第4話
「ええええええええ、江戸時代なのーーーー?!」
静香は長屋がビリビリ震えるほど大きな声を出した。
おかげで、傷に響き、彼女は思わずお腹を押さえた。
「あいたたたたーっ!」静香は一人で忙しい。
そばにいたお咲も、苦笑いしていた。
気が付くと、音もなく入り口の土間に老婆がちょこんと立っていた。
老婆の小柄な体と薄暗い部屋が妙に調和している。
「ん?」と静香が頭の上に疑問符をいっぱい立てていると、
「ああ!千代婆さま、姉様は全部忘れちまってますよ。
私のことも、千代婆さまのことも、自分のことさえも。」
とお咲は言いながら、
「じゃあ姉様、お食事ここに置いておきますよ。私はそろそろ戻りますね。」
とお咲は出て行った。
「おや、目が覚めたのかい?お静。」
と、静香のすぐ横に座って耳元で千代婆が話しかけた。
「えっ?いつの間に?千代婆…さ…ま?」と静香が途切れ途切れに言うと。
「師匠とお呼び!」千代婆はピシャリと言い放った。
「あっ!はい、し、師匠。」と静香はしどろもどろに言った。
「おまいさん、全部忘れちまったのかい?しょうがないねぇ~。
まあ、命が助かっただけお天道様に感謝するんだね。」
と千代婆は言った。
「お静。」と千代婆が話しかけたと思うと、次の瞬間には台所にいて、
お咲の置いて行った食事の中からメザシだけくわえてこちらを振り向いた。
「ネコなんですか?師匠!」
と静香は目を見開いて言った。
「てやんでい!っと、それより、全部忘れちまったのかい?」
と千代婆はボリボリとメザシを食べながら言うと。
「師匠、それさっきも聞きましたよ!もう、ボケてんですか?」
と静香が言うや否や。
「このべらぼうめぇ、そんなぁ事ぁ二度とオレに言うんじゃねぇ!」
と千代婆は烈火のごとく怒り、顔を真っ赤にして拳を振り上げた。
「ああ、ご無礼つかまつりましてそうろう。」
と昔、母が怒った時に半分冗談にしてかわしたことを思い出しながら
静香が言うと、
「わかりゃいい、ん、分かれば。」と続けて千代婆は
「じゃ、ひとつずつ始めるかのぉ。」と優しく語り始めた。
「まずはこの私、千代婆は町年寄のお仕事をさせてもらってるのさ。」
千代婆は静香の目をじっと見つめ確認するかのように話し始めた。
「町年寄ってーのは、町奉行とともに町の平穏を任されているんで、
代々忍びの者を密かに用意していたんだよ。
そいで、わしはその町年寄の1つ樽屋が作った組織の長の一人なのさ。
幕府の任務や町奉行の要請を請け負っているんだよ。才能のある身寄りのない
幼子を見つけてきて育て、見込みのある児を組織に入れる。おまいさんも
その一人なんだよ。」
「私が?」と静香は意外な話で驚いた。
「そうさ、大層おまいを気に入った樽屋は静という名前で養女にしたさ。
しかし、本家に住まわすわけにいかないから、この長屋をおまいに用意したさ。
それがきっかけか分からんが、
『千代婆は長年の激務で疲れているようだから、引退して後継者を育てろ』
って樽屋本家は言いよって…まぁ、まだ今でも占い師を装いながら、情報屋
として活動はしているがな。」
「それじゃあ、私が樽屋静だってこと?」
「ああ、そしておまいさんはわしの後継者として育てていた。
ここぞとばかりに引退をわしに勧めてきたんだよ。」と千代婆は苦笑いした。
「ところで師匠、どうして私はこんなに大けがをしてるんです?」
と話をそらしながら、静香は今の状況を聞いてみた。
「近頃、江戸のあちこちで火をつけちゃ盗みを働く奴らがいて、
町奉行が火付け盗賊を一網打尽にするから、わしら忍に応援要請がきたさ。
そいで、わしらは裏から入って盗賊の長とご対面してね。
おまいは袈裟に切られても尚そいつを屋根伝いに追いかけて、
足がぐらついたんだろう、落ちて頭を打った、ってわけさ。
でも、ちゃんと賊はひっつかまえたから心配しなすんな。」
息を吸ったまま吐くのを忘れた静香は、何度もうなずいた。
「しかし、どうしたもんかねぇ~。
こんな大怪我じゃぁ、おまいさん続けられるのかい?」
と千代婆はため息交じりに言って、お茶を飲もうと…
ハッとした千代婆の顔を静香は見逃さなかった。
そう、
「きっと引退を勧められた本当の理由はボケ始めたからだろう。」
