第7話

 自慢じゃないが、僕の妻はとても可愛い。


 絹のような白い髪に、青空を思わせる蒼穹の瞳。

 目鼻立ちはパッチリしていて、美人というより愛され系。

 もちろんスタイルは抜群で、胸もかなり大きかった。


 まぁ、もう三千年も会ってないんだけど。


「よし、着いたよ」


 目の前にそびえる断崖絶壁を見上げ、一息つく。斜面というより崖、崖というより壁と表現できそうな、垂直の地面。

 明らかに人間が登るようなものでは無いし、モンスターだって大多数がリタイアするだろう。そんな光景を前に、おもむろに準備運動を始める。


「……次の目的地、湖って言ってなかった?」


 可憐な声と共に、ジトッとした視線がこちらを貫く。何故か隣に実体化しているシルヴァは、話が違うとでも言いたげだ。


「湖だよ?」

「どこがよ! 完全に山──山って言うのもおこがましいわ! ただの断崖絶壁じゃない!」

「契約する前のシルヴァみたいに?」

「そうそう、あの頃は胸も断崖絶壁で──って何言わせるのよバカ!」


 いや、そっちが勝手にノリツッコミしたんでしょうが。


「真面目な話、この崖の上にあるんだよ『デーヴァ湖』って」

「ほぇ……?」


 まぁ、崖というより、巨大な岩の柱と思ってくれればいい。この垂直な崖を登り切ったものだけが、晴れて湖に辿り着ける。そういう単純な話だ。

 なので、デーヴァ湖を訪れる者はほとんど居ない。まさしく秘境と呼ぶにふさわしい場所だ。


「リクシル──ああ、僕の妻ね。彼女は水辺が好きだったから、ここなら居るかと思って」

「こんな所に定住する人間いないわよ……」


 それは分からないでしょ。ちゃんと登って、この目で確かめてみるまでは。


「さ、行くよシルヴァ。魔石の中に入って」

「えぇ……? あなた本気……?」


 もちろん、本気も本気だ。

 妻に会うためなら、どんな困難だって乗り越える。そのくらいの覚悟は持ってるつもりだ。


「よい、しょっ!」


 魔力で強化した右手の五指を、断崖絶壁に突き刺す。そこを起点に、左手の五指も上方に突き刺す。

 それを繰り返して、一歩一歩着実に壁を登っていく。


『……やってること地味だけど、完全にバケモノよね、あなた。知ってたけど』


 知ってるなら、わざわざ言わなくてもいいと思うんだが。というか話しかけないでくれ、気が散る。

 コレ結構繊細な魔力操作が必要だから、気を抜くと突き指しそうになるんだよね。もしくは崖を粉々に破壊するか。


「ふっ、ほっ、はっ」

『……ねぇ、湖まで何時間かかるの?』

「えー? んしょっ、えーっとね……五日もあれば着くと思うよ? ふんっ!」

『……バカなの?』


 まぁ、世界の賢人って言われてる人たちと比べると、だいぶバカだとは思う。なんたって、最愛の妻を探すために、こうして自ら苦行に身を投じてる訳だし。

 でも、バカで良かったとも思ってる。賢く彼女を待ち続けるよりも、バカなまま探すほうがよっぽど良い。


「んしょっ、ふぅー……」


 結構高所まで登ってきた所で、一旦動きを止める。丸一日登り続けたが、既に雲で地上が見えなくなっていた。

 かなり順調だな。これなら予定通り、あと五日で着けそうだ。


『ねぇ、食事と睡眠は? 人間って、食事と睡眠を摂らないと死ぬんでしょ?』

「まぁね」

『こんな場所で眠れるの?』

「自慢じゃないけど、赤ん坊の頃から寝付きはいい方だったよ」


 どんな状況でも安眠できるスキルは、割と初期から身につけていた。思い返せば、最初の十回目くらいまでの転生が一番ハードだったかもしれん。

 生まれては死に、生まれては死に……女の子に転生したこともあったっけ。いやぁ、貴重な体験だった、ハハハ。


『ちょっと!? あからさまに目が死んでるんだけど!? やっぱり辛いんじゃないの!?』

「あぁごめん、ちょっとロンバルディア・バルグのこと考えてた」

『誰よ、ロンバルディア・バルグ!』


 そりゃお前、全ての剣術の基礎となる型を作った男の名前だよ。彼の名を冠したバルグ流剣術は、今に至るまで幅広く普及している。

 もちろん派生先もいっぱいだ。人間のアレンジレパートリーの豊富さには、末恐ろしいものを感じるね。


『はぁ……どうでもいいけど、ご飯は? その体勢でどうやって食べるのよ』

「心配ご無用──魔法で出した水を飲む」

『うわっ……』


 そんな露骨に嫌そうな声出すなよ、傷つくだろ。というか実際問題、人間は一ヶ月くらい食べ物を食べなくても平気だが、水を飲まないと三日で死ぬからな。

 みんなも冒険する時は水魔法を習得しておこう。役に立たない場面が無いから。


『人間の身体にはあまり良くないわよ、魔法で出した水』

「それは知ってる……知ってるけど、足場もないこの状況じゃ贅沢なんて言ってられないし」


 あんまり飲みすぎると魔力中毒になるから、そこも注意ポイントだな。

 まぁたった五日の辛抱だ。頂上についたら、美味しいご飯を食べるとしよう。


「というわけで……いただきます!」


 指先から水を生み出し、それを飲んで喉を潤す。

 味や喉越しは普通の水と変わり無い。


『うわぁ……』


 しかし、精霊であるシルヴァには耐えられない行為なのか、またも露骨に嫌そうな声を上げるのだった。

 結構マジに傷つくからやめてくれ。

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