第15話


 帝国歴567年、9月。

 

 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。

 

 「面白いことが分かりましてな。」

 

 ん?

 

 コンラート・メルセボルク?

 しらん名だけど……。

 

 「この者は、変名を使っておりましてな。

  前の名は、ラインフェルト・ツゥ・トゥヴェリと。」

  

 げっ。

 

 「今般の聖戦にて突撃七回、敵首級を挙げること二十八首、

  味方の救援に当たること四回、捕虜奪還二回。」

 

 ……戦士として優秀すぎる。

 何歳だっけな、コイツ。

 

 「この者に所領を与えぬわけには参りませぬ。」

 

 知らんぷりして出せと。

 俺らを殺しにきたかつての宿敵に。

 

 「さよう。」

 

 いいの?

 積年の恨みをはらさでおくべきか、

 みたいなことにならないの?

 

 「さぁ。

  ただ、兵士達に向けて、

  マルルバードの廃太子は死んで当然、

  とか申しておったようですから、

  恨みはそちらに向かったものと。」

 

 勝手すぎる。

 ただ、好悪は言えないんだよな。

 聖騎士ベルンハルトみたいなのだけを封じたいんだけどなぁ。

 嫌だもう領主業。俺は趣味に走りたいんだよぉ。

 

 「愉快な話はこのあたりで、

  和議の中身を詰めなければなりませぬ。」

 

 和議?

 

 「大宰相ハンムード、

  アブド・ムタリの首を以て降伏致しました。」

 

 ……う、わ。

 そんな裏切り、あるのか。

 

 いや。

 

 「これ、罠じゃないの?」

 

 「某もそのように思いますが、

  大宰相ですから、停戦交渉をするにも、

  まずは彼を通さねばなりますまい。」

 

 「……わかった。

  防備、くれぐれも怠らぬようと。

  特にランドルフは。」

 

 「御意。」

 

 ……

 念のため、ランドルフに書いておこう。

 こうでもしないと、普通に死にそうだから。

 

 「さて、と。

  メルル、今日のおやつは何かな?」

  

 「フリーシュペーステミートパイにございますよ。」

 

 おや、甘いものじゃないんだ。

 

 「ダラコニアのスラーマ教領から

  彼らの要さぬ物資を輸出させたところ、

  このように肉が余りましてな。」

 

 あぁ、宗教上の理由か。

 じゃ、なんで飼ってたんだ? 謎めいてるなぁ。


*


 帝国歴567年、10月。

 

 ダーイー朝、

 紅宮、諸王の間。


 大宰相ハンムードは、

 一兵卒から共に成り上がった盟友の首を入れた小箱を携えながら、

 敵国、自由都市同盟の長、

 男爵ランドルフ・フォン・ブラウフォルツ、

 ラコニア第二騎士団副長、

 聖騎士ベルンハルト・ドゥ・レーヌをはじめとする和平使節団に相対した。

 

 会談に当たり、

 双方の武装は全て、相手方の使者により、

 入念に解除されている。


 「貴殿らの戦ぶり、誠に見事でありました。

  一武人として、心より敬意を持つものにございます。」

 

 家宰を勤めるとはいえ、

 ランドルフはもともと騎士であり、武人である。

 鋭い鷹の眼をした敵将より称賛を受けたハンムードは、

 苦い顔で唇を歪めた。

 

 「ならば問いたい。

  誇りある武人である貴殿が、

  かほどまでに陰惨な罠を我らに仕掛けたのはなにゆえか。


  全人類共通の敵とまで蔑まれて、

  我が子孫が命脈を保てるとお思いか。」

 

 「……わが主の兄君は、

  君主に逆らった大逆の輩にございますが、

  その子孫は、かの国において罪に問われてはおりませぬ。

  

  貴殿らの汚名は晴れることはありますまいが、

  貴殿の子孫の命と名誉については、

  我が命にかけて必ずや保護致しましょう。」

 

 「……。」

 

 ハンムードは、一瞬、躊躇した。

 ランドルフを、この武人達を敬する気持ちが沸いた。

 しかし、その微かに人間らしい感情は、

 それに数十倍する復讐心により潰えた。


 ダーイー朝大宰相ハンムードは、

 舌の奥に差し込んでいた毒を取り出し、

 思い切り噛みしめた。


 紅宮は、

 一瞬にして毒霧に染まった。


*


 帝国歴567年、11月。

 

 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。 


 「どう?