と、静香は気付いた。
が、気付かないふりをして
「どうでしょうか、何も覚えてないし。教えてもらった事も…
私は出来るとは思いません。」
静香は申し訳なさそうに思っていることを千代婆に伝えた。
「随分ものをはっきり言うようにになったねぇ。
三途のほとりで、何か見たのかい?だいぶ様子も変わったしのぉ。
まぁ、もう少し動けるようになってからでいいさ、
それまでじっくり考えるんだね。」
千代婆はそう言うと、静香の返事を待たずにさっさと外へ出てしまった。
静香は今の状況をだいぶ理解できたような気がしたが、
少し落ち着いてきたら根本的なことに気づいた。
そう、なんでここにいるのだろうという疑問だった。
サンズリバーでのラフティングは鮮明に覚えているし、めちゃくちゃ仕事が
忙しく体調がどんどん悪くなっていたのも覚えている。
しかし考えても分からない、そこでふと
「ねぇサル、どうして私ここにいるんだろう?」と思わず静香の口から出た。
すると、枕元あたりから
「そらぁ、俺が案内しておまえさんが…」と声がする。
「ぎゃあああああああああ!」
静香は大声で叫んだので切られた傷が痛む。
と同時に突然、体の上半分が急激に重くなり寝床に上から押し付けられるように
背中を打ち付けた。
「ドン!」
「ぐへっ!」思わず静香は中身が出たかと悲痛な声を出した。
「ハハハ、ビックリさせて悪かったな。おまえさんがオレのこと
呼んだから答えただけだよ。」
「サル?あなたなの?なんで?」と静香は寝床に張り付いたまま言った。
「ハハハ、サンズリバーに沈まず見事クリアしたからだよ。
途中で落ちたらそのままお陀仏だったんだゾ!」
とサルは楽しそうな声だ。
「えっ?あっ!怖っ!って、サルどこにいるの?」
静香はなんだか全然理解できない。
「ああ、おまえさんに渡した巾着の中に鏡があっただろう?
あれでリモート接続しとる。忙しいのでな、なかなか現場に
行けないのだよ。」
「どうなってんのよ?なんで私ここにいるの?」
静香はあれもこれも聞いてみたかった。
「樽屋静は重要な人物なんだけど、今回の事件で死んじまっただろ?
だからおまえさんが選ばれたんだよ。おまえさんが必要なんだよ。」
サルはまるで口説いている口調で静香にささやいた。
「おまえさんの時代の知識と忍びの技術が合わさったら、
最強のくノ一になれるって思わないか?」サルは微笑んだ。
「今は詳しく言えないが、おまえさんがここにいることで、未来に
大きな影響を与えるんだよ。」とサルは熱を込めて言う。
「でも私はどんくさいし、とてもくノ一なんて…」
と静香が言いかけた時、頭に浮かんだ言葉は「人を信じ、人を許す」だった。
しばらく静香は言葉を発さず考えた。
--確か、私は電車に乗ろうとホームで倒れた。その後の状況は分からないけど、
もし、サルが元に戻してくれるとしてもまた同じ状態に戻るだけだ。
だけど、ここにいると静さんの代わりにくノ一として生きて行かなければ
いけない。--
幾分冷静に考えていると、先ほどの体の重さは嘘のように無くなった。
体を起こし巾着の中にあった柄鏡を取り出して、鏡の中にいる
能面の大飛出を見た瞬間、静香はとんでもない言葉を思いついた。
そう、'有給休暇'だ!
ブラック企業で休み無く働きに働いて、一度も有給休暇を取っていなかったのだ。
--そうだ!有給休暇を取ったのよ!私は!そして長い長い休暇の後に
辞められるかもしれないじゃない!ブラック企業を!
あの生活を変えられるかもしれないじゃない!--
なんとも凄い理屈を考え付いたのである。くノ一の大変さはとりあえず
横に置いてしまったのだ。
柄鏡に向かって
「いいわサル、やってやろうじゃないの!アンタが私を選んだから
全力で私をサポートしなさいよ。」
なぜか突然サルをアンタ呼ばわりした静香は空を飛びそうなほど
鼻息を荒くした。
「もちろんさ、困難な道のりだが、おまえさんにはその力がある。俺は信じてるぜ。
お前を連れてきた甲斐があったな、運命ってやつさ。」
サルはうまく説得できて少しほっとしたようだった。
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