第39話 Summer breeze(19)

「・・今、熱は高いけど。 目を離さないで看病するから大丈夫。 カバちゃんは、そのまま仕事を続けて。 遅くなってもあたし、待ってるから。」



香織は途中で樺沢に電話を入れた。



「・・でも、」



ためらう彼に



「大丈夫。 カバちゃんはまだ社長秘書になって日が浅いんだから。 社長に認められるようにとにかく頑張って仕事をして。」



香織は少し強い口調で言った。



「仕事って言っても。 このあとは接待なんだよ、」



「接待だって立派な仕事だよ。 ただ飲み食いするだけでそんな席設けてるって思ってるの? 社長にだってお考えがあるんだから、カバちゃんはきちんとそれもこなして、」



そして



一喝した。




香織は暖人が福岡から大事に持ってきたリュックが床に放ってあったので、それを引っ掛けようとするとファスナーが開いていて、中のものが出てしまった。



ほとんどがオモチャだったが、一冊のキレイにカバーが掛けられた『手帳』を見つけた。



そっと開くとそれは



母子手帳だった。



暖人が生まれてから、母親と離れるまでの時間が凝縮されたようなその手帳。




生まれたての暖人の写真が表紙を開けると貼ってあるのが目に飛び込んできた。



かわいい・・



今の暖人の面影を残している。



生まれた時は2450グラムの小さめで、1ヶ月検診、3ヶ月検診、と細かに記してあって



そのたびに体重が増えていて。



母親の心配事などが小さな字で丁寧に書かれている。




これは



この子を産んだ人にしか書けない。



香織は切ない気持ちに包まれた。



食が細くて心配したこと



歩くのが他の子より遅いと心配したこと



なかなかおしめが取れなくて悩んでいたこと



読んでいるうちに涙がこぼれた。




樺沢がようやく帰れたのは11時を回った頃だった。



「ご、ごめん。何とか急いで帰ってきたんだけど、」



慌てる彼に



「しーっ・・今よく寝てるから。」



香織は小声で諌めた。



「扁桃腺が腫れちゃって痛がってる。もっと小さい頃から何度も腫らしてるみたい。 そういう体質なのかもね、」



「え・・」



樺沢が呆然としていると、香織は暖人の母子手帳を黙って彼に手渡した。



「すっごく・・細かく書いてある。 暖人が今までどの予防注射をしてきたとか、どんな病気にかかったかとか。 好きな食べ物、キライな食べ物。」



樺沢は黙ってそれを開いて見た。


自分の知らないことばかりだった。



「それを託されたんだから。 暖人を元気に育てないとね。 あたしの母も死ぬまであたしの母子手帳にいろんなこと書き込んでて。 中学生くらいの頃に父に見せられた。 今も・・大事に持ってるよ。 親の気持ちが凝縮されたいいシステムだよね。 この母子手帳は。」



樺沢は黙ってそれを閉じて、暖人が眠る寝室にそっと入っていった。



苦しそうではあるが



よく眠っている。




「あした。 仕事休ませてもらうから、」



樺沢はポツリと言った。



「え、でも・・」



「社長にはきちんと話したから。 気持ちよく休みくれたから。」



そして香織に振り返り


「仕事も大事だけど。 今はハルのことが何よりも大事なんだ。」



静かに微笑んだ。


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