第71話 Crescent(11)

「志藤さんも・・もうあたしよりも斯波さんのことの方を信頼してるって感じで。 何だか情けなくなって、」



香織は顔を覆って泣きながら言った。



樺沢は彼女の言い分を全て聞いてやったあとに



「・・誰が上だとか。 下だとか。 そんなのないんだよ。」



自分のグラスに日本酒を注ぎながら言った。



「え・・?」



「まだ事業部はできて4年くらいだろ? 今はみんなで色んな仕事して。 専門職とかそんなの言ってられないくらい大変だったと思う。 志藤も余裕が出て、斯波くんみたいな専門の部下をようやく迎えることができたと思う。 それまではみんながどんな仕事でも一生懸命にやってきたんじゃないの? おれは・・まあ、最初からずっと見守ってたわけじゃないから、エラそうなこと言えないけど。 事業部は本当にみんなが一丸となって頑張ってるなあって・・いつも思ってた。 みんなが部のことを思って、頑張ってる。」



ゆっくりと


優しくそう言った。




事業部創設から籍を置いていた香織は



これまでのことを思い起こしていた。



本当にクラシックのことは全然わからなくて



志藤や玉田にレクチャーしてもらいながら、頑張って自分でも勉強した。



同じく音楽には素人の南や泉川だって



スポンサー獲得に走り回った。



企画も最初は手探りで、ダメ出しをたくさんもらいながらも



少しずつ形になって。



頑張ったのは



あたしだけじゃない・・




香織は一度止まった涙が



また零れ落ちた。




「あたし・・勘違いしてた。 志藤さんの片腕みたいに思ってた。 自分がいなかったら事業部が回らないって。 思ってた、」



いつもの元気な彼女とは別人のようなか細い声だった。



「香織を慰めたいから言うわけじゃないけど。 志藤は本当に香織がいてくれて助かってるって言ってた。 自分のが年下だけど、そういうことを全く気を遣わせないって。 あいつだって落ち着いてるように見えて。 30で管理職だろ?  けっこうなプレッシャーだと思うよ。 香織だけじゃなくて、みんなが志藤を助けて、あいつだって管理職って立場をわかってきただろうし。 誰が欠けたって、ダメなんじゃないの? 香織がいなくてもいいだなんて・・絶対に思ってない。」




いつもは



自分が彼を叱咤する場面ばかりで



こうして



彼から諭されることも初めてだった。






親でもなんでもなく



ひとりの男として




こうして彼女を抱くのはどのくらいぶりなのか。



もうわからなくなるくらいだった。



呆れるくらいたくさんのキスをして



狂おしいほどに抱き合い



泣きそうな声で喘ぐ声だけが静まり返った部屋に響いて。




「・・ん、」



学生時代にラグビーをしていた彼は今でも中年太りなんかしていなくて



鍛えてないけど肩や背中の筋肉が盛り上がって



その分厚い胸板の中に抱かれていると、本当に安心できて



一番最初に抱かれた時から



それがクセになりそうだった。




カラダで男を決めるなんて




あたしってサイテーな女だって



その時少しだけ自己嫌悪に陥った。


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