第62話 Crescent(2)

その子と別れて暖人と手を繋いでいたが



さっき



『ハルくんのママ』



と言われたことには、暖人は触れてこなかった。



昨日見たテレビのことを一生懸命に話していた。



「ねえ。 のどかわいたでしょう。 ちょっとだけジュース、飲んでいこう。」



香織は近くのコーヒーショップの前で暖人に言った。




「なにかいてるの~?」



そこで香織が自分のシステム手帳に何やら書いていることを暖人は気にした。



「ああ、うん。 ちょっとね。 ね、アイスココア、おいしい?」



「うん! クリームものってて、すっごくごうか。」



暖人は嬉しそうに上に乗った生クリームを舐めた。




そして



暖人を樺沢の実家の蕎麦屋の前まで送ってきて



香織は立ち止まった。



「ハル。 かおりちゃん、ここで帰るね。」



「え? はいらないの?」



香織はポケットからさっき書いた手帳の切れ端を二つ折りにしたものをハルに持たせた。



「・・これを。 おばあちゃんに渡して。 じゃあ・・また遊びに行くからね。 今日はハルのお遊戯が見れて楽しかったよ、」



「・・うん、」



暖人は子供ながらに何かよそよそしさを感じつつもそれを受け取った。



「あれ? ハル、ひとりなの? どうしたの?」



店でお運びをしていた樺沢の母が少し驚いて言った。



「いま、ここのまえまでかおりちゃんきてたんだけどー・・」



暖人は困ったように、さっきのメモを祖母に渡した。



「これ。 おばあちゃんにって。」



「え・・?」



樺沢の母は慌てて、下げたどんぶりを流しに置いてきてそれを読んだ。



『ホクトエンターテイメント クラシック事業部に在籍しております佐屋香織と申します。 本日は暖人くんのお遊戯会に誘っていただき、本当にありがとうございました。 お母さまから勧めていただいたと聞き、とてもありがたくお心を頂戴いたしました。 私は樺沢さんとおつきあいをさせていただいておりますが、暖人くんとは何の関係もありません。 たまに樺沢さんのマンションに行って二人に夕飯を作ってあげるくらいで、彼の助けと言えるかどうかわからないようなことをしているぐらいです。 暖人くんは私を慕ってくれていますが、私がいったいどういう存在なのかということをきちんと説明してしまったら、きっと彼が傷つくのではないか、と今でもあやふやな存在のままです。 本当にこれでいいのか、樺沢さんとは別れたほうがいいのか、と考えたこともあります。 暖人くんは素直で本当にかわいい子で、お母さんと別れてつらいだろうに、一生懸命にお父さんとの暮らしを送っています。そんな二人を少しでもサポートできれば幸せで、彼のご家族に決して迷惑を掛けないようにと思ってきました・・』



その手帳の切れ端に



きれいな字がぎっしりと詰まっていた。



『保育園に私が行くことで、暖人くんに悪い噂が立ったりすることがあったら・・と思うと、私が行くような立場ではない、と思いましたが、樺沢さんからお母さまが勧めてくださったと聞き、涙が出るほど嬉しかったです。 暖人くんのお世話をさせていただいている以上、お父さま、お母さまにご挨拶に伺うのが筋と思いますが、やはりまだまだ時間が必要に思えます。 暖人くんの心の傷が癒えるまで、もう少しだけこうして見守らせていただけないでしょうか。 些細な事に拘っている私をお許し下さい。 私も幼い頃に母親を亡くした身ですので、暖人くんを見ていると自分の子供のころを思い出してしまいます。 大変不躾な文章ではございますが、お父さま、仁さんにもよろしくお伝えくださいませ。   佐屋香織』



読み終えたあと母は



深いため息をついた。




「なんだ、その『彼女』は寄っていかなかったのか、」



父が何気なく声をかけたが



「・・駿にこんな人がねえ。 あんな子とつきあってなくたって。 もっと幸せになれる人がいるだろうに。」



母はひとり言のようにそう言ってそのメモをエプロンのポケットにしまった。



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