- やっぱりこういう反応になるわよね~ "植民地"知らないわよね~

一度も日本は占領されてないからね~ でも、とりあえず伝えたから!ね --


「まぁ、お静の話がわからなくとも、もし幕府の連中が阿片に毒されたら、

 あっという間に江戸のまつりごとが乱れるね。奴らの思う壺にさせる

 わけにはいかないさ。」


千代婆の言葉に、静香を除く皆の表情が引き締まる。


「そこでだ、吉原にも阿片が広まっている以上、金持衆やお偉方がやられちゃ

 まずい。だから、お静、おまえさん、花魁として潜入しておくれ。」


千代婆の言葉に静香は目を丸くする。


「え?私が?」


「そうだよ。お静。初めてじゃないんだからそんなに驚くでないよ。まさか…

 おまえさん忘れちゃったのかい?」

千代婆はニヤリと笑う。


「あ、いや…、その~」静香がモジモジしていると、

「今回はお咲も修行で、おまえさんの禿かむろとして付いて行くから、

 一緒に一から学び直しな!」

千代婆の言葉に、その横でピョンと驚きで顔を上げたお咲に皆が微笑んだ。

「お咲の修行じゃぁ一肌脱がねぇとなぁ~」

静香は軽口で、自分の感情を横に押しやり決意を固めた。


しばらくの間、吉原潜入のための準備が始まった。

花魁の優雅な歩き方から、微妙な仕草や言葉遣いの細部までを、身をもって

学んだ。大店から借りてきた艶やかな着物に身を包み、まげ

を高く結い上げた静香の姿は、まるで本物の花魁のようだった。


「さぁ、これで吉原潜入の準備が整ったね。」

千代婆が微笑む。「お静、お咲あとは頼んだよ。」


心の中で渦巻く不安を押し殺し、静香は自分に言い聞かせるように声を出した。

「いざ、捜査開始!」

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