第12話


 帝国歴565年、5月。

 

 自由都市メピア、ランプァの森、

 マルルバード王国、侵攻軍野営地。


 「たかだか農民如きに

  なにゆえにこれほど苦戦しておるのだっ。」


 ホルス将軍が部下の隊長を怒鳴りつける声が響く。

 口にはしないものの、王太子カールヴァーンも、

 まったく同じ気持ちであった。

 

 自由都市共和国の名を誇り高く冠してはいるものの、

 今世紀だけで五度の強奪に遭遇したメピアは、

 今やわずか300人程度の小村落であり、

 装備の整った五千の兵を前にすれば、家財道具を積んで一目散に逃散するか、

 拝跪して貢ぎ物を捧げるのが当時の習わしである。


 それが。

 

 村落周囲に幾重にも張り巡らされた落とし穴。

 丘の上から豪雨のように降り注ぐ矢。

 さらには、

 

 「なんだ、あれはっ!」


 巨大な岩が、落とし穴の先に雨霰と降り注ぎ、

 狭隘な路を塞いでしまった二年来の仕掛けのである。

 

 それだけではない。

 

 『神の怒り』


 『神罰』

 

 『罪びとの子らよ』

 

 『悔い改めよ』


 『神は汝らをご存知である』

 

 野営地の廻りに、

 血染めで書かれた不気味な文字が、

 次々と浮かび上がる。

 

 訓練兵とはいえ、もとは農民。

 まして、正規軍とはいえ、父クシャルが率いる本体とは違う。

 信仰心を持たない跳ね返りの指揮官から死んでいく狙い撃ち中で、

 残された兵たちは、得体のしれない不安に悩まされていた。


 侵攻開始から2か月。

 偉大なるマルルバード王国正規軍四千七百を率いる

 カールマーン王太子は、森の中の野営地で、ギリギリと歯噛みを続けていた。


*


 帝国歴565年、6月。

 

 ベルガ公国、公都アプリア、

 公宮、孔雀の間。


 「なん、だとっ!?」

 

 ベルガ公子、嫡孫ロベルトは、

 相次ぐ二人の弟の死に、激しく動揺して


 最も、弟二人は、血が半分しか繋がっていない。

 公嗣であった父の死後、異母兄弟達は頭痛の種であった。

 それが、どちらも疫病に罹患し、

 顔中に斑を作って亡くなってのだ。

 

 特に、次男カルロはやっかいだった。

 カルロの母マーリアは現マルルバード王クシャルの従姉妹に当たり、

 両ゲーザ家を統一せんとする欲望を持つ

 マルルバードの傀儡に建てられやすい存在だった。

 

 いまや結束した同盟市に海上封鎖を喰ったら、

 ベルガ公家は立ち行かない。

 服属してでも権益を守らなければ、

 産業も資源もない海洋公国であるベルガは干上がってしまう。

 

 それが分からない弟達と継母達が、

 こうもあっさりと死んでくれたことは

 神の天啓に違いない。

 

 ベルガ公子、嫡孫ロベルトは、

 弟達の豪奢な葬儀を側近に指示しながら、密かにほくそ微笑んだ。

 最後の障害となるだろう嬰児の処遇を決めかねながら。


*


 帝国歴565年、6月。

 ハドリス海域、

 自由都市同盟連合海軍旗艦、ハビビト。

 

 「……燃えた、な。」

 

 轟音を立てながら海に沈んでいく船たちを前に、

 グリュン・フォン・グールドは、

 湊の女性達が焦がれる深く蒼い眼をしぱたかせた。

 

 陸軍中心であるマルルバードは、

 海軍はそれほど整備されてはいない。

 

 これは純然たるオーバーキルであり、

 その先は、まだ自由都市同盟に服していない都市、

 カエターニ公領やパルモ自由商業都市への脅しである。


 ただ、

 

 「効きすぎ、だろうな。」

 

 ただでさえ脆弱なマルルバードの主力艦隊は、

 この一戦で、ほぼ壊滅した。


 旧帝国の秘術、神の炎は、

 木造船を根こそぎ熔かしてしまった。

 なにより、王太子が秘めていた虎の子の陸戦隊一千後背挟撃用を、

 海の藻屑にしてしまったのである。


 (効果範囲の限られたトリッキーな武器に過ぎないから、

  一度限りの奇襲にしかならないけど。)

 

 この海戦により、ハドリス海域は自由都市同盟の手に落ちた。

 マルルバードは、海路の補給線を絶たれたのである。

 

 それは、マルルバード王家にとって、

 地獄のとば口に過ぎなかった。


*


 帝国歴565年、7月。

 マルルバード王国、

 王都ヘールヴァール城内、鷲の間。


 「……破門、だと?」

 

 聞きなれない言葉が、

 マルルバード王クシャルの耳を打った。

 

 「はっ。

 

  帝都モーグの聖座より、

  教皇クレメントⅣ世の手で、

  全カリン司教に通達された由。


  以後、マルルバード領内での布教を禁じ、

  聖餐に預かることを許さず、

  永劫の呪いを受けるべき者と」

  

 「下らぬ。」

 

 クシャルは、一言のもとに撥ねつけた。


 もし、普段からカリン教を丁寧に扱っていたら、

 マルルバードの司教座の意思を、

 モーグの教皇とは異なるものにできたかもしれない。


 しかし、長年の王政運営において、

 マルルバードの聖俗関係は圧倒的に俗権優位であり、

 カリン教の力など、歯牙にも掛ける必要はないと感じていた。

 そして、天国の不在を確信しているクシャルは、

 、常に正しかった。


 弱体化したカリン教など、

 無視しておけばいい、騒がせておけばいい。

 叛乱ひとつ、起こす力もない癖に。


 しかし、部下が皆、

 クシャルのような精神力と胆力を持つとは、限らない。

 

 そして、クシャルは、大切なことを忘れていた。

 カリン教の弱さは、教皇を立てられない、

 分裂した状態にあったことを。


 カリン教の精神的権威を自在に、

 かつ、もっとも効率的に操れるがついた時に、

 一体、何が起こるのかを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る