  一度死んだ気分は。」

 

 「……もう二度と御免ですな。」

 

 鷹の眼を独眼にされたランドルフは、

 ただ、苦く笑った。

 

 敵方が毒を仕込むことは、

 事前に分かり切っていた。


 ランドルフは、武人として、

 ごく一縷の望みをかけて説得を行ったに過ぎない。


 「……某は怯懦な者にございます。

  あれほど死を覚悟していたつもりなのに、

  敵の前で遁走するなど。」

  

 「命に従っただけでしょ。」

 

 手紙にそう書いたから。

 眼を閉じ、息を止めて一目散に逃げろと。

 

 「ですが。」

 

 「お帰り、ランドルフ。」

 

 「……。

  はい。」


 『和議の最中に、

  使節団を屠った大罪人』


 使節団の中には、

 毒霧をもろに吸って死んだ者も少なくなかった。


 中でも、諸侯からも一目置かれていた

 聖騎士ベルンハルトが、毒霧を直接吸い込み死去したことで、

 全中原聖俗諸侯の憤怒が燎原の火の如く沸き起こった。


 恐慌に陥ったダーイー朝の役人たちは、

 ハンムードの子孫を捉え、一族郎党を斬首した。

 しかし、最早収まるはずもなかった。

 

 ダラコニア最大の版図を誇ったダーイー朝領は、

 聖戦に参加した諸侯達により切り刻まれるように分割された。

 そのうちの半数は。


 「同盟も急に広くなってしまいましたな。」


 「自由都市同盟、だからね。

  南中原に限らなくてもいいわけだよ。」

 

 「……まさか、最初から。」

 

 「んなわけないでしょ。

  だいたい、僕は何もしてないんだもの。」

 

 俺はずっと、

 この宿の上でゴロゴロしてただけだし。

 あぁ、気づいたらもう十九歳かぁ。

 太らないようにだけは気を付けてたつもりだけど。


 さて、と。


 「ランドルフ。」

 

 「は。」

 

 「卿の宰の任を解く。」

 

 「……は。」

 

 「代わりに、卿に命じる。

  我が顧問官として引き続き政に参与せよ。」


 「……御意。」


 「その目だと、宰は無理でしょ。

  ゆっくりと余生を送ってくださいな。」

 

 「……左様ですな。

  まずは、閣下のお妃候補探しに専念致しましょうか。」

 

 げ。

 やべぇ奴を増やしちゃったかも。


*


 帝国歴567年、12月。

 

 グリュンワルド王国、

 王都ルサチア第一王宮、小熊の間。


 自由都市同盟事務次長の肩書で謁見した

 グリュン・フォン・グールドは、

 らしくもなく緊張していた。

 

 グリュンワルド王太子にして、ルサチア公、

 クルヒャー・フォン・グリュンワルド。

 一介の陪臣騎士の身分ではまず遭遇することのない、雲の上の存在。


 「表向きは、先の聖戦の事後処理について

  お話したことといたしましょう。」

 

 弁舌爽やかなその姿と碧眼を見て、

 グリュンは、自分の主である、

 レ・リュクスの悪魔を思い浮かべていた。

 

 「貴殿に、ある交渉の下準備をお願いしたい。

  極秘裏に、です。」

 

 一介の騎士に見せるにしては、

 あまりにも真剣な表情に戸惑ってしまった。


 それもそのはず。

 グリュン・フォン・グールドは、

 一介の騎士などではもはやないのだから。

 

 平和ボケを極めた主のことを嗤えないほどに焦点の定まらない脳漿は、

 高貴な方の次の台詞が耳に入った瞬間、刹那にして目覚めた。

 

 「……それ、は。」

 

 「ですから、極秘裏に事を進める必要があります。

  宰相にすらも、です。」

 

 確かに。

 これは、機密の上に機密を要するだろう。

 きわめて難しい任務になる。

 

 しかし、

 中原の安寧のために、これ以上必要なことはない。

 グリュンは、蒼い眼を閉じ、腹を括った。

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