第3話


「なんでーーーーーーーーー?!」

静香はありったけの声で周囲に響かせた。


「んなぁ~、あんまり大声で叫びなさんなぁ。」

と後姿の船頭さんが、振り向きもせずに言った。

が、何かおかしい、船頭さんの持っている物、竹竿たけざおではない!


「パドル?なんでパドル?」

まだパニック状態なのにあまりの違和感にニワトリのように首を振りながら

静香は言った。


と同時に、


「ヘッドギアとライフジャケット?」

あまりの唐突さに少し冷静になった静香は、だんだん状況をつかめてきた。


すると船頭さんが突然


「はい、みなさま~こんにちはー、サンズランド、サンズリバーの旅へようこそ!

 私が船頭のサルです。これからみなさんを危険がいっぱいのサンズへと

 ご案内いたします。何が起こるか分からないサンズ。二度と戻ってこれない

 かも知れません。


 ああ、それから

 現在情報によりますと餓鬼が一匹行方不明、との報告がありました。

 みなさま~となりで魂を食べている人がいないか確認して下さ~い」


ハンドマイクを片手になれたセリフを流れるようにしゃべる。


「サル?」

博物館で能のイベントに行ったときに買った

大飛出おおとびでというお面のアクリルキーホルダー。

そのお面をかぶった船頭に話しかけた。


「それでは、出発進行~、みなさんしっかり漕いでくださいね~」」

取り付く島もない様子だ!


他のお客さんと呼ばれた人たちは同じようにパドルを持ちヘッドギア、

ライフジャケットを着て、一分の隙もなく、まるで訓練でも受けたように


「さあいくゾ!、オー、力を抜けよ!、オー、

もう心配いらない、オー、苦しみも、オー、辛さも、オー、

 もうおさらばさ!、オー、これぞ我らのハンニャシンギョー!、オー」


━ なんだこの一体感とパドルさばきは?しかも般若心経なの?━


静香はそう思いながらも、このテンションに抗えずリズムに合わせて漕ぎ始めた。

水しぶきが飛び散り、ボートは激流を進んでいく。


どんどん船は…

気が付くと船は船でもゴムボートだった。

ボートは右に左に、突き出ている岩に当たり、はじかれながら、

気を抜くと外に放り出されるほどのスピードになっていた。


「左だ!もっと力を入れろ!」と、サルが指示を出す。


ほかの乗客は相変わらずハンニャシンギョーを舌を噛みながら唱え、漕いでいた。


「ねえ、ちょっと、これ本当に大丈夫なの?まるでラフティングじゃない!」

静香はサルに叫びかけたが、サルはニヤリと笑うだけで答えなかった。


すると突然、前方に巨大な岩が現れた。


「ちょっと、避けなさいよ!あんなのに当たったら木端微塵よ!」

静香の叫び声は激流にかき消される。


サルは気にせず、イベントお兄さんぶりを発揮しながら、

「みんな、準備は良いか?これからが本番だ!」と声を張り上げた。


なぜか乗客たちは、左右別の方向にパドルを漕ぎ始めた。

そして、ボートはグルグル回転しながら岩に向かって進んだ。


「いやぁああああああああ!」静香は叫ぶ。


シューッ


なぜか、岩だと思っていたらジャンプ台だった。

いや、ジャンプ台の形をした岩だった。


空中に勢いよくジャンプしたボートは回転しながら飛んだ。

その回転に合わせて、静香とサル以外の乗客は四方八方に飛び散った。


「ええええええええええええっ!」

パドルとボートの端を必死に抱えた静香は、落ちていった人たちを見た。


川に落ちた他の乗客は、相変わらずハンニャシンギョーを唱えながら、

ライフジャケットを着ているのにも拘わらず、沈んでいった。


「ちょっと、サル!みんな沈んじゃったわよ!」

相変わらず轟音を立ている激流の川の音に負けじと、静香は叫ぶ。


「ナムー!」ひょうひょうと片合掌でサルはつぶやく。


そして、静香に向かって、

「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」

と意味深な歌をうたいながら、サルは静香に巾着袋を押し付けた。


「さぁ、今度こそ■■■■、■■■■んだ。」


サルの言葉は聞き取れない。それは前方に巨大な音が「ゴーッ」と響き渡り

全ての音を消し去ったのだ!

静香はその音の正体を確認しようと前を見ると、目の前には

巨大な滝が現れた。


「なんでこんなことに…」静香は目を閉じ、次の瞬間、ボートは滝の淵に達し、

彼女たちは一気に落下を始めた。


「ぎゃあああああああああ!」

静香の叫び声と同時に、ボートは滝壺に突っ込み、派手な音と共に

彼女の視界は失われていった。



「痛っ!いたーいっ」

心臓の鼓動に合わせて、波紋のように痛みが広がる。

目を覚ますと見知らぬ天井とカビ臭い匂いが鼻に突いた


--あら、実家に戻ったのかしら?--


などとのんきな静香は実家の貧乏長屋にいると納得しかけたが、

「あーっ!いたたたたーっ!」

左肩から右脇腹にかけてヒリヒリした痛みに片目をぎゅっとつぶった。

上半身がさらしでグルグル巻きにされていて、胸が苦しい、

さらに斜めに切られたように血が滲んでいた。


その時、戸をガタガタと開けようとする音がした。


静香は母親が入ってくるのかと思って身を固くしながら、音のする方を

向こうとすると、


「ガシガシ、ダーンッ!」と派手な音で戸が開かれた。


「あっ!姉様、気が付いたんですね!よかった!よかった!本当によかった!」

と地味ながら小奇麗な和服を着た少女が、今にも突進してきそうな勢いで

部屋に入ってきた。


「もう!姉様ったら、あんな大けがして運ばれてきたから、

 二度と目が覚めないんじゃないかと、三途の川渡っちゃったんじゃないかと

 思って、心配で、心配でぇ~、うわぁ~ん!」

と、泣き始めた少女を尻目に


--三途の川?三途?さんず?サンズ?サンズリバー?って

 あの『激流下りラフティング』って三途の川だったの? --


少女の反応より自分の体験を振り返った静香は、痛みも忘れて驚いた。

「あなたもあのラフティングボートに乗ってたの?」

と静香は、やり場のない気持ちを共有できると喜び勇んで少女に言った。


「は?」と少女。

「ん?」と静香。


「いやだぁ~!姉様やっぱり頭打っちゃったんですね。

 頭打っちゃったんだぁ~。運ばれてきた時もわけわからないこと

 言ってましたからねぇ~、私のこと分かりますかぁ?」

と少女はため息交じりで聞いてきた。


静香は両手の親指と人差し指を交互に入れ替え、モジモジしながら、

「えーっと、あの~。」


「咲ですよ!お咲!樽屋にご奉公してるっ!」

と、ちょっと怒り気味に。


「樽屋?」ボソッと、静香が言うと。


「まさか!ご自分のこともお忘れなんですか?うわ~、厄介極まりねぇ~。」


お咲は口が悪くなる。静香は、ちょっと母親を思い出させる口調だったので、

嫌な顔になった。


「姉様は、樽屋静[たるやしずか]。江戸町年寄樽屋の娘。

 理由わけあって身を隠して長屋に住んでるんですよ。」


お咲はなぜか静香の耳元に小声でそうささやいた。


「江戸?樽屋?なに?今度はどんなアトラクションなの?」


静香は相変わらず三途の川ラフティングが頭から離れない。


「あ、アトラク?…何を言ってるんですか?姉様。

 いつもお持ちの巾着袋の中見てくださいよ~」


お咲にそう言われた静香が、巾着袋から手探りでつかんだものを出すと。


「ほら姉様、その柄鏡裏返してみてください。

 そこにある御紋が桔梗でしょう?樽屋の家紋があるものを

 持っているということは、樽屋の者である証拠ですよ。」


樽屋が何なのか分からない静香は、さらに巾着袋の中を探る。

巾着の底板かと思っていたものが、丁寧に折ってあるものを広げてみた。


「武州豊嶋郡江戸庄図

 ぶしゅう?としまごおり?えどのしょうず?地図?」


と、静香は拙く読んでみて…脳をフル回転して…


「ええええええええ、江戸時代なのーーーー?!」

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